2014年11月28日金曜日

玄関閉めると




なんだか記憶のことばかり書いておりますが。


数年前、エレベーターに乗るとき、眠そうな男の子と、中学生の姉のきょうだいが、
乗り込んできた。
微妙な年頃らしく、姉は目的階になるとさっさと降りた。
弟は眠いまま、壁にもたれかかり目を瞑っていた。


何となく気がついていた。
きっとこの男児は、私と姉を取り違えている。


私は目的階でさっさと降りた。
背後より、足音。
どう考えても弟。
勘違いを訂正するのも申し訳ない気がして、
廊下を速足で歩き、
部屋に入ると鍵を閉めた。


直後、
がちゃがちゃがちゃ、がちゃがちゃがちゃ。
案の定、ドアノブを懸命に回す音。
因果関係は理解していても、なかなかにホラー。


しゃあねえなと思いつつ、ドアを開けると、
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした弟が立っていた。
あえて知らん顔で「はい」と出てみた。
弟は慌てて踵を返して歩き去った。


帰宅時、玄関扉を閉めるたびに思い出す、あのがちゃがちゃ音。
戦争で市民が最もダメージを受けることの一つに、
自分の家が破壊されること、と読んだことがある。
それほど、プライベートのテリトリーは侵されたくないものなのだなあ。


がちゃがちゃの恐怖、で実感しましたのでした。

2014年11月22日土曜日

オッサン遭遇記



いつまで若い気でいやがるんだ、と自家ツッコミを入れつつも、
20代から大きく環境が変わったとは言い切れないので、いまだに年をとっていない錯覚を起こしている。


昨晩、スマホをいじりながら夜道を歩いていたら、
「あ、あのー。あのー。気をつけてかえってくださいね」
やや遠慮がちなオッサンの声。
あんだ?ここでハイとか言ったら、「よければ飲みにいきましょう」ってなんじゃねえの?
と無視を決め込んだ。
「気をつけてかえってくださいね」
再び。
しつこいオヤジだなこの野郎、と顔を上げたら、二人連れの巡査の、年上の方が、
精一杯の柔らか表情を浮かべてこっちを見ている。
あ、ごめん、スマホのせいだね。
「はい、ありがとうございます」
お仕事だったねごめんねごめんね、後輩の手前もあるよね、と思いながら、
スマホをポッケにさっさとしまって歩き去った。


別に自意識過剰でも何でもなくて、過去に自宅の近所で、
何度もろくでもないオッサンに遭遇している。
ごく自然な警戒態勢。


一番マシなのは、車がキッと横でとまって「お姉さん、お姉さん。飲みにいかない?」という普通のナンパ。
おまえそれいまどき引っかかるやついると思うんかい、と思いながら、
「いえ、結構です」と速足で逃げた。


結構本気で怖かったのが二つ。いや、三つか。


一つめ。時刻は夕方。
自宅マンションの敷地内で、エレベータホールから大通りに向かう道筋。
煙草を持った、明らかに酔ったオッサンが、こちらに向かって歩いてくる。
このご時世に歩き煙草はなあ、と目を背けたら、
「姉ちゃん、やろうよ、やろうよ」
と肩を組んできた。
煙草の火が怖かったのと、その急激な距離の縮め方に驚いて、
「やりません」と愚直な返答をし、身をすくめて逃げた。


もう一つ。
稽古後に、どうしても吉野家の牛丼、並・卵をいただきたくなって、
終電近くに、一つ前の駅で降りて、がっついた。
女が深夜に一人で吉野家に入るなんて、あたしも立派な独女になったものだなあ、
と満腹しながら感慨深く表に出ると、
壊れた電波を放っているオヤジが二人、コンビニ前の高校生さながら、
煙草をふかして談笑している。
また煙草。
「しょうがねえなあ、ここいらのオヤジは」
そう思って帰路に向かうと、背後から「お姉さん、お姉さん」と呼び声が。
振り返ると、オヤジの一人が、煙草を持って追いかけてくる。
「遊ぼうよ。ねえ、遊ぼうよ」
「やめてください」走って逃げる。走ってついてくる。
「おねえさーん。おねえさーーーん」
うっかり路地に入る。
「おねえさーーーーん、待ってよーーーーーー」
いやこいつ完全にぶっ壊れてる。そう遠くない距離でちらつく煙草の火種。
路地を抜けたら、頭のゆるそうな若い男女グループが、ゲラゲラ笑いながら歩いてくる。
しめた、と思い、そいつらの側にこっそり寄る。
オヤジも火種も消えた。
帰りは、大通りを選んで帰った。


