2017年5月21日日曜日

深夜のよしなし。

昼に寝すぎて眠れないので、
私の一番好きな、船成金の風刺画。
芸者が靴を探せるように、札を燃やしてる。


***

「筒井康隆はどうなったんだろうねぇ」と言われて、なんだっけと思いその場で検索したら、少女像に関してのブログ&twitter炎上のこと。

我が家のトイレ文庫(自然発生的に冊数が増えていく、家族の数少ないコミュニケーション媒体)で筒井氏の短編にお世話になってきたレベルの読者にすぎないが、あーあの世界観の方ならああいうこと書きそうではあるねぇ、とは思った。

と同時に、何かと印象が似てると思って何だっけと考えてみたら、シャルリエブドの風刺画の件だった。

「表現の自由だー何が悪いー」と言うものの、その表現が確実に誹謗中傷につながることを発信者が自覚しているのであれば、それは自由の悪用とも言えよう。
文筆家であったりジャーナリストであったりするなら、なおさらその発信方法・内容が自覚的であるという印象からは逃れられないわけで。

何かを傷つける先に(傷つけられた人の救済も含んだ)何等かの幸福のビジョンがあると発信者が信じるなら、現状の代案としてそれを提示するところまで行わないと、単なる破壊衝動を満たすだけの暴力にすぎないように映ると思う。
…あぁ、回りくどい表現。
要は、ぶっ壊すだけじゃなくって、その先にあるものを見据えることが、今は必要なときなんだろうなってこと。

理想が力を失ってる。でも、そんなときもある。だから、また考え直せばいい。
ないものは、つくればいい。だってないから。つくるしかない。

必要は発明の母とはよく言ったもので。
このカオスな現実から、新しい何かを見出すのだ。

と、さすがに鈍い私でも、ニュースを見ていろいろ思うのでした。

思えば3年前の閣議決定から、既にデモクラシーの底が割れていたんだなー。

あ、いや、割れていたというか、割れが決定的に表面化したというか。
Point of no returnだったと思う。
にしても、どこに顔を向けて国家運営してるんだろう。
国民に向いてないのはつくづくわかった。
目的が見えない。…あ、よもや再び国体護持?

パンドラの箱は、もう開いてる。

2017年5月13日土曜日

5/27土 月いちリーディングのお知らせ

劇作家協会の戯曲ブラッシュアップWS「月いちリーディング」にて、
拙作『風乃キヲク』を扱っていただくことになりました。
前半リーディング、休憩はさんで後半ブラッシュアップのためのディスカッションです。
下記サイトに冒頭のみ公開されています。

5/27(土)18:00~ (終了は21:00頃予定)
会場=座・高円寺 地下3階 けいこ場2
参加費=無料
http://www.jpwa.org/main/activity/reading-workshop/tokyo
 【ゲスト】土田英生 前田司郎
 【コーディネイター】山田裕幸
 【ファシリテイター】関根信一
 【出演】大沢 健 倉貫匡弘 (TRASHMASTERS) 佐藤拓之
     佐野 功 橘あんり (劇団青年座) 長尾純子
     仲坪由紀子 西山水木

2009年上演のもので、みなさんの忌憚ないご意見うかがいたく、出させていただきました。
よろしければ是非、お運びください。

2017年5月2日火曜日

休煙日。

煙草をやめて2年半ほどたつ。
忘れもしない2015年の10月。友人と大久保焼肉エリアをハシゴして、山手線に駆け込んだ。
ら、心臓がぎゅうっと締め上げられるように苦しくなった。
あぁこのままヤツは止まるかも、息もしづらいしと、満員に近い電車の中で立往生を覚悟した。
幸いにして数分でおさまったが、心底怖くなった。
これを機に、酒か煙草かどちらかをやめてみようとふと思った。

どちらも私にとってはコミュニケーションツール。
で、酒はやめそうもないから、煙草を「休んで」みた。
やめる!二度と!決して!などとプレッシャーをかけずに、なるべくゆるーく。
いまも絶賛お休み中。あまり困らない。

休みはじめた当初、ニコチンの禁断症状はあまりなかったような気がするが、
煙草をくわえライターで火をつける手さばき、
フィルターをくわえ煙を吸って吐くという一連の呼吸を含む上半身の動作、
灰を落とす手の動きなど、
ほぼ無意識化して染み込んでいる習慣的な動きが恋しくてならなかった。
喫煙が習慣化する理由はたくさんあるだろうけど、
私に関しては、煙草にまつわる一連の動作が心底好きで煙草を吸っていたんだなあと思った。
いまも好きだ。たまにエア煙草をする。あるいは鉛筆で代行したり。
深呼吸したいだけなのかも知れないけど、少し落ち着く。


吸ってる間は、
さんざんいろんな人からもらい煙草したり、
目上の方に「煙草かってきて。おまえのぶんも買っていいから」と駄賃替わりに買ってもらったり、
飲み屋で隣テーブルの忘れ物煙草をきょろきょろさっ!と手に入れたり、
道端に落ちていた煙草の箱を拾ってみたら買ったばかりのものでラッキーだったり。
まわりの人は煙害で迷惑だったと思うけど、個人的には煙草とそれなりに楽しい関係を築いてきた。
つもり。

あと、嫌いじゃなかったのが、喫煙所で「火ぃ貸してもらえますか」とやりとりがあったこと。
初めて声をかけられたときには、何かの仲間入りをしたような気になった。
自分から声をかけてライターを借りたときは、これで世界中どこでもいけるという謎の自信に満ちた。

いまだに銘柄を見ると、あァあの人が吸っていたと思いだす。
金ボロ、マルメン、赤マル、キャメル、キャスター、アメスピ、セッター、ラッキーストライク、わかば、チェリー、ピアニッシモ、ベヴェル、ピース、ショッポ…
自分自身、好奇心が強い方なので、一つの銘柄に固定せず、片っ端から吸ってみた。
ぜんぶ違った。いまだに吸い分けられると思う。
そういえば一時期、葉巻もふかしていた。
手巻煙草に移行したところで、ダウンした。


自由の象徴、みたいに煙草を吸っていた20代~30代。
心臓の悲鳴は、40までにやめようと思っていたから、ある意味ちょうどよかった。

そういえばむかし、婆ちゃんが吸っていた。89まで生きていた。確かセッター。
私も80越えて生きていたら、休みを解いて再煙しようかな。
何がいいかな。たぶんマルメンだな。

でもまだ、しばらくおやすみ。
ひょっとしたら一生。