2020年10月8日木曜日

所属していた学生劇団

私が所属していた学生劇団は、贅沢にも倉庫を改造したアトリエを持っていた。
かつての倉庫を先輩方が専有し、そのまま居座ったという噂をきいている。
場所があるというのはありがたいことで、稽古も会議も本番も、恋愛も喧嘩も友情も全部そこで行われた。
多感な青年たちの汗と涙とその他の液体が染み込んだ、とても濃厚な場所だった。


上演に至る手続きは、今思えば企業のようで、
まず発起人が根回しをしてスタッフ・キャストを集める。
それを企画書にまとめ、総会にかける。
同じ時期に企画がバッティングしたら、プレゼンの後、投票で決める。
競合なく単体であったとしても、企画の内容について突っ込んだ質問が入り、発起人は懸命にプレゼンする。
そのイニシエーションを経て、ようやく劇団として公演を行うことになる。
つまり、個人の意志が集団の意志に昇華する。


その結果、一時的に劇団全体が発起人の色に染まる。
全体主義の一色に染まるときもあれば、議論がさかんなデモクラシーの多様な色が花咲くときもある。
その様は、まるで合意の上で政治体制がころころと様変わりする、迷子の国家のようだった。
理想などまるでない。演劇にとって何がいいかなど、俯瞰して見る目もない。所属する者は四年、長くても六年で卒業していってしまうからだ。
なので、奇跡的にクリエイティブな環境ができたとしても、それは発起人と参加者の属性によるもので、内省を経て維持されることはなかった。


そんなころころ色が変わる劇団にいて、今だに引っかかることがある。
自信のなさを覆い隠そうとする人物が主軸に来るときほど、全体主義や権威主義に陥る場合が多い、ということだ。
虚勢を張り、排除を含めた強権的な振る舞いをし、自らの大きさをアピールするような示威行為を繰り返し、参加者に恐怖と緊張を強いて支配する。
そういう人ほど、演劇のため芝居のため、という美辞麗句を口にすることが多かった。
そしてそういう人ほど、長く支配する側にいたがる。いったん辞めたのに、なんだかんだ理由をつけて戻ってきた人もいた。
俺は弱い、と涙を見せて、依存的な支配をする人もいた。
それほどまでに、支配する側に立つということは、人に執着させるものなのだろう。
その鍵は万能感か。


支配が成り立つということは、被支配者がそれを受け入れるということだ。
支配者は被支配者に、常に自分が支配者として正当性があることを表し続けなくてはならない。
私はそのプレッシャーが面倒で、発起人として企画を何度か出しながらも、支配側のゾーンに入らないように心がけていた。
だが支配側ゾーンが好きな人はやはりいて、一度その座についたら手放さなくなり、下剋上や、政権争いめいたことを誘発していた。


大学に入った私は、講義より先に劇団に浸かり、大学5年になってようやく教室に足を向けるようになった。
政治学を学ぶことになった私は、学生劇団の内部抗争をモチーフにして各国の政治体制を学んだ。
あいつはイタリア型権威主義国家体制を築いた、あの先輩は東欧型、彼女はアメリカ型、奴は珍しくアジア型…。
理論は、なまぐさい現実をろ過して作り上げたものだ。出自をさかのぼれば血のつまった袋同志で築いた営みに至る。
学生劇団は、集団と個の関係を観察するよい実験場だった。


翻って現状の政治を見る。
支配への強い欲望が見える。ということは逆に、支配しきれていない、コントロールしきれていないという現実があるのだろう。
相手が牙を剥いてきているときは、相当に怯えている。鏡だと思えばいい。
怖いから強く出る。威嚇する。
真の強さはどちらにあるか。明確である。
怒りのあまり自らを見失ってはならない。


そう考えて、次の一歩を冷静に見つけよう。
まだ終わりではない。