2018年12月31日月曜日

今日の落書き 20181231

『芝浜』を思い出すようなご来光を臨みながら起きる。朝です。
夜がもたなくなってきたのはいつごろからか。
あるいは、少し夜更かしをすると、翌日にその影響がてきめんに出る。
おかげで大きな無理をすることはなくなったが、その分進まなくなることもある。
でも、体力を過信しなくなったのはどちらかというと望ましいことだと思う。

抜け毛がひどくなってきた。季節の変わり目の動物でもあるまいし、明らかに加齢によるホルモンバランスの変化なのだと思う。
一見すると30代からあまり変わっていないようでも、確実に変化は起きている。体臭も変わった気がする。
良いも悪いもない。ただ、そういうことだというだけだ。

食べる量も減ったし、食べ物の嗜好も変わりつつある。
精神バランスをとるために過食に頼っていた体も、代謝が落ちたためにまず消化器が悲鳴を上げた。
自ずとこの先のことを少しずつ考えるようになる。
残り時間の砂時計のことも。

母は54で亡くなった。ステージ4の胃癌が発覚したのは50の頃か。
同じ轍を踏む気は全くないが、身近な前例としてどうも意識してしまう。
自分はあと半年ほどで43、母の人生の千秋楽に追いつくのは11年後。
そう長い時間ではない。

この中で、何ができるのか考える。
そこを越えられたら、次のことを考える。
意識しすぎることは妙に自分を縛ってよくない気もするが、
追い抜いていくごとに「悪い、もう少し先いくわ」と一言挨拶をしたい気になる。

大晦日だろうが何だろうが、締切をとっくに破った原稿を書くだけである。
明日の元旦だけは休む予定。

年が変わる、元号が変わる。
そうは言っても、今日の連続。

おはようございます。
今日は紅茶からのスタートです。

初めて描いた猫。←どちらもツクリが苗。手へんに苗、けものへんに苗。どういう仕組みでこうなったんだろう。

2018年12月30日日曜日

今日の落書き 20181230

ふと気が付けば、今年がもう終わる。
マンションの各階ダスターシュート扉が昨日ロックされていて、
「何を理不尽な」と憤りかけたら、もう年内ごみ取り納めは過ぎていた。
驚いた。
私は何も変わってないのに、周りが未来を予告してくる。
こうやって一生が終わるとしたら、何と恐ろしいことだろう。

色筆の使い方に少し慣れてきた。色って難しい。
色だけで形あるものをつくるとなると、境界線がぼけてくる。
黒で引く境界線というものは、ものごとを強制的に形作る。内と外を分ける、分けてしまう。

黒を身に着けるとたまにそういう気持ちになる。
ここから先は入って来ないラインを体に貼りつける。
いつもそういうわけではないけど。たまに。

今日は紅茶にした。淹れ方にはこだわらない。パックに茶葉をどしどしと詰めて湯を注ぐ。

大変乾燥しておりますが、大変よい冬晴れの空。
同時に洗濯機を回そう。

おはようございます。

2018年12月28日金曜日

今日の落書き 20181228

心を落ち着けるには書道がいいとは誰が言ったか。
もう何十年も筆を持ってない、ましてやワープロ・パソコン・携帯と、字を書く機会が減っているものだから、
体が字を書くことを忘れている。

文字が並んだときに、線が見えるようにするといいんだよと、
誰かが教えてくれた気がする。気がするだけで、自分でそう思ったのかも知れない。

いまある葛藤と、
全く関係ないことをすると気が紛れる。
全く関係ない人と会うと気が紛れる。

その心持ちで、まずは茶を淹れることから1日を始めてみる。

おはよう、世界。

2018年12月23日日曜日

今日の落書き。20181223

毎日リハビリにやろうと思っていたのに、いきなり昨日飛びました。こんなもんです。薬も毎日飲めない。
とにかくルーティンが苦手です。

朝から心ざわめくことがあり叫び出しそうになったので、ひとまず魂鎮め。おさまれ私。そう私。

感情に支配されないように、感情を支配しなさい。
Control your temper, so as not to be controled yourself.

