2009年4月30日木曜日

通り沿いの

サクラの木に、坊がなっていた。
見上げると、枝のあちこちに坊、坊、坊。
月頭には花弁で呼気吸気を喜ばせ、月末には坊で心を和ましむとは、
何たるお得樹木。
サクラよ。


稽古場に向かう。
サクラ並木の公園を歩くと、
柏餅の香りがした。
葉か緑緑と開き、陽光を吸っている。
隙間からそぼ降るおこぼれを身に受ける。
葉までもか。
サクラよ。


知人がサクラを「勝ち組」と称していた。
これだけお得感満載なら仕方ない。
ぶっちぎりトップだ。


好きで好きで仕方ない。
そんな恋心にも似た狂おしさをかき立てるくせに、
振り向きもしない。
どこまでもマイペース。
寿命が違うからですか?


片思い誘発樹木。
サクラよ。


いつしか人類と愛し合わむ。

2009年4月28日火曜日

ザッツ女子。

「でねぇ、
「うん、
「そこのナシゴレンがねぇ、
「うん、
「超オイシかったのぉ、
「へぇえ、
「今度食べに行こう、
「うん、行く行くぅ、
「本格的でさぁ、
「へえぇ…


……あまりの予定調和なやりとりに感慨深くさえなった。
女子の会話と言われるものの典型か。


否定しない。
とにかく肯定する。
肯定していることを大きく伝える。
目の前にいる相手は他者ではない、'私たち'。
場を共有しない者は全て他者。


他者は否定しうる。
自分たちを肯定しあうために、他者を否定する。
それを陰口と呼ぶ。


真意など関係ない。
話を受けている側がナシゴレンを本当に好ましく思うかどうかさえ関係ない。
ただ'私たち'を維持するためだけに肯定を繰り返す。
マジぃ、あたしあの目玉焼きがどうも苦手なんだよね、そもそもアジア料理の味の構成が苦手でさぁ、やっぱフレンチでしょ…などと言い出そうものなら、
次の日、いや下手をするとその日のうちに、その女子は'私たち'失格となり、他者の称号をあずかり、
容赦ない否定と批判と評価の対象となる。


ザッツ女子。


女子2人連れの会話に耳を傾けると、だいたいお互いをとても羨ましがる。
へえ、いいなあ、私なんかさあ…
羨ましければそうなるように努力すればいいように思えるが、真意はそこにはない。


嘘。
バランスをとるための。
'私たち'を維持するための。


ザッツ女子。


だから何だというわけではないが、
女子校時代にこういう会話をイヤというほど繰り返しながら育った私は、その空気の断片だけでも匂ってくると、んもう心底お腹いっぱいになってしまう。
いやいいだろうナシゴレン付き合わなくたって。
フレンチが好きって素直に言えよ。
だって本当に食べたいか?好きかナシゴレン?
自らに問いかけたことはあるか、ナシゴレンが本当に好きか否かを?
数限りある人生の食卓を、付き合いのナシゴレンを頑張ってオイシい顔して口に詰め込むために浪費するのか?
いいのかそれで?
本当にいいのか?
こら、答えろ。
答えさない。
おら、答えろってば。
答えろっつってんだろ、
答えろよ、この女性専用車両乗用者がよ!!


などと胸ぐらをつかんでぐらぐらと揺さぶりあげてしまいたくなる。
自称、悲しきはぐれもの。

しかしまあ、
ウェンディーズのドーナツが揚げたてで非常にオイシかったので、許してやるとしよう。

2009年4月17日金曜日

ああありがたや

きょう、本番を日曜に終えたばかりの柏原直人氏が合流して、ようやく座組がそろいました。


で、飲み。
祝いです。飲むしかない。
で、会計を待つうちに、終電の足音が……


あー……
逃した……


酔ったアタマでうすぼんやりしていたら、小林晴樹が、『ニックさんそれだめっすよ』とタクシーを呼びとめ、三千円を握らせてくれました……


ワンメーターで少し離れた駅まで行き、無事終電に乗れまして。
こんなふうにされたことない私は、びっくりしてしまいました。


昨日は稽古場に財布を忘れたけど、ちゃんと届けられてたし。
人の御恩で生きてるなあと、心底実感するわけで。


ムダ使いしちゃいけませんね、命。


写真はツナギを着てみた若狭華子。うしろが晴樹。

2009年4月12日日曜日

おやすみ。

幕が降りてゆく。
そんな印象を受けた。


中高時代の同級生が、ガンで亡くなった。
告別式で新横浜へ。


受付はすべて同級生。
イベントの度に顔を合わせる、馴染みの顔。
ちえちゃんは、その中の一人だった。


大きな目。
静かな物腰。
決して派手ではないけれど、凜としたものがある佇まい。


喪主のお父様が「宝物でした」と声を詰まらせたとき、涼やかな色合いの可愛らしい勾玉が、パンと弾け飛んだような気がした。


破片は宙に消えた。


溢れる弔問客。
一部屋に納まらず、隣室に通される。
見知った顔がいくつか。
たくさんの年若い男女。
彼女の通ってきた道程が凝縮されて現れる。
きょうは旅立ちの日。


