2022年12月31日土曜日

朗読×音楽コラージュ『Bon Bon Voyage』当日パンフ掲載「ごあいさつ」文


12/23金、吉祥寺スターパインズカフェで、朗読と音楽のステージイベントを実施しました。

アレにアレして、下界に降りてきた直後だったので、なかなかに大変でした。特に咳と体力低下。稽古ってこんなに体力使うんだったのかと、改めて。


関わってくださった皆さんのおかげで、ぶじ終演できました。

きょう大晦日まで、配信を行っています。

ひっそりやってるこのブログが見られることはないと思いますが、何となく、当日パンフに掲載した「ごあいさつ」文をアップいたします。


慌ただしいながらも、刺激に満ちた年でした。

様々なことに、深く感謝の念を抱きます。


来年もどうか健やかに。

良いお年をお迎えください。


nick


~*~*~*~*~*~*~*~


ごあいさつ


本日はご来場いただき、心より御礼申し上げます。


…この言葉に含まれる意味合いが変わってから、約三年が経ちました。

私もどこかに「ご来場」する機会が減り、在宅時間が増えたのですが、その結果、以前より文字情報に触れる機会が増え、改めて文芸作品と出会い直すことにつながりました。

以前は静的な、インドアな営みとしてとらえていた読書。

しかし、言葉で紡がれる世界は、どんなに動きがあり、どんなに色づき、どんなに騒々しく、活力に溢れていることか。

国語教科書に載っていることで出会った作品の奥底にも、どれほど猥雑な、どれほど粗野な、どれほど教育とは程遠いことが、暗渠となった川のように太く流れていることか。

美しい横顔、凛とした眼差し、すっと伸びた背筋とともに、目を背けたくなるほどの弱さ、愚かさ、腐臭までもが、余すことなく描かれていました。

こんなに豊かな世界がすぐ手の届くところにあるなんて。

貪るように無数の物語をひもとき、驚きと、過ぎ去った時間への後悔と共に、新鮮な旅程とたくさん出会うことができました。

「おうち時間」で得られた、大きすぎる怪我の功名だったように思います。


その中で出会い、心をつかまれた作品を、皆さんと是非とも共有したいと思い、今回の企画を立ち上げました。

言葉の世界の彩りと奥行きを広く深く旅するために、音楽の船が皆さんをご案内いたします。

STAR PINE'S CAFEの空間と、お飲み物やフードとともに、どうぞお楽しみいただけますと幸いです。


では、まもなく出発です。

Bon Bon Voyage!


NICK-PRODUCE主宰

村野玲子

2022年12月12日月曜日

例のアレをアレしました⑤:その後の経過

シャバに出てから数日。
この間、劇場や稽古に行ったり、自宅ながらPC作業に追われていたら、
ひどく咳を悪化させてしまった。
宿泊療養で体力がすっかり落ちているところに、急に歩き回ったもんだから、
何かいろんなところが「もうやめてくれ」「休もうぜ」「おいおい勘弁してくれよ」とブツブツ呟いてるのがわかる。
3日ほど動き回った後、4日目の今日、うつらうつらしながら終日過ごした。

後遺症の一項目に「集中力が落ちる」とあった。
何のことやらと思っていたが、そんなことはあるのかも知れない。
(あるいは”月からの使者”が来て大量の血液が出ていってるせいかも知れない。)
昨日、稽古に向かい、慣れない路線に乗ったのだが、
急行で座り、ついうとうとして下車予定駅を寝過ごし、
戻ろうとしたところにメールが入って対応に集中していたらまた乗り過ごし、
稽古開始30分前には到着する予定が、行ったり来たりしてるうちに結局遅刻してしまった。
身体と意識が、なんとなく、日常生活にうまく馴染めない。

午後になり、部屋に差し込む日光に疲れを覚えて横たわった。
少しうとうとしていたら、上の階からゴン、ゴン、と、一定のリズムで床を打つ音がする。
ふだんなら舌打ち1つですませるところ、起こされたせいもあり、妙に気に障る。
管理人に電話して、療養中なのでと断りを入れつつ、やんわりながらも、珍しくクレームをいれた。

