2014年12月27日土曜日

9.11の思い出




思い出、なんて甘ったるい表現で申し訳ないのだけど。



9.10、台風に襲われた関東圏。
ずぶ濡れになりながら、成田空港へ向かう。
何度目かの卒業旅行(8年いたのでね)で、グァムに行く予定だった。
しかし、何せ台風直撃なので、飛行機が飛ぶかどうかは不明。
とりあえず空港に集まっとくか、ということで、
学生劇団の後輩たちと、空模様を不安な顔で眺めていた。


フライトの時間が近くなるにつれて、
台風が通過していく。
飛ぶよ、飛ぶみたい。
何だか晴れない気分のまま、飛行機に乗り込む。
現地に着いたのは朝。安いツアーなので、おかしな時間に着く。
とりあえず寝よう、じゃ後程ー、とホテルのロビーで解散した。
その翌朝。


男子部屋の後輩が顔色を変えてすっ飛んできた。
テレビ見ました?すごいことになってますよ。
なんだなんだとNHKを着ける。世界でどこでもNHK。
と、あの映像。貿易センタービルに、飛行機が2台。
呆然と眺めた後、後輩の一人が、
ここアメリカだよね、と。
はい、そうです。
グァムはアメリカです。
空港は封鎖されております。


とにかく考えないようにして、バナナワニ園とかに行って、
予定していた日程は楽しむように勤めた。
でもいつ帰れるかわからない。
なぜか私は、自分の公演の稽古始めを、グァム帰国直後に設定していた。
不安でいっぱいになる。
このまま数か月帰れなかったら…。
いろんなキャンセル代だけでどんくらいかかるんだろう。
いやでもこれって非常時だし…。てかみなさんごめんなさい…。


結局、延泊を余儀なくされ、
コスト削減のため、みんなで一つの大部屋に暮らした。
なるべく外食は控え、スーパーで惣菜を買う。
空港封鎖が解け、飛行機が飛んだ途端、街中で歓声があがった。
安心した後輩の一人は海で溺れた。
ぼくらのグァム最終日は、ICUでの付き添いに終わった。


おかげで9.11は、個人的にも忘れられない体験になった。
何せ、アメリカ領土にいたわけなので。
いろんなことが、いい迷惑だと思った。
でも同時に、ひとつ。
あ、やっぱそうなるよね、と思った。
映像を見て。
テロリスト側のモチベーションに共感している自分が、あの瞬間居た。
何か、バランスをとろうとしている気がしたのだ、世界が。


いや、よくないよ。テロは、どー考えても、方法として、よくない。
でもそんだけ追い詰められてんだよ俺らはってことなわけで。
それはどういうことなんだって、考えてくれよってことなわけで。

誰もいたずらに人命を手段に使ったりしない。
しかしこの場合のwe、youって、実際何だろう。



そしてこの、9.11こそが、point of no returnになっちゃったんだな、と、
いま振り返ると思います。


着陸先、見えてんのかなー。舵取りの人ら。
戦争は外交の手段だってのは、そーゆー駆け引きあっての話だと思うんだけど。

殲滅戦とか、マウントポジションのとりあいとか、マジでキリないよ。
落としどころ探しながら動かないと。
また泥沼化するよ。

2014年12月9日火曜日

1209雑感




映画や本を、じっと見て居られない、読んでいられない。芝居や映画館では席を立てないので中断することはないが、
必ずどこかで違うことを考える。他愛のないこと、晩飯何食うかとか、私の人生どうなんだとか。だいたい晩飯のことが多い。つまらない内容のときは特に。


ブコウスキーのドキュメンタリDVDを見ながら、何度も中断して他のことをする。煙草を吸う、ゲームをする、皿を洗う、コーヒーを飲む。30分持てばいい方だ。
とにかく飽きっぽい。


ブコウスキーは毎日書いていたという。すがるように、ただそれだけが生きていることのように、書いていた。
彼にとっては生きることが書くことだった。
オースターも似たようなところがある。
二人とも、詩人だった。
ブコウスキーは短篇、オースターは短篇を経て長編にいく。
私はどうなんだ?


無意識に、共通点を探そうとしながら見てしまう。でも成功した人間についてのドキュメンタリーだ、
闇の部分など成功のエッセンスにすぎない。
自分も成功できる。酒と煙草とセックスと抑圧された生活を切らしさえしなければ。
そんな勘違いに傾きかけるが、そういうことじゃない。
孤独の形は、誰も似たようなもので、その実どれも似ていない。
人それぞれの顔をしている。