かつて英語の先生からいただいた年賀状にありました。齢13の私に向けて。
約30年たった今、再びこだまし始めています。

どうしよう。
うん、まず茶を淹れよう。そうしよう。
今日は、ほうじ茶からのスタートだ。


おはようございます。
曇り空が素敵な東京の朝。

あっという間に

メール打ったりデータつくったり、パソコン前に座ってるだけであっという間に日が暮れる。
一昨日の打合せ、びっくりするほど会話ががちゃがちゃになってた。リズムで会話できない。
ささやかな世間話にも「高熱を出したが水をたくさん飲みながらでも仕事のために外出する?それはどういうことですか?」と引っ掛かって進めない。

こうやって少しずつ何かが損なわれていくんだな、さらさらと。と改めて思った。

書を捨て、パソコンを捨て、スマホを捨てて、街に出るとよいのだろうけど、寒いし行く宛もないし。
体調も優れないのでねえ、と言い訳をたくさんつけてまた引きこもる。

身をすくめたまま息を潜めて暮らす。
明日もお日さまに会わずに終わるのだろうか。
今日は近くの銭湯でやってた柚子湯に入り損ねたのが心残りのまま、急ぎ朝日の襲来の前に寝ます。

2018年12月21日金曜日

今日の落書き。

作業に打ち込む日々が続き、何かが壊れてきたので、ちょっとリハビリの試み。いつまで続くかね。

2018年11月9日金曜日

人とつながる回路。

先日、スマホに流れてきたとある事件のニュースで、その犯人がFacebookをやっていてこんなコメントがあったと書かれていたので、ふと思い立って検索してみた。
どんな日常を送っていたのか気になった。

食べたもの、町並み、行ったイベント…そういった写真に、ハイテンション気味の楽しげなコメントが付してある。
しかし、それらのどこにも、自分も他者も写り込んでいない。常に風景のみ。常に一人分の食事のみ。

この人は、常に一人で行動しながら、過剰に楽しい日常を演出し続けていたということか。
蓋を開けて見れば、過去にも多くの未遂事件を起こしていたという。ストーカー行為含む、性犯罪めいたものが多い。

岡目八目で周りからは何とも言えることだろうが、
人と繋がりたい欲求が強いあまりに、自らその回路を破壊しているように見えるのは、私だけか。

あるいはコミュニケーションにおいて、常に過剰さを求められているような気に陥った結果、一人を選択したのかも知れない。
わからない。

ただいずれにせよ、自分の中に地続きな弱さを見て、少し立ちすくむ。
そしてまた思う。
この人と私は、遠くない。


カポーティ『冷血』を思い出す。
死刑囚のドキュメンタリー取材をしているうちに、対象の中に自らを見いだす過程こそがドキュメンタリー化していく。社会性に担保されていたリアルが認識の作り上げるリアリティに侵食されていく。

我に返るために必要なことは、肉体に直接与えられる即物的な刺激だけのような気がします。
生活の細々したことや、食事をしたり、セックスをしたり、筋トレをしたり。


日々のささやかな営みが、他者とつながるための精神の健康維持にいかに大切かに思い至る。
大切に、過ごそう。

2018年10月24日水曜日

夜の来訪。

とんとんとんとん。とんとんとんとん。
ご近所付き合いも一切なく、宅配の再配達依頼もしていない中で、
21時半を過ぎてドアをノックされるなんて、まずまともな状況ではない。
先週しつこく食い下がったN〇Kの集金人かと思い無視していたら、「すみません」と女性の声。
よほど用事があるのだろうと思って開けたら、子連れの若い女性と、恐らく60代半ばと思われる女性が、二人揃って覗き込む。
思わずいったんドアを閉めてチェーンをかけた。そんな方々に、夜に来訪される言われは全くないのだ。