病人は口やかましいとか、扱いづらいとか言うが、病人側の気持ちがよくわかる。
何だかずっと、慢性的に気が晴れず、どことなく苛立っている。
気づかないうちに八つ当たりをしている。いつもなら言わないようなことを言う → 慢性化する。
室内で動ける自分でさえぎくしゃくするのだから、寝たきりになったり、病院暮らしになったりしたら、どれほど気難しくなるだろう。

前に足首を骨折して松葉杖生活になったときにも思ったが、
怪我や病で健康が損なわれていると、生活環境の見え方がぜんぜん違う。
バスや電車に乗ることはとんでもない大冒険だし、
隣を駆け抜ける自転車はすごく恐ろしい。
衣服や荷物も機能性を重視する(私は普段からそうだが、さらに輪をかけて)。
つまり、人生の主役が、ともすると、自分の意志よりも怪我や病気に奪われてしまう。

もちろん、怪我や病気ありきの身体生活に慣れていれば、その前提のもとに自分の意志を発露することも可能だと思う。
だがそれらに不慣れな白帯者では、あるいは慣れようがないほどの苦痛を伴う場合は、
とてもじゃないがマネージできない。振り回されてしまう。
そして断念することが多くなってしまう。
どうせ。しかたない。まあいいか。
そんな心の中の呟きが増えていく。
この無自覚な後ろ向き姿勢は、苛立ちの蓄積につながる。そして無意識の八つ当たりへと。

他のメカニズムパターンももちろん無数にあるだろう。
でも、自分を素材に、ひとつの仕組みを見いだせただけでも、ほんの少し得るものがあったような気がした。
気がしただけかも知れないけど。

買い出しにいく気力がないため、お見舞いにいただいた食糧や、都が送ってくれた療養サポートの備蓄食糧をついばんでいる。
咳が体力を奪う。

温かいお茶を淹れようか。

過日、日光でいただいたお抹茶&お団子。


nick


2022年12月8日木曜日

例のアレをアレしました④:自分の身体

おかしな夢を見た。とは、何かの小説の書き出しにありそうだが、サイケな色のついたおかしな夢の中で苦しさを覚え、はっと目覚めた。息苦しい。
例のアレをアレして、発症してちょうど8日目。4日目の早朝に起きたのと同様な息苦しさが、同じ明け方の時間帯に襲う。

とにかく体を起こし、ただじっと座って深呼吸。布団をはいで寝ていたようで、体がすっかり冷えている。暖めアイテムをかきあつめる。靴下とレッグウォーマーを装着、暖房を入れ、白湯を飲む。
症状がほぼおさまっているこのタイミングでくるということは、後遺症としてこの後もちょいちょい現れるつもりだろう。忘れた頃にやってくるやつめ。

息苦しさが少しましになったところで、つい習慣からスマホで「後遺症 息苦しい 対策」とググったが、専門家がそばにいることを思い出し、看護師に電話。これはもうしょうがないですねえ、と宥めるしかない様子。大丈夫、わかったありがとう。どうにもならないことがわかればそれでいいんだ。受話器を置く。

時間を見ると、6:07。食事を取りに行くのは8:30~9:00と決められているから、すぐに動き出す必要はない。
ひとまず横になる。暖まったせいか、少し楽なような気がする。
途中1回、検温のために起きたが、朝食の時間までうとうとした。
目覚めたら、だいぶましになっていた。


これまであまり病気らしい病気はしたことがなく(去年とった胆石は不摂生ゆえだと思ってる)、自分が動き回れることを大前提に、予定も立ててきたし、周囲との関わり方も考えてきた。
でも今回の罹患を経て、自分が健康を害する場合もあるのだと、改めて思うようになった。
病と並走してこられた方からすれば「何をいまさら」と思われるだろうが、
本当にこれまで、自分が動けなくなることを想定することはなく、むしろそれは甘えだと思ってさえいた。
しかしそれは全くの勘違いであり、リスク管理ができておらず、むしろ逆に甘えにすぎないことを、今回身に染みてわかった。

この肉体は、期限つきなのである。
いつまでも万全なわけがなく、少しずつ(あるいは一気に)故障や機能不全を起こし、
やがて一切の働きを止める。

こんな当たり前のことを無視して、買ったばかりの電化製品のごとく、マニュアルもろくに読み込まず無理な使い方ばかりを強いてきた。
機能を使いこなす前に、故障して使い物にならなくなる。

今更ながら、自分の身体を、深く慈しもうと思った。

…今だけだったら、ごめんね。

昨日の晩弁当、鶏天&あさりご飯。

nick


2022年12月7日水曜日

例のアレをアレしました③:「退屈」…なのか?