過剰な折檻を受ける。今はそれを虐待という。
たいがいの虐待など大したことではない。心に傷をおった、自尊心が激しく損なわれた。
それが何だ。
ブコウスキーはガキの頃、さんざん裸のケツを鞭でひっぱたかれた。
そして今私が見ているのは、結局、そのときに受けた衝撃を形にできたレアケースを描いているドキュメンタリーだ。
肝心なのは、それをどんな形にも昇華できずに、歪んだ形で発露させている人間が多くいるだろうってことだ。
自分の子供への虐待。差別意識。他者の過剰な排斥。
創造性のない生き方をしている人間は、自分の傷を経験に昇華させる機会がない。
話す機会さえない時だってありうる。
それは自覚する機会をことごとく失わせる。
全てに無自覚なまま、この世に放たれているということだ。
そうやって憎しみの連鎖の連なりは、絶えるチャンスを失う。


翻って自分の話。
いろいろと嫌な思いをしたとき、ノートや日記に書き連ねることで何かを消化してきた。
どうにか次の日もやっていかなくてはならなかったからだ。
くそったれ、死にやがれと書きつけて、翌朝元気に学校へ行く。
気に入らないことがあると、愉快に癇癪を起す。教員をバカにする、あちこちにイタズラを仕掛ける。
くだらない日常への意趣返しだったのだと思う。
同じことを他人にそのまま還元するわけにはいかないと、何となく理解してはいた。


だからって自分を美化するのは糞だと思う。今でも思う。
穏やかに暮らしたい、ただそれだけだ。
ただ穏やかに暮らせないから困ってしまう。
すぐに退屈になり、酒に手を出し、煙草に火をつけ、くだらない日常を少しでも華やがせてくれる男を漁ろうとする。
糞だ。


私は書くことで救われてきた。
ただ、書く世界に逃げ込むことで現実と戦えなくなったこともあったので、
書くこととの適正距離を探すときもあった。
今は適度な気がしている。
書くことに、表現することに、そうしなくては生きていけないという思い込みに、
かえって抑圧される場合もあるのだ。


孤独は、気がついたときから友人であったように思える。
孤独を理解しあえる友人がいなかったから、本当の友達はいなかったように思える。
思えば、ただお互い隠していただけなのかも知れない。
ただ、似た形の孤独を持っていなかっただけで。
理解を求めあい、与え合うには、幼すぎた。


自分が正しいのかどうかもわからない。
正しいってなんだ?
自分の進みたい方向に、進めてるかってこと。
それが私にとっての正しさ。他の誰かや社会正義とは無縁な話。

2014年11月28日金曜日

玄関閉めると




なんだか記憶のことばかり書いておりますが。


数年前、エレベーターに乗るとき、眠そうな男の子と、中学生の姉のきょうだいが、
乗り込んできた。
微妙な年頃らしく、姉は目的階になるとさっさと降りた。
弟は眠いまま、壁にもたれかかり目を瞑っていた。


何となく気がついていた。
きっとこの男児は、私と姉を取り違えている。


私は目的階でさっさと降りた。
背後より、足音。
どう考えても弟。
勘違いを訂正するのも申し訳ない気がして、
廊下を速足で歩き、
部屋に入ると鍵を閉めた。


直後、
がちゃがちゃがちゃ、がちゃがちゃがちゃ。
案の定、ドアノブを懸命に回す音。
因果関係は理解していても、なかなかにホラー。


しゃあねえなと思いつつ、ドアを開けると、
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした弟が立っていた。
あえて知らん顔で「はい」と出てみた。
弟は慌てて踵を返して歩き去った。


帰宅時、玄関扉を閉めるたびに思い出す、あのがちゃがちゃ音。
戦争で市民が最もダメージを受けることの一つに、
自分の家が破壊されること、と読んだことがある。
それほど、プライベートのテリトリーは侵されたくないものなのだなあ。


がちゃがちゃの恐怖、で実感しましたのでした。

2014年11月22日土曜日

オッサン遭遇記



いつまで若い気でいやがるんだ、と自家ツッコミを入れつつも、
20代から大きく環境が変わったとは言い切れないので、いまだに年をとっていない錯覚を起こしている。


昨晩、スマホをいじりながら夜道を歩いていたら、
「あ、あのー。あのー。気をつけてかえってくださいね」
やや遠慮がちなオッサンの声。
あんだ?ここでハイとか言ったら、「よければ飲みにいきましょう」ってなんじゃねえの?
と無視を決め込んだ。
「気をつけてかえってくださいね」
再び。
しつこいオヤジだなこの野郎、と顔を上げたら、二人連れの巡査の、年上の方が、
精一杯の柔らか表情を浮かべてこっちを見ている。
あ、ごめん、スマホのせいだね。
「はい、ありがとうございます」
お仕事だったねごめんねごめんね、後輩の手前もあるよね、と思いながら、
スマホをポッケにさっさとしまって歩き去った。


別に自意識過剰でも何でもなくて、過去に自宅の近所で、
何度もろくでもないオッサンに遭遇している。
ごく自然な警戒態勢。


一番マシなのは、車がキッと横でとまって「お姉さん、お姉さん。飲みにいかない?」という普通のナンパ。
おまえそれいまどき引っかかるやついると思うんかい、と思いながら、
「いえ、結構です」と速足で逃げた。