聞けば、マンションの下のフロアに住む方々で、騒音で夜も眠れず、原因を探して歩いているとのこと。
女性二人は親子ではなく隣人同士で、ご高齢の方が被害に遭われているらしい。
昼夜問わず響く重低音に、心臓がおかしくなるほどに悩まされているという。
今は寝るために別室を借りているとのこと。

私は、自分は一人静かに暮らす身であること、駆けまわる子供もいないこと、
洗濯機を回す時間も気を付けており、テレビもステレオもない暮らしであること、
家にいる時間帯はごく短いこと、などを告げ、何か気づいたことがあればお伝えすると述べてその場を終えた。
思わずネットで見ていたニュースの音量を下げたが、その程度の音が他部屋に漏れているようなら、互いの暮らしはもっと筒抜けなはず。
バカバカしくなって音量を戻した。
おまけに、妙に自分の生活が寒々しく思えてしまった。

他者と共存するというのは、いったいどういうことなのだろう。
私は立派な両親のおかげでマンション暮らしが長いけど、昔は私程度の収入の町人は、おそらく長屋暮らしが多かった。
幼い頃に家族で暮らした都営アパートは長屋のような感覚が残っていて、隣の家にひょいと醤油を借りにいくような関係性だった記憶がある。
今はそんなときはコンビニに走るだろう。隣人と話す機会など、まず無い。

とんとんとん。とんとんとんとん。
先ほどのノックの音で、その結界が破られたような気がした。
正直、すごく怖かった。取り立てられるような借金は、もう無い(はず)。新聞もとっていない。
ドアチャイムもあるのに押さない。あくまでノックのみ。
その、プライバシーを脅かされる感覚ったらない。
「すみません」の声が女性でなかったら、絶対に開けなかった。
でも女性であるからといって油断はできない。
理由なき殺人がこんなにはびこる世の中なのだ。

「なんでしょう」扉を開けた私は、正解だったのだろうか。無防備すぎるのではあるまいか。
ひょっとして、子供を含んだこの3人連れは、界隈をリサーチしているのかも知れない。
指を1本ずつ、鼻の孔に入れてこちらを見ていた男の子。君は自分の役割をどう任じていたのだ。
そんなコケティッシュな振る舞いが、大人の警戒心を解くと思ったら大間違いだぞ。
どれだけこちらが馬鹿を見て生きて来ていると思っているのだ。子供の馬鹿など、大人の馬鹿に比べれば、たかが知れている。
自分の馬鹿も含めた話。

などと、妙に怖い思いをした。
いま、横溝正史ワールドに関わっているからかも知れない、隣人が怖い。
哀しい時代になったものだとも、同時に思う。
隣人に素直に扉を開けられるようになる日は、また来るのだろうか。

2018年10月15日月曜日

現場潔癖症。

現場内恋愛というものが、昔から苦手であり、嫌いである。
たぶん、学生劇団の頃についてしまった癖なのかも知れない。
ユニットに参加したり、自主公演を打つようになったりするうちに、それが確信というか、
信念に近いものと化していった。
おかげで未だに生活に下ろす錨はないまま、漂泊の身である。

学生劇団の頃は、みなさん学生であるわけで、誰が好きだ、誰がふられただの、数多くあった。
浮気をしただのされただの、誰とかれとが別れただの、噂の種が尽きることはなかった。
稽古のない日にわざわざ楽屋でノートを広げ、
先輩と1日中、人物相関図をつくりながら噂話に花を咲かせた。

と、楽しかったのはそこまで。
学生であるままに、学外のユニットに出演した際。
打上げで、若い二人がくっついた。というか、買い物に行ったまま戻ってこなかった。
他の役者が「あの二人、付き合ってるんですよ」と主宰に笑い半分でチクったら、主宰は激怒した。
「みんなで汗かいて必死に芝居つくってるときに、あいつは女のことしか考えてなかった。
あいつが芝居できないせいでどんだけ周りが苦労したと思ってんだ。破門だ」