そしてもう一つ。
何年か前、自分の作品をつくっていた頃。
稽古がうまくいかなくて、なんだかなあ、とモヤモヤしながらの帰路。
終電は一つ前の駅でとまる。
地下のホームから地上にあがると、雨が降っていた。
傘を買うことを考えたけど、勢いで自罰行為に浸りたい気分になって、
リュックを抱えて濡れながら帰ることにした。


少し進むと、背後から傘が。
「風邪ひきますよ」
缶ビールを持った、30代くらいのあんちゃん。
「俺、同じ方向なんで。送りますよ」
コンビニの店長をやっているとのこと。
酔っているのだろう、えらく饒舌。
「煙草、吸いませんか」
駐輪場の軒下で雨宿りして、煙草を吸うあんちゃん。
「・・・すみません、1本いいですか・・・」
あんちゃんは、ずぶ濡れのおいらに、煙草をめぐんでくれた。
結局、話しながら、3本ほどいただいた。


傘をさして帰る。
あんちゃんは墨田区のどこだか(忘れた)のサンクスの店長で、
三店舗のエリアマネージャー。
開店直後は相当しんどく、24時間働き続けるのはザラだったらしい。
かつては、司法書士を目指していたという。
でも、なかなかうからなかった。彼女とも別れた。
いま、生活のために、いったん勉強は中断して、コンビニの店長をやっているらしい。
でも、そんな自分に納得いってない。
「コンビニの店長なんて、ってみんな下に思うでしょう」
いや、上とか下とか、そういうふうに思いませんよ。
どの仕事もしんどいですよ。
などなど。
「今日は売上が上がったんです。それでご褒美の缶ビール。これくらい自分に許そうと思って」
あんちゃんのボヤキは止まらなかった。


そして私の自宅マンションまで来た。駐輪場でいったん傘をとじる。
ありがとうございます、助かりました、と帰ろうとしたら、
「ひとつ、お願いがあるんですけど、いいですか」
煙草3本と、傘に入れてもらった恩がよぎる。でも何かがアラートを出す。
えっと、どんなことでしょう。


「おっぱい、さわらせてもらっていいですか」


きたー。


受けた恩がぐるぐるとまわり、軽率な私は、いいですよ、と答えた。


数秒後、猛ダッシュで逃げた。


ありがとうございました、本当にありがとうございました、おやすみなさーい!!!




私にとって、江東区はまだそんなところです。
もうトシもトシだし、そんなことはないだろうとは思いつつも、
たまに大間違いするアル中もいるだろうから、
いまだに身構えてます。


まーでも、平和な話やね。

2014年11月13日木曜日

風俗王との思い出




大学に8年もいたので、そりゃもういろんな人に会った。
中には、学生として出会うには珍しい人も。
その中の一人が、風俗王のA氏だった。


なぜ風俗王かというと、いわゆる女衒、女を風俗(当時は主にソープランド)に斡旋して、
その上がりで飯を食うというのを、個人で、完全にビジネスとして行っていたから。

実際は王というほどではなくとも、かなり羽振りよくやっていたらしい。


そのA氏が、とあるきっかけから芸能界に興味を持ち、芸能事務所を始めるという。
それにあたって、養成所をつくりたいからと、
当時私がお世話になっていた演出家の兄貴に話が来た。
兄貴は話が進むにつれ、金銭的な面で決裂し、
世間知らずの私はそのまま留め置かれた。


何度も事務所に打合せに行った。
金のチェーンネックレス、扇子、派手な色のスーツ(緑、空色、ピンクなど)、煙草の長い吸い口。
癖のあるしゃべり方。
とても個性的な人だった。


昔はオレも体張ってたんだけどね、抱きたくもない女抱くのも疲れるから、と。
大卒でやんのも珍しがられてね、重宝されたよ。辞めるときもちゃんとスジ通したし。


呼ばれるままに、事務所へ何度も打合せに行った。
とぶ、ケツをまくる、ヤキを入れるなどの用語を知ったのもこの人から。
あいつすぐケツまくるから、とばさないようきっちりヤキ入れないと。みたいな。
金になる女にはマメで優しく?ても、男にはがんがんヤキ入れるタイプでした。
消えた人たくさん。