結構本気で怖かったのが二つ。いや、三つか。


一つめ。時刻は夕方。
自宅マンションの敷地内で、エレベータホールから大通りに向かう道筋。
煙草を持った、明らかに酔ったオッサンが、こちらに向かって歩いてくる。
このご時世に歩き煙草はなあ、と目を背けたら、
「姉ちゃん、やろうよ、やろうよ」
と肩を組んできた。
煙草の火が怖かったのと、その急激な距離の縮め方に驚いて、
「やりません」と愚直な返答をし、身をすくめて逃げた。


もう一つ。
稽古後に、どうしても吉野家の牛丼、並・卵をいただきたくなって、
終電近くに、一つ前の駅で降りて、がっついた。
女が深夜に一人で吉野家に入るなんて、あたしも立派な独女になったものだなあ、
と満腹しながら感慨深く表に出ると、
壊れた電波を放っているオヤジが二人、コンビニ前の高校生さながら、
煙草をふかして談笑している。
また煙草。
「しょうがねえなあ、ここいらのオヤジは」
そう思って帰路に向かうと、背後から「お姉さん、お姉さん」と呼び声が。
振り返ると、オヤジの一人が、煙草を持って追いかけてくる。
「遊ぼうよ。ねえ、遊ぼうよ」
「やめてください」走って逃げる。走ってついてくる。
「おねえさーん。おねえさーーーん」
うっかり路地に入る。
「おねえさーーーーん、待ってよーーーーーー」
いやこいつ完全にぶっ壊れてる。そう遠くない距離でちらつく煙草の火種。
路地を抜けたら、頭のゆるそうな若い男女グループが、ゲラゲラ笑いながら歩いてくる。
しめた、と思い、そいつらの側にこっそり寄る。
オヤジも火種も消えた。
帰りは、大通りを選んで帰った。


そしてもう一つ。
何年か前、自分の作品をつくっていた頃。
稽古がうまくいかなくて、なんだかなあ、とモヤモヤしながらの帰路。
終電は一つ前の駅でとまる。
地下のホームから地上にあがると、雨が降っていた。
傘を買うことを考えたけど、勢いで自罰行為に浸りたい気分になって、
リュックを抱えて濡れながら帰ることにした。


少し進むと、背後から傘が。
「風邪ひきますよ」
缶ビールを持った、30代くらいのあんちゃん。
「俺、同じ方向なんで。送りますよ」
コンビニの店長をやっているとのこと。
酔っているのだろう、えらく饒舌。
「煙草、吸いませんか」
駐輪場の軒下で雨宿りして、煙草を吸うあんちゃん。
「・・・すみません、1本いいですか・・・」
あんちゃんは、ずぶ濡れのおいらに、煙草をめぐんでくれた。
結局、話しながら、3本ほどいただいた。


傘をさして帰る。
あんちゃんは墨田区のどこだか(忘れた)のサンクスの店長で、
三店舗のエリアマネージャー。
開店直後は相当しんどく、24時間働き続けるのはザラだったらしい。
かつては、司法書士を目指していたという。
でも、なかなかうからなかった。彼女とも別れた。
いま、生活のために、いったん勉強は中断して、コンビニの店長をやっているらしい。
でも、そんな自分に納得いってない。
「コンビニの店長なんて、ってみんな下に思うでしょう」
いや、上とか下とか、そういうふうに思いませんよ。
どの仕事もしんどいですよ。
などなど。
「今日は売上が上がったんです。それでご褒美の缶ビール。これくらい自分に許そうと思って」
あんちゃんのボヤキは止まらなかった。


そして私の自宅マンションまで来た。駐輪場でいったん傘をとじる。
ありがとうございます、助かりました、と帰ろうとしたら、
「ひとつ、お願いがあるんですけど、いいですか」
煙草3本と、傘に入れてもらった恩がよぎる。でも何かがアラートを出す。
えっと、どんなことでしょう。


「おっぱい、さわらせてもらっていいですか」


きたー。


受けた恩がぐるぐるとまわり、軽率な私は、いいですよ、と答えた。


数秒後、猛ダッシュで逃げた。


ありがとうございました、本当にありがとうございました、おやすみなさーい!!!




