2022年12月12日月曜日

例のアレをアレしました⑤:その後の経過

シャバに出てから数日。
この間、劇場や稽古に行ったり、自宅ながらPC作業に追われていたら、
ひどく咳を悪化させてしまった。
宿泊療養で体力がすっかり落ちているところに、急に歩き回ったもんだから、
何かいろんなところが「もうやめてくれ」「休もうぜ」「おいおい勘弁してくれよ」とブツブツ呟いてるのがわかる。
3日ほど動き回った後、4日目の今日、うつらうつらしながら終日過ごした。

後遺症の一項目に「集中力が落ちる」とあった。
何のことやらと思っていたが、そんなことはあるのかも知れない。
(あるいは”月からの使者”が来て大量の血液が出ていってるせいかも知れない。)
昨日、稽古に向かい、慣れない路線に乗ったのだが、
急行で座り、ついうとうとして下車予定駅を寝過ごし、
戻ろうとしたところにメールが入って対応に集中していたらまた乗り過ごし、
稽古開始30分前には到着する予定が、行ったり来たりしてるうちに結局遅刻してしまった。
身体と意識が、なんとなく、日常生活にうまく馴染めない。

午後になり、部屋に差し込む日光に疲れを覚えて横たわった。
少しうとうとしていたら、上の階からゴン、ゴン、と、一定のリズムで床を打つ音がする。
ふだんなら舌打ち1つですませるところ、起こされたせいもあり、妙に気に障る。
管理人に電話して、療養中なのでと断りを入れつつ、やんわりながらも、珍しくクレームをいれた。

病人は口やかましいとか、扱いづらいとか言うが、病人側の気持ちがよくわかる。
何だかずっと、慢性的に気が晴れず、どことなく苛立っている。
気づかないうちに八つ当たりをしている。いつもなら言わないようなことを言う → 慢性化する。
室内で動ける自分でさえぎくしゃくするのだから、寝たきりになったり、病院暮らしになったりしたら、どれほど気難しくなるだろう。

前に足首を骨折して松葉杖生活になったときにも思ったが、
怪我や病で健康が損なわれていると、生活環境の見え方がぜんぜん違う。
バスや電車に乗ることはとんでもない大冒険だし、
隣を駆け抜ける自転車はすごく恐ろしい。
衣服や荷物も機能性を重視する(私は普段からそうだが、さらに輪をかけて)。
つまり、人生の主役が、ともすると、自分の意志よりも怪我や病気に奪われてしまう。

もちろん、怪我や病気ありきの身体生活に慣れていれば、その前提のもとに自分の意志を発露することも可能だと思う。
だがそれらに不慣れな白帯者では、あるいは慣れようがないほどの苦痛を伴う場合は、
とてもじゃないがマネージできない。振り回されてしまう。
そして断念することが多くなってしまう。
どうせ。しかたない。まあいいか。
そんな心の中の呟きが増えていく。
この無自覚な後ろ向き姿勢は、苛立ちの蓄積につながる。そして無意識の八つ当たりへと。

他のメカニズムパターンももちろん無数にあるだろう。
でも、自分を素材に、ひとつの仕組みを見いだせただけでも、ほんの少し得るものがあったような気がした。
気がしただけかも知れないけど。

買い出しにいく気力がないため、お見舞いにいただいた食糧や、都が送ってくれた療養サポートの備蓄食糧をついばんでいる。
咳が体力を奪う。

温かいお茶を淹れようか。

過日、日光でいただいたお抹茶&お団子。


nick


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