駅までの徒歩12分が困難で、バスをよく利用していた。
バス停のベンチで、松葉杖を立てかけギブスの左足を乗せてむくみをしのいでいると、
ご年配の方によく話しかけられた。
「大変ね」「若いのにそんな怪我するのね」(年齢は関係ないだろう)「若いから治りも早いわよ」(若い若いって)「気をつけてね」等々。
判で押したように同じことを皆が口にするのが不思議でならなかったが、
天気についての会話と同様、
赤の他人とコンタクトをとるうえでの糊代のようなもので、
ああいえばこういう的な、安心したやりとりのできるフォーマットが成立しているのだろうと思った。
だからこちらも、最初は戸惑ったが、やがて笑顔で「そうなんですよ」「自転車で転んじゃって(泥酔のことは伏せる)」「雨の中自転車で傘を差してて」などと、応対デフォルトを作り上げるに至った。
そしてまた、バス停。
乗り換えのために並んでいたところ、あるご婦人に、いつもと同じように声をかけられた。
「あらどうしたの?骨折?」「ええ、そうなんです。雨の中、傘をさして自転車に…」といつもの応対をする私。
「そう。私もやっちゃったことあるのよ。大変よね、足は。でも若いから治りが…」といつものような返答。
ええ、そうだといいんですけど、と返したところで、ご婦人の手元の荷物に目がいった。
荷物ではなかった。
おくるみを着た、赤子の人形。
薄汚れたプラスチックの、動かぬ顔がのぞく。
虚ろな目。口は半開き。哺乳瓶を入れられるようになっているのか。
ぎょっとして絶句してしまった私、話し続けるご婦人の顔を凝視する。
彼女は何も変わらぬままに話を続ける。
一緒の列に並んでいるバス待ち客たちが、気まずい思いをしているような気もする。
思わず閉口して、曖昧な笑いを顔の上っ面にはりつけたまま、
会話を強制的にフェードアウトさせた。
日々、ただ生きるだけで手一杯だった中、
昭和の匂いがするこういった会話に一時的にでも加われたことに、
多少の和らぎを得つつあった私には、衝撃の一発だった。
バスが来る。
彼女は何事もなかったように、乗り込んでいった。
私も何事もなかったように、乗り込んだ。
いつか同様に、プラスチックの赤子を抱いて暮らすのだろうかなどと思いつつ。