私にとって、江東区はまだそんなところです。
もうトシもトシだし、そんなことはないだろうとは思いつつも、
たまに大間違いするアル中もいるだろうから、
いまだに身構えてます。


まーでも、平和な話やね。

2014年11月13日木曜日

風俗王との思い出




大学に8年もいたので、そりゃもういろんな人に会った。
中には、学生として出会うには珍しい人も。
その中の一人が、風俗王のA氏だった。


なぜ風俗王かというと、いわゆる女衒、女を風俗(当時は主にソープランド)に斡旋して、
その上がりで飯を食うというのを、個人で、完全にビジネスとして行っていたから。

実際は王というほどではなくとも、かなり羽振りよくやっていたらしい。


そのA氏が、とあるきっかけから芸能界に興味を持ち、芸能事務所を始めるという。
それにあたって、養成所をつくりたいからと、
当時私がお世話になっていた演出家の兄貴に話が来た。
兄貴は話が進むにつれ、金銭的な面で決裂し、
世間知らずの私はそのまま留め置かれた。


何度も事務所に打合せに行った。
金のチェーンネックレス、扇子、派手な色のスーツ(緑、空色、ピンクなど)、煙草の長い吸い口。
癖のあるしゃべり方。
とても個性的な人だった。


昔はオレも体張ってたんだけどね、抱きたくもない女抱くのも疲れるから、と。
大卒でやんのも珍しがられてね、重宝されたよ。辞めるときもちゃんとスジ通したし。


呼ばれるままに、事務所へ何度も打合せに行った。
とぶ、ケツをまくる、ヤキを入れるなどの用語を知ったのもこの人から。
あいつすぐケツまくるから、とばさないようきっちりヤキ入れないと。みたいな。
金になる女にはマメで優しく?ても、男にはがんがんヤキ入れるタイプでした。
消えた人たくさん。


養成所は約1年続いて、ひところは十人強くらいいて、
レッスン生のイベントもやったりしたのだけど、
私がさすがに大学の勉強に専念しなくてはならなくなったのと、
ある方向性にどうしても納得できなかったので、
結局は辞めた。
その方向性、というのが、
タレントもしくはアイドルでデビューできない奴は、
レッスン代をとるだけとって、最終的に(売れそうなやつは)エロで売る、というものだ。
A氏ではなく、その手の、また別の(あまり評判のよろしくない)事務所が絡んでいたせいもある。


先週までレッスンしていた女の子Sが、
翌週にはハダカでその手の雑誌に掲載されていた。
マネージャーが(ヤキ入れられすぎて)とんだので、代理で行った撮影の現場は、
その手の雑誌のものだった。
未成年の女の子Mが衣裳として渡されたのはブルマと体操着。
衣裳替えですと渡されたのは白いビキニ。
タオル地のガウンを着て、戸惑った表情で現れた彼女が忘れられない。
ネット配信用に動画撮影しますから、と受けた指示は、ラジオ体操できる?やってみて、というもの。
飛んだり体を反らしたりするのを、胸と股間を中心に、なめまわすようにカメラが這う。
見てられなくなって、私は部屋をそっと出た。


帰り道、雨が降っていた。2人で1つの傘に入り、暗い一本道をとぼとぼと歩く。
「Mさあ、こんなことやりたかったわけ?」思わず問う。
「いえ。正直、聞いてなくて。びっくりしました」
ああ、私、無理だ。
彼女の呆然とした横顔を見て思った。


エロは私も好きだし、面白いと思うけど、
その対象になるのは、常に人間の女であるわけで。
一定数の人間が、その「体を張った仕事」に従事しているわけで。
そこにどうしても同性としてジレンマを感じてしまう。
うるせえデブスババア、てめえが四の五の言うことじゃねえよ引っ込んでろ、という声を浴びたとしても。
気になってしまう。


そういった引っかかりが出来たことも含め、A氏と密に過ごせた時間は、
かなり貴重な体験だったと思う十数年後の私でした。

2014年11月11日火曜日

海乃屋からの~



何年生の、何の公演の打ち上げか記憶にないが、海乃屋で朝まで飲んだ流れで、法学部の後輩が「裁判の傍聴いきませんか?オレよく一人で行くんです」と言い出した。
人と別れる寂しさに耐えられなかった何人かで、行こう行こうと繰り出した。


行き先は確か、東京地裁。
「きょう何やってるかによりますが、傍聴券とれたのに行きましょう」と、ノリは歌舞伎の当日券。
野次馬根性とはこのことか。


そして引き当てたのはオウム裁判。確か土谷氏が被告だった。
入廷前に、ボディチェック。両手を広げて立ち、長い棒で身体を撫でられる。なんだか金の海原を歩くナウシカのようだと思いながら脇を見やると、当時メディア露出の多かった江川紹子もナウシカしていた。平等にナウシカ。私もナウシカ。みんなナウシカ。こんなところで民主主義を実感。


二日酔いで傍聴席に静かに座る。私語ができないわけではないが、場に呑まれて沈黙。
被告側の弁護人は確か三人。開廷して、代表でしゃべり出したのは、ピンクのシャツに黒いベスト、ゆるくウェーブのかかった長髪を一本に縛り口髭の、40代半ばほどの男性。
色味のほとんどない法廷に、このファッションは猫だまし。
あの派手なオッサン何?とあとで後輩に聞いたら、誰も受けないような裁判を引き受けることが多い、かなりやり手のベテランです、とのこと。弁論がうまいんです。仕事ができる人ですよ。
へええ。


