2008年4月5日土曜日

【COMIC】Gallerly Fake

これも友人Tが貸してくれたもの。
っていうかヤバイ、はまる。


Wikipediaよりあらすじ↓
表向きは贋作・レプリカ専門のアートギャラリー、「ギャラリーフェイク」を舞台に、

主人公であるオーナー、藤田玲司が、様々な登場人物と絡みながら、
時に世界を駆け巡りながら、絵画、彫刻などを通じて「アートとは何か?」を問いかける。


まあ言ってしまえばそうなんだけど。


シティハンターと美味しんぼとマスターキートンと各種アートを鍋に入れて、
くつくつと煮込んで調味したら、至宝のスープができました、
みたいな。


うまく言えません。


2005年には、テレ東深夜枠でアニメ化されていたようです。
youtubeにもありました。


基本、一話完結。
ヒューマンドラマ。
人間を、アートを、人類の営んできた愚行も含めた長い時間を、信じる気持ちになれます。


しかもアートとして扱っているものの裾野が、広い、広い。
絵画や彫刻などの、いわゆる西洋的芸術作品のみならず、
南米の遺跡やらシルクロードの仏像、日本の根付、アフリカの面など、
実に多様なものを「アート」として、審美の対象とする。


この作品に挑んだ漫画家、細野不二彦はそーとーに偉大だと思います。


ブックオフで立ち読み、とかでもいいから、一度読んでみてください。


漫画ってすげえ。

【COMIC】ライアーゲーム

漫画のほうが、絶対面白いです、コレ。
絵が尋常じゃない、ときがある。
特に人を裏切るときの人間の表情が秀逸。
漫画好きの後輩?友人?Tが貸してくれて、読み始めました。


しかし、バトルロワイヤルあたりからでしょうか、
こういう理不尽ゲームに急遽一般の人が放り込まれ、
戦わざるを得なくなる、っていう設定。
バトル〜では、武器をもって生き残りをかけて戦う肉弾戦でしたが、
ライアー〜は、金を増やす頭脳戦、マネーゲームです。


いずれにしろ、何らかの比喩なのでしょうね。
理不尽なゲーム。理不尽な社会。理不尽な競争。
人間が淘汰されていく現実。


共通していることは、誰も望んでゲームに参加しているわけじゃないという点。
特にとっかかりにおいて、
一部の資本家なり、一部のルール作成・施行者なりにより、
強制されているとする点。


たいがい、「さあ、ゲームの始まりです」と、開始を誰か(レフリー?)が宣言します。

……


このフレーズ、本当にもう嫌になります。
日本中を震撼させた神戸の事件で、少年がメディアや警察に送りつけた手紙の中の、
印象的なフレーズだからです。


一方的なゲーム開始宣言。
次ハオマエヲ…オマエノ娘ヲ…。
神戸のみならず、列島中が「ひょっとしたら自分も、自分の家族も殺されるかもしれない」という猜疑心と不安に突き落とされました。
あの衝撃は、忘れられません。
たぶん、その時までに、社会的にいろんな芽は出ていたのでしょう。
ですが、その源が、14歳の少年にあったという時点で、
想像以上の闇があるのではないかと身につまされました。
そしてあれは明らかに、
テロルです。


………


社会対個人。
この非対称性について、もう少し考えを遊ばせてみようかと。

2008年4月4日金曜日

朝焼けの空に

白い花弁が冴え冴えと。

ここわどこだ

飲んで、飲んで、飲まれて飲んだ。


ケニアはナイロビから一時帰国した、通称『兄貴』とバカ飲み。


何があったかよく分からず。目を覚ますと見知らぬ天井があり、隣で友人が本を読んでいました。


ただいま早朝5:30、ようやく帰路。


こういうつながりは大切だと思うー。
地球の裏側で、下ネタばらまきながら、研究しつつ、育児をする兄貴。


土産話を肴に、みるみる酒に呑まれていく友人と私(私だけか?)。


ボトル二本目から記憶がないです。


肩が凝る。
カラオケボックスの椅子はやや固かった。


何やってんだろ、あたし。

2008年4月2日水曜日

昔はかわいかったね

部屋の中の、
あまり手を触れていなかった引き出しやら何やらを、
ひょっとしたら10年ぶりくらいに整理してみたところ、

9割が不要なものですた。

はい捨て、ほい捨て、これも捨て………


必要なものが、ひとっつもない。
ってかむしろゴミ?