養成所は約1年続いて、ひところは十人強くらいいて、
レッスン生のイベントもやったりしたのだけど、
私がさすがに大学の勉強に専念しなくてはならなくなったのと、
ある方向性にどうしても納得できなかったので、
結局は辞めた。
その方向性、というのが、
タレントもしくはアイドルでデビューできない奴は、
レッスン代をとるだけとって、最終的に(売れそうなやつは)エロで売る、というものだ。
A氏ではなく、その手の、また別の(あまり評判のよろしくない)事務所が絡んでいたせいもある。


先週までレッスンしていた女の子Sが、
翌週にはハダカでその手の雑誌に掲載されていた。
マネージャーが(ヤキ入れられすぎて)とんだので、代理で行った撮影の現場は、
その手の雑誌のものだった。
未成年の女の子Mが衣裳として渡されたのはブルマと体操着。
衣裳替えですと渡されたのは白いビキニ。
タオル地のガウンを着て、戸惑った表情で現れた彼女が忘れられない。
ネット配信用に動画撮影しますから、と受けた指示は、ラジオ体操できる?やってみて、というもの。
飛んだり体を反らしたりするのを、胸と股間を中心に、なめまわすようにカメラが這う。
見てられなくなって、私は部屋をそっと出た。


帰り道、雨が降っていた。2人で1つの傘に入り、暗い一本道をとぼとぼと歩く。
「Mさあ、こんなことやりたかったわけ?」思わず問う。
「いえ。正直、聞いてなくて。びっくりしました」
ああ、私、無理だ。
彼女の呆然とした横顔を見て思った。


エロは私も好きだし、面白いと思うけど、
その対象になるのは、常に人間の女であるわけで。
一定数の人間が、その「体を張った仕事」に従事しているわけで。
そこにどうしても同性としてジレンマを感じてしまう。
うるせえデブスババア、てめえが四の五の言うことじゃねえよ引っ込んでろ、という声を浴びたとしても。
気になってしまう。


そういった引っかかりが出来たことも含め、A氏と密に過ごせた時間は、
かなり貴重な体験だったと思う十数年後の私でした。

2014年11月11日火曜日

海乃屋からの~



何年生の、何の公演の打ち上げか記憶にないが、海乃屋で朝まで飲んだ流れで、法学部の後輩が「裁判の傍聴いきませんか?オレよく一人で行くんです」と言い出した。
人と別れる寂しさに耐えられなかった何人かで、行こう行こうと繰り出した。


行き先は確か、東京地裁。
「きょう何やってるかによりますが、傍聴券とれたのに行きましょう」と、ノリは歌舞伎の当日券。
野次馬根性とはこのことか。


そして引き当てたのはオウム裁判。確か土谷氏が被告だった。
入廷前に、ボディチェック。両手を広げて立ち、長い棒で身体を撫でられる。なんだか金の海原を歩くナウシカのようだと思いながら脇を見やると、当時メディア露出の多かった江川紹子もナウシカしていた。平等にナウシカ。私もナウシカ。みんなナウシカ。こんなところで民主主義を実感。


二日酔いで傍聴席に静かに座る。私語ができないわけではないが、場に呑まれて沈黙。
被告側の弁護人は確か三人。開廷して、代表でしゃべり出したのは、ピンクのシャツに黒いベスト、ゆるくウェーブのかかった長髪を一本に縛り口髭の、40代半ばほどの男性。
色味のほとんどない法廷に、このファッションは猫だまし。
あの派手なオッサン何?とあとで後輩に聞いたら、誰も受けないような裁判を引き受けることが多い、かなりやり手のベテランです、とのこと。弁論がうまいんです。仕事ができる人ですよ。
へええ。


訴状の読み上げ。
道場内での殺害現場の描写。
何せ初めてだったので驚いた。
刈谷さん殺害事件で、誰がどういうことを具体的に行い、被告は何をしたか。
彼は、実際の加害行為に、ダイレクトに加わっていた。


二日酔いなんかで来るところじゃないと、すごく大きなものに叱り飛ばされた気がした。


検察側の机に分厚い資料があるのを指し、後輩が「あれはオウム用語辞典です」と。
彼ら(被告たち)が、オウム用語を交えて話すので、検察もああいうの見ないとわかんないんですよと。