訴状の読み上げ。
道場内での殺害現場の描写。
何せ初めてだったので驚いた。
刈谷さん殺害事件で、誰がどういうことを具体的に行い、被告は何をしたか。
彼は、実際の加害行為に、ダイレクトに加わっていた。


二日酔いなんかで来るところじゃないと、すごく大きなものに叱り飛ばされた気がした。


検察側の机に分厚い資料があるのを指し、後輩が「あれはオウム用語辞典です」と。
彼ら(被告たち)が、オウム用語を交えて話すので、検察もああいうの見ないとわかんないんですよと。


ここで初めての、社会から彼らへの歩み寄り。
断罪に向かうところに来て、ようやく。
彼らからすれば、何と皮肉な。
そんな気がした。


土谷被告は何度も振り向いて弁護士に話しかけ、注意を受けていた。
落ち着きのない、多動のような、興奮した状態に見えた。


私は、人をあやめた人を、生まれて初めて目の当たりにした。
法廷の柵の向こうとこちらの、本当に大きな隔たりをまざまざと実感した。
このひとに、これからもうじゆうはない。
このひとはひとをころしたじじつからはのがれられない。
私は土谷被告をずっと見ていた。


閉廷が言い渡された。
被告を見続ける私。
土谷被告がこちらを見た。目が合い、彼が少し笑った。


私はこのときの、この微笑を、その空間の少しざわついた状況を、どうしても忘れることができない。
ひとごろしとめがあった。ほほえみかけられた。
そんな、よくある三文小説のよくあるワンセンテンスのような状況の裏側に、
無数の積み重なった日常と、そこをつい脱してしまった結果の非日常があるということを思うと、
恐ろしくてならなくなる。


日常と非日常は地続きで、その間の境界線は、
実は乗り替わるのにさほど大きな変化を覚えないものであるとするならば、
全ての「異常と思われるような事態」は、今の自分の境遇と常に地続きである、ということになる。
わたしもだれかをころすことだってありえる。


「目があった」「え、そうですか?気づかなかった」そうか私だけかと反芻しながら外へ。
腹がへったということで店を探すものの、霞が関に貧乏学生が入れるような店はない。
「社民党のカレー食いましょう。オレよく一人で行くんです」
こいつは何をしとるんだ。


カレー食べたかどうか、記憶はない。
確か食堂は終わっていたような気がする。
で、確か、「東京ドームいきましょう。日ハム戦なら絶対入れますよ。オレよく(以下略)」とかってなって、日ハム戦に行ったような、行かないような。
いやこれは別の打ち上げか?


オウムの一連については、いまだに引っかかりがたくさん。
この後輩は本当にいろんなことをおしえてくれた?ので、心底感謝?しています。


海乃屋からの~、打ち上げ後の一コマ、ですた。

2014年11月9日日曜日

高田馬場 海乃屋閉店

昨日、知人の芝居を観るまで時間があったので、久々に高田馬場を徘徊した。
駅から、早稲田とは反対方向の小滝橋方面へ。こちら側にはあまり来たことがなかった。


時間をつぶすためのサ店を見つけるのが目的だったのだけど、駅から離れるにつれラーメン激戦区へ。
てかすごい、こんな激しい前線地帯とは思わなかった、ってほど、いろんな種類のラーメン屋がひしめきあっている。
こりゃ珈琲&スイーツ→ビール&餃子に切り替えるべきか?いやいやまだ昼間だし、これから芝居を2本観るから寝てしまう可能性を高めるのはまずい、と葛藤しながら、ひたすら早稲田通りを歩き続ける。
中には行列も。
こんなんなってるとは、ついぞ知らなんだ。


マチネに観た芝居がとっても面白かった。飢えた老女があるきっかけで万能性を手に入れ、次々とろくでもない罪を重ねていく話。
登場人物も全て貧しく報われない。
その中でたまに表れる歓びの童顔がたまらなくせつない。
役者もかなり年輩の方が多く、「まだらボケでごめんなさい」などの老害についての台詞が洒落にならないリアリティがあって、
つい、本当につい、感動してしまった。
面白かった。


ソワレまで時間がまた中途半端にあったので、徘徊再開。
駅近くの路地をなんとなく覗きこんだところ、
あれっ…
馴染みの看板がない。
「海乃屋」の看板が。
早大御用達の打ち上げ会場の看板が。
代わって、「DVD鑑賞」の輝く原色の文字が。


うそだ、うそだと思いながら、薄汚い路地を進む。
スナックや怪しげな小料理屋はそのまま。
なのに海乃屋がない。
そんなバカな。


路地の行き止まりに立ちはだかる和装ビル。
外観はそのままに、内装は明るくつくりかえられ、ギラギラと輝く店内。
踏み入れる勇気はないままに、呆然と入り口付近に立ち尽くす。