「今日も退屈だろうけど辛抱してね♪」と見舞いの言葉をいただく。
引き続き、アレをアレしたが故の宿泊療養生活が続いている。

ありがとうございます、と返信しようとして、ふと感じる違和感。

退屈…?
退屈なのだろうか…?
辛抱するほどに…?

自宅にいれば、ひょっとしたら辛抱の必要があるほど退屈なのかも知れない。
でも非日常的な空間で、日常とはかけ離れた生活を送っている今、
時間のたつのはあっという間で、いつの間にか日がのぼり、いつの間にか深夜である。

入ってすぐは、長時間座っているのもままならず、寝ている時間も多かったが、
3日目の今、ラジオ体操第一第二に加えて簡単なスクワットができるほどには体力が回復してきている。
集中力が回復しきっていないので、仕事に関わることはきちんとできてはいないが、
短いメールを返すくらいには思考力が回復してきている。

そして思い至るのは、そもそも退屈とは何か、ということである。
かつてはよく退屈を覚えていた。
もはや理解の範疇を越えた、高校の物理の授業。
教習所の座学(仮免で終わった)。
単位を得るだけのために選択した、大学の経済学の般教授業(グラフとか数字はとことん苦手)。

でも、生活するようになってからは、退屈を覚えたら、自分で回避するようになった。
居酒屋のアルバイトで客が来なくて退屈しているときは、何でもいいから仕事をつくる。
用事がなくて家で退屈しそうなら(そんな贅沢なことはあまりない)書類の整理やしばらく開けてない棚の整理など何かしらやることを見つける。
誰かと話していて退屈を覚えたなら(滅多にない)自分の関心のある話を放り込んで、意見などを聴く。
今日も、休み休みしながら調べものをしていたら、日が沈んでしまった。

つまるところ、退屈とは、与えられた環境に対してただ受け身であるがゆえに生じるのではないか。
そして、退屈している余裕など、実のところ、どこにもないのではないか。

退屈って、すごく贅沢なイメージ。
でぶでぶ色白、くるんくるん巻き髪の王子が、横たわってリンゴをかじりながら、
「ああ…世は退屈じゃ…何か面白いことはないかのう…」
って半裸で団扇を煽ぐ女官に呟いてる感じ。
一分一秒でも惜しい時間貧乏な暮らしをしてきた私としては、
退屈とか言ってる暇あったら風呂の掃除でもやろうよね、と思ってしまうのでした。

なので、辛抱するほど退屈、というのは、
どんな状況であっても、自分からは少し遠い現象だなあ、と思った。

…でもそれも、ネットで色んなものが見たり聞いたりできるからかな。
一昔前だったら、本や雑誌を読んだり、空の色を眺めたりして、退屈だな、と思ったのかも知れない。
そしてその「一昔前」は、そういえば、そんなに昔でもないですね。


でも、そこでさらに、ふと思いあたった。
自分はそもそも、本質的にずっと退屈で、
退屈を紛らわす術が年々上達しているだけなのではないか。
退屈から逃れるべく、外部刺激を探すことが上手くなっているだけなのではないか。


人生、暇つぶし。
そんな言葉は、売れた芸能人か、裕福なコピーライターが呟くカッコつけにすぎないと思っていた。
でも、そうじゃないと言い切れるだろうか。


こうしてブログを立ち上げているのも、退屈から逃れる一つの方法にすぎないのではないか。


では逆に、真に退屈に捉われたとき、何と出会うことになってしまうのだろうか。


……その実験をするには、今の自分はまだタスクがありすぎる。
そうして、仕事に逃げ込むのである。


昨日の朝ごはん。おにぎり。

2022年12月5日月曜日

例のアレをアレしました②:「1」の食事

こんにちは。
流行のアレをアレしたため、社会的営みからいったん離れて宿泊療養しております。
昨日公表された新規アレの数字の中の「1」は確実に自分。
生活もあり人間関係もありこれまでの時間もある、自分。
その自分自分の積み重ねが、結果として数字になっていることを、数字の側になって改めて実感しました。ああ自分「1」なんだなあ、と。