ここで初めての、社会から彼らへの歩み寄り。
断罪に向かうところに来て、ようやく。
彼らからすれば、何と皮肉な。
そんな気がした。


土谷被告は何度も振り向いて弁護士に話しかけ、注意を受けていた。
落ち着きのない、多動のような、興奮した状態に見えた。


私は、人をあやめた人を、生まれて初めて目の当たりにした。
法廷の柵の向こうとこちらの、本当に大きな隔たりをまざまざと実感した。
このひとに、これからもうじゆうはない。
このひとはひとをころしたじじつからはのがれられない。
私は土谷被告をずっと見ていた。


閉廷が言い渡された。
被告を見続ける私。
土谷被告がこちらを見た。目が合い、彼が少し笑った。


私はこのときの、この微笑を、その空間の少しざわついた状況を、どうしても忘れることができない。
ひとごろしとめがあった。ほほえみかけられた。
そんな、よくある三文小説のよくあるワンセンテンスのような状況の裏側に、
無数の積み重なった日常と、そこをつい脱してしまった結果の非日常があるということを思うと、
恐ろしくてならなくなる。


日常と非日常は地続きで、その間の境界線は、
実は乗り替わるのにさほど大きな変化を覚えないものであるとするならば、
全ての「異常と思われるような事態」は、今の自分の境遇と常に地続きである、ということになる。
わたしもだれかをころすことだってありえる。


「目があった」「え、そうですか?気づかなかった」そうか私だけかと反芻しながら外へ。
腹がへったということで店を探すものの、霞が関に貧乏学生が入れるような店はない。
「社民党のカレー食いましょう。オレよく一人で行くんです」
こいつは何をしとるんだ。


カレー食べたかどうか、記憶はない。
確か食堂は終わっていたような気がする。
で、確か、「東京ドームいきましょう。日ハム戦なら絶対入れますよ。オレよく(以下略)」とかってなって、日ハム戦に行ったような、行かないような。
いやこれは別の打ち上げか?


オウムの一連については、いまだに引っかかりがたくさん。
この後輩は本当にいろんなことをおしえてくれた?ので、心底感謝?しています。


海乃屋からの~、打ち上げ後の一コマ、ですた。

2014年11月9日日曜日

高田馬場 海乃屋閉店

昨日、知人の芝居を観るまで時間があったので、久々に高田馬場を徘徊した。
駅から、早稲田とは反対方向の小滝橋方面へ。こちら側にはあまり来たことがなかった。


時間をつぶすためのサ店を見つけるのが目的だったのだけど、駅から離れるにつれラーメン激戦区へ。
てかすごい、こんな激しい前線地帯とは思わなかった、ってほど、いろんな種類のラーメン屋がひしめきあっている。
こりゃ珈琲&スイーツ→ビール&餃子に切り替えるべきか?いやいやまだ昼間だし、これから芝居を2本観るから寝てしまう可能性を高めるのはまずい、と葛藤しながら、ひたすら早稲田通りを歩き続ける。
中には行列も。
こんなんなってるとは、ついぞ知らなんだ。


マチネに観た芝居がとっても面白かった。飢えた老女があるきっかけで万能性を手に入れ、次々とろくでもない罪を重ねていく話。
登場人物も全て貧しく報われない。
その中でたまに表れる歓びの童顔がたまらなくせつない。
役者もかなり年輩の方が多く、「まだらボケでごめんなさい」などの老害についての台詞が洒落にならないリアリティがあって、
つい、本当につい、感動してしまった。
面白かった。


ソワレまで時間がまた中途半端にあったので、徘徊再開。
駅近くの路地をなんとなく覗きこんだところ、
あれっ…
馴染みの看板がない。
「海乃屋」の看板が。
早大御用達の打ち上げ会場の看板が。
代わって、「DVD鑑賞」の輝く原色の文字が。


うそだ、うそだと思いながら、薄汚い路地を進む。
スナックや怪しげな小料理屋はそのまま。
なのに海乃屋がない。
そんなバカな。


路地の行き止まりに立ちはだかる和装ビル。
外観はそのままに、内装は明るくつくりかえられ、ギラギラと輝く店内。
踏み入れる勇気はないままに、呆然と入り口付近に立ち尽くす。