うそだろおい…


学生劇団の公演が終わるたびに、ここで朝まで飲んだ。
酒を無尽蔵に飲むという経験をしたのもここだ。
疲労と睡魔にバタバタと倒れていく同輩の中、生き残った者はひたすら飲み、食い、喋り続ける。
若人の矮小なものながら、人間関係を学んだのもここだ。
いわば学舎の1つだった。
それがなくなったとは。


料亭としての機能はあまり果たしておらず、もっぱら学生の飲み会に使われていたせいなのか。
勝手に廃業するなよ!断りもなしに!
喪失感の後に、怒りがこみ上げてきた。


くだらなくていやだと思っていた青春時代に、意外なほどに思い入れがあった自分を発見した。
だからなんだというわけではないが、
やはりショックはショックであった。


しょぼりん。

2014年11月8日土曜日

サブ気質の自覚

あー、深夜0時をまわってしまった。
ということで、いきなり連日更新成らず。
こんなときもある。


きょうは、小学校ワークショップでした。
たいがい、総合や国語の時間をあてていただいてることが多いのだけど、
今回は算数枠というイレギュラーパターン。
メイン講師の方の人柄が前面に出る進行で、
安心してサブしてきました。


と、ここでもサブ。すなわちメインに対するサブで、いわゆるアシスタントです。
最近、というか、ここ数年、というか、
ひょっとしたらこれまでの人生ずっと、
何かのサブをし続けてきたのではないかという気がしてきています。
なんというか、サブ人格。サブ適正を持つパーソナリティ。
いやいや私の人生は私のものだから、とかそういうふうに感じながらも、
気づくとサブっぽい動きをしてしまう自分がいる。
だから、ひょっとしてメインとかピンとかに向いてないんじゃないだろうか、
と、不安にさいなまれたりします。


しかしそんなふうにも言ってられないので、
サブパーソナリティながらのソロ活動の在り方を模索していこうと思います。
性格は性格。それは単なる前提にすぎず、すべてがそれに制限されるものでもなかろう。
たとえば「ケアル系の魔法の習得が早い」ってことは、活かすべき属性ではあっても、
だからといって他魔法や攻撃技の習得から遠ざける必要はないわけで。


自覚しつつ、こつこつ地道にやっていこうと思います。




2014年11月6日木曜日

家族の夢

よく、実家の夢を見て目を覚ます。
家族がひしめきあい、言い合いをしたり、仲間意識をもったり。
あっと目覚めると、ひどくドキドキしている。
もうあの場はないんだという寂しさが込み上げたあと、
成人したから家に縛られなくてよくなったんだと納得する。


よくこのプロセスを繰り返す。
なんだろう。


たぶん、幼い頃に帰りたいとかそういうのではなく、
現場が終わって人がひしめきあってるところから急に解放されたがゆえの心理なのだと思われ。
寂しさと解放感がないまぜになる。


家族は最初に意識に刻み込まれる、いわば共同体の原型なんだねーということをしみじみ。
どんな環境で、どんな振る舞いで成長したかを思えば、行動の原点が透けてくる。

2014年11月5日水曜日

ブログ再開



演助現場を、また一つ終えました。
事後処理が残っているけど、とりあえず千秋楽を無事迎えられたので、
一段落しているところ。


自主興行を打たないで人の現場に行こうキャンペーンを意識的に行うようになってから、
約3年が経ちます。
2011年の2月にリーディング、2012年の10月に小さな合同公演を打って、
あとはいろんな人とやったり、誰かの現場に何等かの形で参加させていただいたり。
多種多様をもろに感じて、過ごしてきました。


まだまだこれからも、他の現場に入らせていただくことも多いかと思いますが(そう希望しております)、
そろそろ自主興行の準備も再開し、来年末か、再来年には、
小さなものでも、1本打ってみようかなと考え始めています。
何とはなしに。


もう一度そういう願いが出てくるまではやらないでおこう、と、これまで様子を見てきたのでした。
何となくやったり、無理やりやったりするものでもないと思うので。
というか、主宰業務はかなりしんどいのです。
他の団体の主宰を見ていると、やっぱり大変なんだよねーとつくづく思い。
でもしんどいのはいくつになっても同じなんだなと実感した、というのもあります。


この数年、思考停止に近い状態で追われ続けてきたので、
そろそろ自分のペースを取り戻していこうかなと思います。
少しずつですが。その流れで、ブログも再開していこうかと。