ウクライナ兵「1万」人、死者「10万」人。
東北大震災での死者「18131」人、行方不明者「2829」人、負傷者「6194」人。
熱海土石流災害死者「27」人、行方不明「1」人。…
それぞれの「1」が確実にあった。
命が"失われる"ということは、命が"有る"ものである限り当然の理なのではありますが、
それは絶対的な「1」であることを、「1」の側になった時に、やはり強く伝えたい気持ちになりました。

その「1」のホテル療養ライフですが、
提供される食事が、ちゃんと美味しくいただけるものであることに、ありがたさを感じています。
ネットニュースなので真偽のほどはわかりませんが、
陽性者・陰性者めちゃくちゃに突っ込まれて体育館のようなところで一斉管理されるとある大陸国とか、
公的保険制度がないため個人の医療にかかるコストが莫大で貧しい人は何のサービスも受けず酷いときはただ悪化して亡くなるしかなかった、とあるデモクラシー大国とか、
そういうのを見るにつけ、税金が医療・福祉にきちんと回されることのありがたさをつくづく思います。


入所1日目の晩弁当。













一品一品、丁寧な味付けで、それなりに美味しい。
お浸しも出汁が染みてる。
現場弁当ライフが長い身としては、これはちゃんとしていると思いました。
特に、左上のアサリご飯の上のアサリが、生姜ダレできちんと煮込んで味付けされてるあたり、やるじゃねぇか…と。


翌日の朝サンドイッチ。













久々にコーンスープ飲んだ。
パン厚くてしっかりしてる。玉子フィリングふわふわ。
みかんゼリー懐かしい味。


そして、いま終わったばかりの昼弁当。味噌汁はtake freeのインスタント。













人によるけど、男性にはちょっと足りない、女性にはちょっと多いかも?な量。
イカの天ぷらが柔らかくて美味しい。煮物嬉しい。


ケータリングの差配をしたことがある人には共感いただけると思いますが、
滞在者を飽きさせないようにしてる工夫がとてもよく伝わります。
何もすることがないホテル療養、食事が最大の関心事になるので、これはとてもストレスの減ることです。
そしてこれらは皆、税金で賄われている。
感謝しかありません。

舌ばかり肥えている都市部の人間のハラを、医療目的で確実に満たすには、
それなりの工夫が必要なんだねえとほとほと実感しつつ、
「1」としての暮らしを粛々と送るのでした。


nick


例のアレをアレしました①:自宅から施設へ

こんにちは。ご無沙汰しております村野です。
だいたいこのブログを立ち上げるときは、ブログを立ち上げるくらいしかやることがないという時に限ります。それほどに、定期的に何かをし続けるというのが苦手です(夏休みの絵日記は最終日に一気に仕上げるタイプでした)。
そんな私がいま立ち上げている。ということは、はい、そういう状況です。

例の、流行りのアレをアレしました。

現在は、とある宿泊施設の一室で、窓から覗けるほんの少しの空を眺めながら暮らしています。

そう、ザッツ・ホテル療養。

先日まで自宅療養していたのですが、
(就寝中のバイオリズム低下)+(乾燥防止目的でマスクをして寝た)+(熱心なウィルスの営業努力) ※自己診断
によってか、明け方に呼吸困難に陥り、パニックを起こしたのでした。

マスクをとっても窓を開けて新鮮な空気を入れても、息苦しさは変わらない、酸素が入って来ない、楽になるかもと思い横たわるとさらに息苦しくなる、
という短時間の一人悶絶の末、とにかく助けを…と「自宅療養サポートセンター」に電話を入れました。
申し訳なさそうにマニュアル通りの質問を繰り返す、おそらく時給労働の深夜~早朝シフトの青年スタッフ。「お名前は…生年月日は…発症日は…お電話番号は今表示されているもので…もし連絡がつかなくなった場合のお電話番号は…」

こっ…これは…死ぬ。

そして、仮に電話中に意識が途絶えても、救急車を呼んではくれないらしい(そういうルール)。
自分で呼ぶしかない。

青年が担当医に相談した結果、とにかく救急車呼べと言われたとのことで、迷いながらも119。
救急車が着くまでの間、万一何かあったら対応してもらうために、知人に電話をつなぎっぱなしにしてもらった。
相変わらず息は苦しい。心細かったのだろう、涙腺が決壊した。
「ごべっ…ごべんねぇ…ごべっ、ごべっ」
息苦しいだろうから喋るなと諭され、すーはーしながら座して待つ。
涙が鼻水になってさらに鼻が詰まり、魚のように口をはふはふする。

