2011年1月25日火曜日

リーディング+チェロ@下北沢カフェ のお知らせ

プチ地獄の底から這い戻りつつあります、nickです。
 
この度、ご縁があり下北沢のカフェでリーディングを行なう運びとなりました。
チェロとのコラボで、アップテンポにてお届けします。
ドリンクもご飯も美味しいです。
日曜夕刻のひと時、是非遊びにいらしてくださいませ。
 
 
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NICK-PRODUCE #19-wordlabo.1
『 r e v e r b .』—新作短編リーディング
 
作・演出/村野玲子
出演/松本寛子、加古みなみ、宇原智茂
チェロ/山岡真弓
ドラマターグ/いとうけい
 
2月13日(日)
17:30開場
18:00開演
1ステージ
 
下北沢カフェ free bird
(下北沢駅北口から徒歩1分)
世田谷区北沢2−25−4
料金:2200円(1ドリンク付)
 
ご予約は村野まで直接ご連絡頂くか、下記より直接お申し込みくださいませ。
 
※席数が少ないため、お早めのご予約をお願い致します。
※演出の都合上、開演後は一定時間ご入場頂けませんのでご注意ください。
 
企画・製作/NICK-PRODUCE
 
 
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ご来場、心よりお待ちしております。
 
 
間もなく2月、冬本番ですね。
くれぐれもご自愛くださいますよう。
 
 
nick 拝。

2011年1月19日水曜日

大黒屋の天丼たち

先々週、浅草の寄席に行ってきました。
あまりに愉快で楽しくて、朝10時から夜7時まで粘りました。
あと二時間を残してギブアップ。
エコノミー症候群めいた足を引きずり、寒風吹きすさぶ夜の街へ。


あまりに腹が減ったので、お参りもへったくれもなく、
取り急ぎ飯屋へ。


12年くらい前に一度入った大黒屋。
ごま油で揚げたエビ天は、変わらず濃厚で香ばしかったです。


おいしゅうございました。

渋谷ちゅるりら

きのう仕事で行った、渋谷セルリアンタワーのロビー吹き抜け写真。


なぜか能楽堂もあったが、
ブライダルの設備が充実してた。
チャーチがあったり、
写真屋があったり。

と、いうことを、無意識にチェックしている自分に気づき、びっくら。
予定皆無なのに…。


年頃なんですかねえ。

2011年1月15日土曜日

新年のご挨拶&雑感

新年あけましておめでとうございます。

昨年中は、様々な人に多様にお世話になり、
またご迷惑をかけ、
また生きる希望を頂き、
本当にありがとうございました。

こいつどこまで面倒なんだ、と思われつつも、
本年も明るく楽しく、かつ深く確かな足取りで、
一歩ずつ前に進んで行こうと思いますので、
これまで出会った皆様も、
これから出会う皆様も、
何卒、どうぞよろしくお願い致します。

* * *

日々が、飛ぶように過ぎていきます。
本業のほかに、副業を大量にやらざるを得ないせいか、
気を抜くとあらゆることが後手に回り、
あっというまに足元がさらわれていきます。
毎日、望もうが望まなかろうが多様な人物と交わらざるを得ず、
一人の時間がこの上なご褒美であるような日々です。
正直なところ、疲れます。


その中で気づくことは、
世が本当に不況だということ。
不況だということは、
天下の通用、お金が回ってないということ。
様々な場面で、行き詰まりを見出します。

お金が回ってないということは、
仕事に見合った対価を得られない、
またはそもそも仕事が得られない、ということにつながります。
それでも、人も法人も、生活するために、生き残るために、
金を得なくてはならない。
仕事を生み出し、金をつくることを、それぞれが必死になってやっている。
尋常じゃないテンションです。
生きていくってこういうことなのかな、と改めて認識させられます。

* * *

私は学生が長かったので、一周遅れで世の中に参加しています。
その分、参加するのに時間がかかります。
そこでいつも確実に軋みや摩擦、衝突が生じますが、
どうにか、力技で相手の歯車を削り取り、
自分の歯車を噛み合わせるようにさせながら暮らしています。
これはこれで、かなりエネルギーのいることなので、
正直疲れます。
でも仕方ないですよね。必要なのですから。
一時期はあまりの自分の不適応に、自分の存在価値を失いかけましたが、
ここ数日でどうにか足元を見出したようです。