死が繋ぎ直す、人の輪。
これから先は、彼女のいない世界になる。
それを受け入れるために、ほどけかかっていた手をまた繋ぎ直す。
そして彼女と繋いでいた手をはなし、別れを告げ、受け入れる。
柔らかなセレモニー。


淡い香りの白菊を棺におさめる。
若すぎる。
棺におさまるのは、もっとシワだらけの、生きてきた年輪が深く刻まれた人物でなくてはならない。
なめらかな肌、柔らかい唇、黒々とした眉…そういったものがおさまるようには棺は作られていない。


出棺を待つ。
終わった。
終わったのだ。
これはエピローグなのだ。
私たちは彼女を語るためのコマにすぎない。
今日の彼女は紛れもない主役。
人生の着地点を、生者がその網で受け、空に浮かべる。そのための。
私たちの生は続く。


終わりが目の前を通り過ぎて行く。
だけど、終わらせたくなかった私は、ささやかな抵抗としてメッセージカードにこう書いた。


私はもう少しだけ起きてるよ。
いずれまた会おう。
そしてそのときは互いがわかるよう、サインを送りあおう。
とりあえずは疲れただろうから、ゆっくりおやすみ。


4月9日午前4時4分。
田崎千絵、眠る。

2009年4月8日水曜日

サクラ

日差しのぬくもりに、弱くない風。
サクラの花弁がはらはらと散る。


いつもの、駅に向かう道。
日常の間隙に現れたあまりに幻想的な光景に、思わず息を呑む。


いつも通り稽古場に向かい、
いつも通り酒をあおって、
いつも通り孤独なねやに帰る予定でいたのが、
覆された。


美は革命である。
そう言い放ったのは、いつの誰か。
ひりつくリアルをもって、その革命を味わう。


美しい。
この有限な時空間に、無限に佇んでいたい。
永遠を希求する心。
耐えて久しくなかった望みに、心身が奪われる。
このままずっとここにいたい。


このまま、
この幸福なまま、
すべてが包まれたままでいたい。


思わず点在するサクラ群の下を、渇を満たすがごとく、求め、歩き回る。


なぜこんなにも狂おしく求めてしまうのだろう。
自らの時空間の絶対的な有限さから逃れたいからなのか。

あるいは
生きることそのものから
逃れたいだけなのか

サクラ。
見るたびに、死を思う。


そしてただ、
途方に暮れる。

2009年4月7日火曜日

【COMIC】『風の谷のナウシカ』宮崎駿

女性としての、目覚めたての自我を持て余して困り果てている、と友人に相談したところ、
「究極の母性だよ」
と言って貸してくれたのがこれ。
風の谷のナウシカ。


幼い頃、アニメが大好きだった私は、祖母に小遣いをねだっては『アニメージュ』やら『アニメディア』といったアニメ雑誌を買い漁り、
ひたすらそこにあるイラストを真似て白紙を埋め尽くしていた。
人はそれをヲタクと呼ぶのだろうが、シッタコトカ。
あたしゃー先達の絵の上手さに心奪われたんだ。モンクアルカ


絵というか、人の生き様がそこに描かれているような気がしてならなかった。
憎悪の瞳、戸惑いの口元、愛情の微笑み。
二次元は三次元を取り込み、独自の世界がそこにあった。
決して二次元などではない。人のつくりだす、宇宙だ。
今のアニメはどーか知らんが。
私の見ていたころのアニメーターは、とにかくすごい人たちだった。


そんな中の一人、宮崎駿。
ナウシカがアニメージュで連載されていた頃は、
私は単なる鼻を垂らした小学生のクソガキだったので、
「なんやこむずかしそーな」とスルーしていた。
しかしそれも当然だわ。あんなの、ハウス食品劇場で涙してるガキに理解できるわけがない。


まあ何と言うか、映画よりはるかに面白い印象を持ちました。
そして最後まで、ナウシカがどんな人格を持った人なのかよくわかりませんでした。
それほどまでに抽象的な存在なのでした。
ではそんな抽象的な彼女を通して何が具現化されているのか?
それは、人が人として生きるという意志そのものでありましょう。
つまり、意志が人の衣をまとうと、あんな感じになるのではないかと。


そんなことを感じた次第であります。


彼女にしたい、とか、抱きたい、とか、
一切の邪念をとっぱらわせる何かがあり、
それを私の友人は「究極の母性」と表したのではないかと。


後半に、ナウシカのヌードショットがあるのですが、
これがまた何とも言えず色がない。
あっ乳首かふーん、みたいな。
何と言うか、エロくないというか。
生き物としての女性、という感じがしました。
そう思わせるって、何か不思議です。
描き手の姿勢にもよるのかな。


まあでも、私はナウシカになれるわけがなく。
肉欲と情念の虜になる、人間の愚かしさのほうが身近にあるわけで。
やはり悶々とした日常を、やたらと燃費の悪いカラダを持て余しながら、
メーヴェに乗ることもなく、地を這いながら暮らしていかねばならないわけで。


逆に自分の果てしない愚かさを強く自覚してし ま い ま し た
…とさ。


蒼き衣は夢又夢。

ちゃんちゃん。

2009年4月5日日曜日

フライヤーアップ

フライヤーのデザインがあっぷしましたぁ。
内山弘隆さまにつくって頂きました。深謝〜〜


さぁて、ばらまくぞぉ。
転載じゃんじゃんお願い致しまつ☆