うそだろおい…


学生劇団の公演が終わるたびに、ここで朝まで飲んだ。
酒を無尽蔵に飲むという経験をしたのもここだ。
疲労と睡魔にバタバタと倒れていく同輩の中、生き残った者はひたすら飲み、食い、喋り続ける。
若人の矮小なものながら、人間関係を学んだのもここだ。
いわば学舎の1つだった。
それがなくなったとは。


料亭としての機能はあまり果たしておらず、もっぱら学生の飲み会に使われていたせいなのか。
勝手に廃業するなよ!断りもなしに!
喪失感の後に、怒りがこみ上げてきた。


くだらなくていやだと思っていた青春時代に、意外なほどに思い入れがあった自分を発見した。
だからなんだというわけではないが、
やはりショックはショックであった。


しょぼりん。

2014年11月8日土曜日

サブ気質の自覚

あー、深夜0時をまわってしまった。
ということで、いきなり連日更新成らず。
こんなときもある。


きょうは、小学校ワークショップでした。
たいがい、総合や国語の時間をあてていただいてることが多いのだけど、
今回は算数枠というイレギュラーパターン。
メイン講師の方の人柄が前面に出る進行で、
安心してサブしてきました。


と、ここでもサブ。すなわちメインに対するサブで、いわゆるアシスタントです。
最近、というか、ここ数年、というか、
ひょっとしたらこれまでの人生ずっと、
何かのサブをし続けてきたのではないかという気がしてきています。
なんというか、サブ人格。サブ適正を持つパーソナリティ。
いやいや私の人生は私のものだから、とかそういうふうに感じながらも、
気づくとサブっぽい動きをしてしまう自分がいる。
だから、ひょっとしてメインとかピンとかに向いてないんじゃないだろうか、
と、不安にさいなまれたりします。


しかしそんなふうにも言ってられないので、
サブパーソナリティながらのソロ活動の在り方を模索していこうと思います。
性格は性格。それは単なる前提にすぎず、すべてがそれに制限されるものでもなかろう。
たとえば「ケアル系の魔法の習得が早い」ってことは、活かすべき属性ではあっても、
だからといって他魔法や攻撃技の習得から遠ざける必要はないわけで。


自覚しつつ、こつこつ地道にやっていこうと思います。




2014年11月6日木曜日

家族の夢

よく、実家の夢を見て目を覚ます。
家族がひしめきあい、言い合いをしたり、仲間意識をもったり。
あっと目覚めると、ひどくドキドキしている。
もうあの場はないんだという寂しさが込み上げたあと、
成人したから家に縛られなくてよくなったんだと納得する。


よくこのプロセスを繰り返す。
なんだろう。


たぶん、幼い頃に帰りたいとかそういうのではなく、
現場が終わって人がひしめきあってるところから急に解放されたがゆえの心理なのだと思われ。
寂しさと解放感がないまぜになる。


家族は最初に意識に刻み込まれる、いわば共同体の原型なんだねーということをしみじみ。
どんな環境で、どんな振る舞いで成長したかを思えば、行動の原点が透けてくる。

2014年11月5日水曜日

ブログ再開



演助現場を、また一つ終えました。
事後処理が残っているけど、とりあえず千秋楽を無事迎えられたので、
一段落しているところ。


自主興行を打たないで人の現場に行こうキャンペーンを意識的に行うようになってから、
約3年が経ちます。
2011年の2月にリーディング、2012年の10月に小さな合同公演を打って、
あとはいろんな人とやったり、誰かの現場に何等かの形で参加させていただいたり。
多種多様をもろに感じて、過ごしてきました。


まだまだこれからも、他の現場に入らせていただくことも多いかと思いますが(そう希望しております)、
そろそろ自主興行の準備も再開し、来年末か、再来年には、
小さなものでも、1本打ってみようかなと考え始めています。
何とはなしに。


もう一度そういう願いが出てくるまではやらないでおこう、と、これまで様子を見てきたのでした。
何となくやったり、無理やりやったりするものでもないと思うので。
というか、主宰業務はかなりしんどいのです。
他の団体の主宰を見ていると、やっぱり大変なんだよねーとつくづく思い。
でもしんどいのはいくつになっても同じなんだなと実感した、というのもあります。


この数年、思考停止に近い状態で追われ続けてきたので、
そろそろ自分のペースを取り戻していこうかなと思います。
少しずつですが。その流れで、ブログも再開していこうかと。


いろんなことをぼやぼやつらねていくかと思いますが、
またどうぞ、よろしくお願いいたします。


nick