破門という言葉を日常で初めて聞いたし、
確かにそいつはどうしようもない奴だったので、驚き半分、納得半分でそのときはおさめた。
その後、戻ってきたそいつが主宰に土下座していた記憶がうっすらあるが、打上げ会場で見た夢かも知れない。

今思えば、それが主宰にとって最後の賭けのような公演で、
経済面でもよほど苦しい思いをしたらしく、そこでユニットをたたんでしまった。
でも、そんな苦しい公演だったからこそ、現場の誰かは恋愛に逃避したのかも知れない。

それ以来、そのことがずっとひっかかっていた。 
そして、自分が正にその主宰の立場になったとき、ほぼ似たような経験をして、おそらく同じ感想を抱いた。
恋愛は生きる上で大きなモチベーションになる。芸術活動においてもそうだと思う。
けど時として、その甘美さゆえに、目の前にある闘うべき現実から逃げる口実となってしまう。

恋愛は虚構である。
演劇における稽古は、虚構をつくりあげるための営みである。
前者は果てしなく甘美であり、後者は甘美さに至るには厳しい局面をいくつも乗り越えなくてはならない。
誰が後者を自然と望むだろうか?

恋愛をするのは勝手である。どうぞ好きになさったらいい。思う存分、惚れた腫れたをすればいい。
だが稽古場に足を踏み入れたら、そこにある最優先課題は演劇であってほしい。

金を払って見る客は、裏にある恋愛事情など関係ないのだ。
その芝居が面白いか否か。ただそれだけである。
瞬間瞬間の積み重ねに対し、どれだけ真摯でいられるか、楽しく、厳しく、向き合えるか。
チャラチャラしている暇は、一瞬たりともない。
惚れるとしたら、演技であれテクニカルであれ、その相手の仕事に恋をするのが筋だと思う、

間違っているだろうか。
私は頭が固いのかも知れない。

深夜の戯言でした。

2018年10月13日土曜日

深夜のぐずぐず。

自分は才能がないから自分の公演も打たず、人の公演の手伝いばかりして演劇をやっているような気になり、
一番行うべきことを先延ばしにし続けているのではないか。

そういった葛藤に捕われだしたら止まらない。
自分は永遠の便利屋となって、そのまま宇宙の藻屑と化して行くに違いないという、
粒子レベルに粉砕されただいぶ先の自分の変わり果てた姿までを夢想して、
現世に暮らすことの儚さ、そして自分の勇気の無さを呪う。
呪った挙句に鬱になり、卑屈になり自分を責め、飽きた頃に勝手に「まあいいか」と自動的に切り替わる。
便利だか不便だかわからないこの性格を自ら把握するまでに40数年かかっている。

公演を打つというのは、とっても大変で、地味で、金がかかってエネルギーもかかって、
とにかくやることが多い。
一人主宰だとなおさらだ。
手折り込みだって一人でいく。1000部のチラシをかついで行って肩を壊しかけ、おまけに稽古に遅刻して自己嫌悪する。
赤字が出たらぜんぶ背負う。そして毎回確実に赤字は出た。それも自分の予算配分が下手なせい。
終った直後からバイトに励み、ある日、帯状発疹で動けなくなった。
医者に「頑張りすぎちゃったね」と言われた。2週間、強制的に活動停止。
それ以来、通常規模の小劇場公演には手を出していない。
無理だなぁ、と思ったから。
限界だ、と思った。

今は、たまに小さな企画を打って、あとは修業やら仕事と称して他の現場にお邪魔したりしている。
でも、何だかそれも、もういいかなって思えてきた。

どの企画も勉強になるし、興味深いし、精一杯働こうと考える。
どの現場にも、呼んでいただけるのは本当に、本当にありがたいことだ。
しかも生活に直結しているからなおさらだ。

でも、その先にあるものは何だろう。
今の私のやり方の行きつく先は、究極の便利屋になるだけなのではないだろうか。

…などといった迷いが立ち現われた。
いやそれはもう何度も現れては都度消していたのだけど、もう消せないレベルにまで来ているようだ。

といったところで、現場に入れていただけるのは楽しいし、思わぬものを発見したり、
自分だけでは絶対にやらないことをやることになったりする。
えーって思うこともあるけど、まあやってみればそれはそれでどうにかなったりもする。
関わる人によって習慣が違ったりもするし、共通することもあるし、
どこにいってもやっぱり舞台への興味は永遠に尽きない。

でも、本当に、このままでよいのだろうか?