いろんなことをぼやぼやつらねていくかと思いますが、
またどうぞ、よろしくお願いいたします。


nick

2014年8月15日金曜日

書いた書いたー。

どわー。書いた書いた。読んだ読んだ。
ここ数日、いろいろ書く作業のお手伝いというか下請けをさせて頂いていたのだが、
これがもうハイスピードで。
何かやってるうちに、別件がまた降ってきて、さらに前に出したものの直し要請が来たりして。
読んで書いてを猛ダッシュで繰り返しているうちに、速読と早打ちがだいぶ身についてきました。
ふー
そしてやっと自分の台本にリーチ。第1稿あがったーよかったー


30代半ばまで、自分のペースで作品をつくることが多かったので、
締切のある作業に追われるなんてことはついぞ無く。
いやあったけど、それは自分で設定していたりするリミットなので。
私レベルの下々でこんなにヒーヒー言うんだから、
売れっ子ライターとか、本当にとんでもないことになってるんだろうなと。


そんなわけで、3日ほど誰とも会わず、活字とばかりお話する日々を過ごしました。
先月までは毎日祭りみたいな日々だったので、この落差がすごいです。
飲みに行っちゃいたいけど、いつ何が降ってくるかわからないので、
怖くて家から遠く離れられない。
きょうトレペを買いに出たときの不安ったらない。
連絡きたらどうしよう、すぐに対応しなくちゃいけない案件だったらどうしよう。
もう完全にオブセッションですねー。


そして確実に運動不足。だけど何かしか食べる。
こうやって在宅ワーカーはものすごく太っていくんだなーと実感しました。


明日から久々に出歩き始めます。っていうか、またしばらく完全オフは無し。
こうしているうちに夏が、夏が終わってしまう予感。夏があああああ


どっかで1日だけでももぎとって、遠出してみようと計画中。
どこがいいかな。鎌倉かな。稲毛かな。
人が比較的少ない平日にしよう。


写真は先月、友人と詣でたでずにーしー。
朝から終園まで満喫してきますた。

2014年6月5日木曜日

母のドライフラワー

末期癌で弱って行き、亡くなる数か月前、母はひたすらドライフラワーをつくっていた。
台所と居間の間の仕切り布の天井近く、手の届くあたりに、
輪ゴムで止めた花束を何等かの方法でひっかけ、放置しておくと、
冴え冴えとした生花が、1週間ほどでドライフラワーになる。
それを、母は喜んでつくっていた。


あとから叔母に聞いたのだが、
ドライフラワーをつくることはあまりよくない、とのことだった。
生花を生きたままの形で殺すことで、つまり死を暗示するからだと。
私は花のミイラ化ってことか、と思った。


母が最後にホスピスへ入院する直前に吊るしていた花が、
葬式後もそのまま残っていた。
何らかの都合で、それは私の一人暮らしの部屋に運ばれた。
そのまま何年も、捨てるに捨てられず、大きな花束の形のまま乾燥しきったそれは、
さらに乾燥し、破片を周囲にまき散らしながらも、
部屋の一角を占めていた。


それを、数年前、やっと意を決して捨てた。
ものは壊れるが記憶はなくならない。
そう思ってえいやっと捨てた。
死後、何年たっていたのだろう。


親の死後、遺体をそのままベッドに寝かせておき、
「まだ生きてます」と言い張った新興宗教の信者が昔あったが、
それと似ている、と思う。


2014年5月16日金曜日


最近(にも限らないか)、よく酒を飲む。
飲むと深酒。
翌日稽古がなかったり、午前中に用事がなければ、終電なんて気にしない。


野宿は何回かやってみて、明け方が寒いことがわかったので、もうしない。
とにかく横になれるところがあれば眠れる。


飲んでくださる相手がいるということは、
本当にありがたいことです。
そのありがたさを大切にするために、
1人のときは基本アルコールは口にしない。


あと、昔、家で1人で飲んでたら、際限がなくなった上、
とんでもない自己破壊衝動に駆られたので、
こりゃあかんと思ってもうやらない。
酒は楽しい方がいい。


人と出会う場が増えれば増えるほど、
酒の席も増える。
どちらも、ありがたいことです。


しかし体がね。
ここ数日(酒量が)ハードだったので、
しばらくは休肝日に。
写真は今日の迎え酒。


明日からまた稽古。

2014年5月2日金曜日

旅烏、横浜なう。

旅烏人生。
いまはここにいます。
http://www.kaat.jp/d/nipponia
元町中華街までの定期購入。
江戸清の肉まん片手に通ってます。


稽古3日目。ラスト本読みテーブル稽古。明日から立ち。
もう仮組してあって、仮道具も揃えてくださってる。
とってもありがたい環境で稽古させて頂き、あらゆる物資の欠乏が常態の小劇場育ちな私は、日々感動でうちふるえております。


いろんな現場に行くのは、本当に大変だけど、本当に楽しいし、本当に勉強になります。
特に新派や新国劇の方々と接するのは初めてなので、刺激的です。


作品のモチーフは『瞼の母』の作者、長谷川伸。
資料として何本か戯曲を読みましたが、リズムよしテンポよし、人情ものの時代劇で、とっても面白い。
台詞も、読んでも聞いても気持ちよく楽しいです。