古びた割り箸とか、コンビニのストローとか。
あとは大量のライター、ライター、ライター、ライター……
100個くらいかな。数えてないけど。
あと、旅行先でくすねてきたホテルマッチ。
韓国、タイ、カンボジア、グァム。あぁー懐かしいなあ、と思いながらも整理袋にポイ。

タバコを何故か吸わなくなってしまったので(単にまずくなった)、
喫煙グッズは不用品。
喫煙者の父に進呈することにしました。


しかし、こんなにも大量のいらないものを、
しごく大切に引き出しにしまってきた自分の10年間を思うと、
いろんなものの象徴みたいでいやんなっちゃうよ。


写真は、
ハタチ前後にお付き合いさせて頂いていた方に、
バレンタインケーキだかクリスマスチキンだかを焼いたときに立てた「フラッグ」です。

暇人だったねアタイ


暇ならかわいくなれんのかしらね


写真だけ撮って、ゴミ袋にポイしました。
こういうものを、すごく大切にとっていたんだと思いながら。


ゴミって要は、キオクってことなんですかね。

2008年4月1日火曜日

生者は死者の面影を忍び

今日は
一年に一度の花見でした。

毎年の、恒例の、花見。
@靖国。
ウ○クじゃないけど。


でも今日は一人欠けていた。


人は亡くなるものだと、頭では分かっているけれど、
気持ちの上では、正直よくわからない


人間は動物で
死んだらいなくなる
それだけのこと
ただ それだけのこと


納得は行かないけど
ただ受け入れるしかないままに
みんなとどんちゃん
騒いで飲んで


寂しい人も
悲しい人も
戸惑う人も
楽しい人も


たくさん
たくさん
いるけれど


ありきたりだけど
生きてるならいいんじゃないかと
思いました


やっちゃん
かーちゃん


花はきれいか
酒はうまいか


もう一度会いたいよ


一緒に酒を飲んで
いろんな相談ごとをしたいよ


死は本当に
理不尽だなあと

にくまん

【EVENT】「NYTWの創作環境」@芸能花伝舎 in 西新宿

http://www.alles.or.jp/~rinkogun/nytw.html


先日、「ニューヨーク・シアター・ワークショップの創作環境」というレクチャーに行って参りました。
NYTWとは、ミュージカル『RENT』をつくった劇団です。と聞くと、ふーんそうなのかと思いますね。
ここの、経営やら劇作方法やら、製作や広報活動についてのお話です。
よその台所事情を知りたくて、覗き見気分で西新宿へ。


NICKのPR姫、高田嬢に同行して頂きました。
おもろくなかったらどーしよーとドキドキしつつ。


会場の芸能花伝舎は、西新宿にある、元は小学校の建物にありました。
軽く迷って校舎の入口に辿り着くと、見覚えのある顔が。


あー誰だっけ。


コバケンでした。


その隣にバナナマンの日村。


思わず挨拶。


テレビで見慣れるって、こういうことかと思いました。
あまりに見慣れてるから、つい知り合いのようになってしまう。
こういうことなんですね、芸能人になるって。
みんなの、お隣さんになるという。
と、一視聴者としてとても納得。


クマモト出身の高田嬢は「トウキョーってこうなん?こうなん?」と興奮しておりました。
トウキョウ生まれヒップホップ育ちの私は、動揺を隠すのに手一杯でした。
シルバニアファミリー級コモノ。


レクチャーは、個人的には興味深いことがたくさん聞けてよかったです。
ただ少し気になったのは、アメリカでは、「演劇は死に体のメディアである」とされて150年ほどあるということ。
マイナーな娯楽or芸術とされてるんですね。
それにやっぱ、アメリカってまだ歴史浅いんだなーと。
(少し得意になる私。歌舞伎でさえ、メジャーなの数本しか見たことないくせに。)


日本には、演劇が伝統として根付いている、との話も出ました。
そうか、よそから見れば、やっぱ雅楽や能や歌舞伎の存在ってでかいんだなあと得心。

それと、やっぱりここでも、「食ってくのは大変」って話が出たとゆーこと。
どこでもそうなのねと、少し元気づけられました。
と、レゴ級コモノ。
はい、私、どこまでいってもコモノです。


しかしまあー
地球の、どこか違うところでも、
よい舞台をつくろうと四苦八苦している人たちがいるんだなあと思うと、
背筋が伸びると同時に、
負けてられないなあ、と、
単純な私は思うのでした。
もっともっとがんばらないと。
まだまだ甘い、甘い、甘い。
もっと何かできるはず。


と、
心から思えました。
なので、行ってよかったです。


広いですね、世の中。


広さに、少し安心。


にくごろまんじゅう