といったところで、やらなくてはいけない作業は目の前にあるし、明日も稽古があるし、生活は日々続いて行くし。
突っ走るしかないんだけど。

本当に、このままでいいんだろうかと、ちょっと立ち止まりたくなってみただけ。

今の環境に、心から感謝しています。
それは変わらない。

ただ一方で、どうにもならない葛藤が、無視できないレベルになってきているのも事実。

というわけで。
そろそろ、新作について、本気で考えだそうと思います。

でも、それはそれで、ぐずぐずと。


おやすみなさい。

2018年10月7日日曜日

風呂の蓋の効用、つまり日常における価値の再発見。

うちの風呂には贅沢にも追い炊き機能があるのだけど、なんだかあったまらないなぁと思っていた。
40度で設定しているのに、入ると体感38度。ぬるま湯。
もう故障か、いくらこれでとんでいくんだろうと思っていたが、
ある日ふと、「蓋をしないでわかしているせいなのではないか」と思い立った。
ためしに蓋をしてわかしてみたら、ちゃんと体感40度の、入った感のある温度になった。
風呂の蓋の効用。
その再発見。

甘く見ていた、風呂の蓋。君はあってしかるべきだった。
掃除がめんどいから、風呂に入っている最中には単なる邪魔なものだからといって忌み嫌っていた。申し訳ない。

風呂の蓋の効用。知らずに無碍に扱い、不都合に首をひねる。
こういったことが他にも多くある気がしてならない。
えっそれそういう意味があったの?知らなんだ~。なんだ、知ってたらもっと早く使ったのに。
気づかないうちに、何かのポイントを逸らし続けてしまっているような気がした。
立ち止まって、改めて見つめ直すことの大切さを知る。

これもまた、風呂の蓋の効用。

ありがとう、風呂の蓋。

これから思うままにあたたかい湯に浸かれると思うと嬉しい。

2018年10月4日木曜日

久々の更新。

毎日毎日、メールを打ったりデータをつくったり電話したりしているうちに日がたって、
いつの間にか、今年もあと3ヶ月というところまできてしまった。

年始にたてた目標をどれくらいクリアできたのかわからない。
そもそも、目標などどこかへ行ってしまった。

トマトが安くなったなぁと思ったら夏が来て、
トマトがまた高くなったなぁと思ったら秋に突入していました。
トマト100円以下、ありがたかったなぁ。
ほぼ毎日、トマトと何かをどうにかしていただいて暮らした2018年、夏。

色々あって、トルコのチェシュメに10日くらいお邪魔したことを思い出す。
陽光が強いせいか、野菜の味がすごく濃かった。
トマトと山羊のチーズを焼いて、バゲットに乗せていただいたのが、シンプルでとても美味しかった。
エーゲ海でちゃぷちゃぷした。

今年はろくに酒も飲まず、バカンスにも行かず、時間があれば何かしらして過ごしてきた。
いつの間にか歳をひとつとっていた。

今年はろくに本も読めていない。
乾いているのか、潤っているのか、よくわからない。

ニュースもちゃんと追えてないから、社会がどうなっているのかよくわからない。
でもそのニュースも、本当に社会を映し出せているのか心もとない。
結局は自分の感覚に頼るしかない、というところに帰ってくる。