* * *

最近、落語にはまっています。
不思議なことに、ようやっと安心できるメディアに出会えたような気がしています。
オペラやバレエも美しく素晴らしいとは思いますが、
日本で見る限り、どうしても欧州の後塵を拝しているようなきらいがまだ抜け切れません。
文明開化、脱亜入欧、追いつけ追い越せ、といったような、
自己否定の論理が今だ働いている、とでも言いましょうか。
接木された文化のように感じざるを、未だ得ないのです。
素敵だな、と思いつつも、若干の違和感を失えない、といいますか。
自分の勉強不足かとも思いましたが、多分違うかと。肌合いの問題で。
安心して身をゆだねる、というよりも、研ぎ澄まされた感覚を要求される、といいますか。
それはそれでいいのでしょうし、そうじゃない方もおられるとは思いますが、
私にはどうにも、背伸びをしている感覚がぬぐえませんでした。
それが、作年末から落語に触れる機会が偶然から多くなり、
年始には寄席に行くに至り、
欲しいと感じていたものがここにあるという思いが日々強まっております。
理由は、まだよくわかりません。
ただ、ルーツだとか出自だとか、そういったものが関わってくるような気がしています。


寄席は本当にいいです。
お囃子が聞こえてくると、尋常じゃないアドレナリンが出ます。
浅草の顔見世に、朝10時から夜7時までおりましたが、
実に幸福な時間を過ごすことができました。
笑う場ですが、テレビでお笑いを見ているのとは全く違います。
人がそこにいて、扇子と手ぬぐいと喋りだけで、こんなに豊かな時間を生み出せることに、この上ない感動を覚えます。
まだビギナーだから、こんなところに感心しているのだとは思いますが、
これからもっと深入りしていく中で、より考察を深めていきたいと思います。

* * *

最近、よく思うのは、
いつまで自分は自分の学校にいるのだろう、ということ。
ドライブするモチベーションの一つに、「勉強のため」というのが確実にあります。
ものごとを知ったり考えたり、技術を身につけていくことは決して嫌いではありませんが、
新たなものごと習得は、当然これまでの習慣や思考回路の部分的な破壊の上に成り立つもので、
それはそれで楽なことではありません。
学校の勉強のように、誰かが指導要領を組んでくれて、
核となるものごとを積み重ねていけるようにいざなってくれるのであれば、
さほど無理なく考えて身に着けていくことができるのでしょうが、
実際の世の中は学校ではないので、そんなことは知ったこっちゃありません。
現場は常に即戦力を欲している。また、常に代えがある。
ある人が、どんな機能を担い、どんな能力を持っていたとしても、
必ず代えがあります。
だから、才能だとか、天才だとか、世界に一つだけの花だとか、
そういった絶対的に価値あるものとして扱われることへ尋常じゃない憧れを持つのだと思います。

ただ、自分に関して言えることは、両親が教師だった上、学校生活が長かったせいか、
自分の中に学校というシステムを持ってしまっている。
誰かが教師で、誰かが生徒。
常に、学び、身につけ、実現することが善とされる環境に身を浸しすぎ、
結果、どのような環境であっても、そのシステムが無意識に作動してしまう。
これは不適応の一因です。世の中は学校じゃない。
若いうちから世にもまれ、学校とは無縁の人からは鼻で笑われるでしょうが、
これはこれで結構難しいものがあります。
教師になればよかったのかも知れませんけどね。
その道は、自ら可能性を閉ざしてしまったため、もうこれで生きていくしかないのですけど。
どうしたものか。

* * *

何か、溜め書きみたいになってしまいました。
もうすぐ朝です。

学校の流れを引きずりますが、
今年は、いくつか卒業しなくてはならないことが見えてきています。
大学8年のとき、7年分の勉強をしました。
どえらくしんどかったけど、新しい知識に触れることそのものは楽しかった。
1年の移行期+8年、計9年のサイクルで、新たな時間が生まれるような気がしていて、
今年はその新たな8年の最初の年になります。
これはもう、どこへ向かっていくか全く読めません。
そういえば昨年の今頃も、一昨年の今頃も、今と全く違う環境にありました。
というか、毎年違う環境にあります。…そりゃ疲れるわ。

よく生きてるな、と今、改めて思いました。

まあそんなわけで、新たなサイクルを生み出すために、
仕込みをたくさんたくさんして、
出すものをたくさんだしまくって、
充実した、理想的な日々を目指して、
日々邁進していきたいと思います。


* * *


今は会えない人は、またいつかどこかで会えるときが来るでしょう。
今幸運にも一緒にいられる人たちとは、とことん付き合いたいと思います。


* * *


今年はどんな出会い、そして別れがあるでしょう。


* * *


長くなりましたが、ご挨拶と代えさせて頂きます。
本年も、よろしくお願い致します。


nick 拝