2015年3月22日日曜日

夢を見た

恋人ができる、というか、思いが通じる夢を見た。
金髪で丸顔の、ほっぺが赤い、半ダメだけど骨がありそうな奴だった。
と、ふと思ったのは、それは男として生きた場合の自分の姿ではなかろうか、ということ。


「半身を探して」といったような恋の歌はよく聞く。
そのたびに、恋愛など自己撞着の同一線上にある他者に対する誤解が同時に起きるようなものだ、と考えるようになった。
その動機となるのは、異性(あるいは同性)への興味だったり、性欲だったりする。


それも一つの考え方ではあるだろう。
でもたぶんそれは、幼い。
そして夢が、幼い自分を思い出させた。


恋愛でなくても、思いが通じあうことはあるし、それはとても貴重で奇跡的な瞬間だ。
それは自分と相手を宇宙的な立ち位置で認識することなんじゃなかろうか。


と、ここで、いまテキストとして扱っている戯曲「動物園物語」の影響だわ、と気づいた。
良質な戯曲と向き合うことは、人間ということ、生きるという事について、様々なことに気づく契機になるのだな。


何と豊かな。

2015年3月15日日曜日

大混乱なう

日々、目まぐるしすぎる。
心を亡くすと書いて忙しいとは、本当によく言ったものだと、
月並みな感想を、深い実感を伴って抱いたりする。
オフの時間を確保するのに、戯れにゲームをしてみたら、
それがFBのタイムラインに載っちゃって、
「てめえゲームしてる暇あるんか」と突っ込まれたり。
そうだよね、余裕をなくすような状態をつくってしまっている私の咎で。
ああ、よろしくないねえ、よろしくない。


おまけにダブルブッキング2発。
自分で組んだ稽古予定を、自分の手帳に書き写し漏れ。
完全に自分のミス。
謝るしかない状況で、とにかく謝るしかないのだけど、
これっていったいなんなんだと。
いい加減、自分のキャパオーバーぶりに驚く。
こんなこと、今まで一度もなかった。


そしてあちこちで暴発。
喧嘩を売る、買う、売られてないのに買う。
私の意に反して、自我が暴動を起こしているとしか思えない。


何なんだろう、このアンコントロール。
言われるままに、思いつくままに、いろいろ抱えていったら、こんなことに。
いや抱えたのは、そもそも何故だ?
抱えたかった自意識は、何を求めて抱えていった?
このままでは自分のみならず、周りも傷つけ続ける。
なんたって、自己内テロが起きている状況なのだ。


私一人で出来ることなど、たかが知れてる。
オーバーヒートした自意識をどこかでオフって、
周囲を見渡す余裕を持ち直さなくては、
これは完全に破たんする。


落ち着け。
落ち着け、私。
王様の耳はロバの耳。