玄関チャイムが鳴り、救急隊員が来た。扉を細く開けると、頭からつま先まで、全身防護服のおじさんたちが覗き込む。
「マスクしてくださーい」といの一番に言われ慌てて装着。
おじさんたちはずんずんと入って来ると、とにかく換気を、と窓と玄関を全開に。
朝の冷たい風が家の中のウィルス蔓延であろう籠った空気を一掃した。

しばし問診。
結論から言うと、病院搬送はお断り。
症状が安定しているので、とのこと。
(こ…これが噂の、「病院搬送お断り」か…!)
なんだか柔らかい雰囲気で煙に巻かれて、あげく「搬送されないことを承諾しました」といった文書に自筆サインをさせられ、もじゃもじゃした気分を残しながら一人残されて終わった。

…自宅療養継続。
果たしてこれは、どうにかなるものだろうか。

同居人がいて、何かあった場合に対応してくれるならまだいい。
(その人には普段の生活において多大な迷惑をかけるとは思うが…)
しかし、一人暮らしで、もし意識がとんでしまったら、そのまま放置ということになる。
十分な酸素が脳に供給されないままに長時間放置されたら、確実に何らかのダメージが遺る or 死ぬ。

お迎えが来るにはまだ早い。
まだ何もやり遂げてはいないのだ。
体力だってまだある。
ここで死ぬわけにはいかない…

と考えるまでもなく、医療関係者である妹の勧めに従い、ホテル療養に切り替えることにした。
一人暮らしの自宅療養は、どう考えたって無理がある。

夕方になり、ホテルが決まったとの連絡が入る。
息苦しさはまだ残るものの、だいぶ症状が安定していたので「このまま自宅でいけるかも?」と一瞬よぎったが、
初めて直面する症状に、素人がググりながらセルフ対応することの限界を思い、
素直に移動することにした。

翌朝、ホテルまで送ってくれるタクシー運転手から電話が入り、
13:15に到着するとのこと。
午前中に、知人が親切に送ってくださった自宅療養用の差し入れが届く。
(それも、宅配センターから「誤って別の配送所にいってしまって午後になってしまうかも知れずすみません!」といった電話が入ったのですが、「ホテル療養に行ってしまうので受け取れません、療養に必要なものが入ってるのですが…」と粘ったら、膨大な荷物の中から探し出して単独便を手配してくれました。ヤ〇ト運輸すごいありがとうございます)

13:00。出発する準備も終わり、カートとリュックを揃えて座して待つ。
「しばらくここも見納めか…」と白湯を飲む。
なんだかんだで自室はやはり楽でありがたいのである。
変えたばかりの浄水カートリッジで汲み溜めた水が、惜しい気になっている。

13:10。
ピンポン。
玄関チャイムが鳴る。
出て見ると、宅配業者だった。
「(自宅療養用の)食糧の配送と、パルオキシメーターです」
え…今?

段ボール2箱分の大量の保存食と、
返却用封筒も同封されたパルオキシメーター。
特に後者、これがもっと早くあったら、私はホテルに行かなかったかも知れない。
(パルオキシメーターが手元に無いことが不安の一つでもあった)
だがもうキャンセルはきかない。いやしても私個人の損失にはならないだろうけど何かが無駄になるし、タクシーがもう来る。
いまここ療養先のホテルでは、パルオキシ~は各人1台貸し出されるので、不安になると計測している。

結論として、選択は間違いではなかったと思う。
看護師や専門スタッフ(時給雇いでマニュアル読みのバイトではなく)が24時間体制で常駐してくれているのはありがたい。
弁当も悪くない。現場弁当ライフを重ねてきた身としては、むしろ美味しい方だと思う。


昨日まで横たわっている状態が長かったが、
今日は少し座りが維持できているので、諸々忘れないうちに記録した。
リハビリを兼ねて、まだもう少し続くと思う。
(関係者に迷惑がかからないよう、積極的な公開告知はしません)


nick