自分の感覚がどこかにいってしまいそうな気がしたので、更新してみた。
また思いつきで何かメモ書きします。

nick

2018年3月24日土曜日

それは私だったかもしれない。

宗教、特に新興宗教ときくと、金光教でもサイエントロジーでもなく、どうしてもオウムがぱっと浮かぶ。
新宿の歩道橋でショーコーショーコーと歌っていた白い服の信者たち。頭に乗せた派手な色の被り物。同じ部活の誰かが、そのとき配布されていたカセットテープを受け取り、放課後みんなで聞こうとしたが、確か怖くてできなかった気がする。なぜか引き取った。捨てた記憶がないので、まだ実家のどこかに眠っているのかも知れない。

1995年の3月20日、大学の科目登録の日だった。中高時代あまり話したことのない同級生が同じ学部に進学したので、登録科目を相談しようとキャンパスで待ち合わせをした。横浜方面からくる彼女から「電車が動かない」と連絡がきたまま、一向に来る気配はなかった。まだ大学に友人など誰もいない状況で心細いまま、その日は会えずに終わったと思う。あまり記憶は定かではない。

その後、どんどん事件化していった。上祐というオウムの広報担当の露出が増え、国松長官が襲撃され、村井は殺害され、5月になって麻原が逮捕された。
翌年4月に、とある知人警察官より酒の席で「麻原がどこにいるのかわかっていた。階の間に秘密の部屋があったんだ。信者が近所でメロンを買っていたことで足がついた。メロンは麻原の大好物なんだ」と聞いた。それが本当だとしたら、何と詰めが甘い逃亡者だろう。

自分にとって何よりも衝撃だったのは、必死で受験勉強に打ち込んだ挙げ句に入った大学や、何度も赤本で入試問題を解いた大学の、正にその出身者が幹部及び実行犯の主だったメンバーだったこと。彼らは生きることの充実感を、当時その宗教組織で十全に得られていた。その先に犯罪行為があった。それらが感覚的に理解できるような気がして、ショックだった。
私もそこにいたかもしれない。

自分は懸命に、何を目指してきたのだろう。
たかだか18年の人生だが、当時の私にとっては過ごしてきた時間の10割だ。

大学何年目のことかすっかり忘れてしまったが、学生劇団の打ち上げで朝までうだうだしたあと、法学部の後輩(といっても二浪で私と同じ年)が「傍聴いきましょう」と言い出した。学生の悪ノリで、何人かで東京地裁に向かった。傍聴券を入手できなかった一人を残し、何人かで厳かに、酒臭い息を封じながら法廷に向かった。身体チェックを受ける江川紹子を見た。両手を広げてくるりと一回転する姿は、まるで腐海をマスク無しで舞うナウシカのようだった。

裁判の被告は土谷正実だった。信者を殺害するにあたって、能動的な行為であったかそうでなかったかが争われていた。殺害当時の描写が読み上げられる。興奮状態で長材を取り被害者の頭を何度も打ちつけた行為に責任があるかどうか。検察側は分厚いファイルを何冊か机に置いていた。後輩が「あれ、オウム用語辞典です」と囁いた。議論はオウム用語を含めて行われている。間違った使い方をすると土谷被告から異議が申し立てられる。
弁護士によってオウム用語が語られる度に、いま私たちが認識している世界が相対化されるような、オウム側の目線から現実を捉え直しているような気になり、現実感がなくなった。

いまだに彼らに関する報道を見ると、自分の一部が打ち震える。
あなたは私だったかもしれない。

2018年3月14日水曜日

夜の一点

寝過ごして、徒歩帰宅の帰路。

退屈だし疲れてるし、誰かとつながっていられたらと思うのだけど、
はっと息を呑むくらい完璧なビームを放ってる街灯を見たとき、
この光景は、私がここまで人生をつくってきたところでようやく出会えた光景だと思い、
私にしか到達できなかった場面のような気がして、
一人で歩いていて然るべきだったと思う。

それはスマホにはおさめられないほどの、ワイドスケールな構造の中の一点だった。

とりあえず帰りつきました。
湯あみして、寝る。