封建的な関係がどうも苦手で、時代劇敬遠してたけど、そんなのぶっとばすほどにドラマが吸引力を持っている。


これを機に、長谷川伸の戯曲を読みまくろうと思います。
うー楽しみ。

2014年3月18日火曜日

同乗者

さっき、図書館に本を借りにいった。
図書館は施設の4階。
エレベーターに乗り、ドアが閉まりかけたとき、スーツを着た男性が向かってくるのが見えた。
「開」ボタンを押してドアを開き、乗り込むのを待ち、「閉」ボタンで閉めた。

少しの間の後、男性が呟き出した。
密室ゆえ背筋が冷えたが、仮に発信先が他者だとしたら、それは私。
なので、一応耳を傾けてみると、
「僕は日本語がわからないんだ」と繰り返している。
「僕はわからない、日本語がわからないんだ」

二人で狭い箱の中にいる緊張に耐えられず、
自分が日本語をわからないから関係をつくることはできないよ、というエクスキューズを述べているのだろうか。
ならば裏目ってる。緊張感が増している。

4階に着いた途端、双方飛び出すように箱から逃れた。
人が多くいたので、さっと紛れる。
男性も、速足で奥へ向かっていった。

こんな昼間に、スーツを着て、図書館なんかに、なんでいるんだろう。
その後、目で探しはしたけど、もう見当たらなかった。

本を借りにきたのか。読みにきたのか。
それともその振りをしにきたのか。
日本語を勉強しにきたのか。

帰りのエレベーター同乗者は、バラバラの関係の女性三人だった。
無言で乗り、無言で降りる。

日本語がわからなくても大丈夫だった。

2014年2月23日日曜日

夜歩行。

東京にいると本当に金を遣う。
芝居観て、友人と飲んで、電車に乗って、たまにタクシー乗らざるを得なかったりして。


昼間、特に午前中は、仕事と呼べることを意識的にする。
ので、外出は午後以降が多く、
人に会うのは夜が多い。
ので、夜に歩くことが多い。
なせいか、夜の街灯やコンビニの明かりに馴染みがどんどん深くなる。


今日は少しだけ寒くない。
もうちょっと歩いて帰ろう。

2014年1月8日水曜日

ミサキの新年会

今日は、友人MiSAKi主催の新年会でした。
カフェ併設の小アトリエロビーにて。
てか、千歳船橋のAPOCシアターだす。


ほぼ全員初対面に近い状態でしたが、みなさんたおやかでノホホと呑みました。
人間交差点の中心地ミサキが一番緊張してたな。わかるけど。


愛とか恋とか、座組内でたくさん生まれては消えしたんだろうなと。
そんな、不思議な絆?が見え隠れしました。
面白かった。


写真は、いつかどこかで、たぶん酔っぱらって撮った夜道。
全く記憶にない。

2014年1月7日火曜日

眠れんし

日中コーヒーを飲みすぎてるのか、
最近夜中に目が冴えてしまうま。

酒は呑まんようにしています。
せめて人と会う予定の無いときは。

起きよっかな。眠ろうかな。
そんなモヤモヤのうちに、時間がどんどんと。

写真は去年秋の荒呑み時の。
友人のコントライブ後に6時間、三軒ハシゴ。

美味しいビールでした。

2014年1月6日月曜日

日曜

食べ物の写真ばかりですが。
年末に、これまた後輩?にいただきました天むすです。


大晦日に、毎年差し入れをしてくれます。
昨年は二人でパエリアをいただきました。
そして毎年、紅白までにわかれます。
なんだか恒例になってきました。
いつもありがとうございます。


今日は1日、片付けをしたり、料理したり。
来週のイベントの準備をしたり。
でも、久々に作業めいたことをしたら、集中力が全く続きませんでした。
ヤバイヤバイ。


少しずつでも、取り戻してゆかねば、です。

2014年1月4日土曜日

銀ブラ。

銀座をブラブラすることを銀ブラと言うそうですが、
本当に銀座はブラブラしてるだけで楽しいところです。

銀座界隈に詳しい友人?後輩?と一緒に、築地から東銀座を抜けて有楽町へ。
ぐるりと回って、日本橋まで歩いてわかれました。

有楽町では昨日パチンコ屋で火事があったとのこと。
キープアウトのラインが貼られて現場検証が続いており、
まだ焦げ臭かったです。

三越でチーズケーキをいただきました。
たまにはこんな日もあってよいかと。

明けちゃった

あけましておめでとうございます。

昨年中はとっても慌ただしいままに過ぎました。
あっちゅう間。

今年はしっかり歩んでいけたらと思います。

よろしくお願いいたします。


写真は、手作りメレンゲプリン。
年末のパーティーでいただきました。
手作りって、いいなあ。