2008年10月29日水曜日

【PLAY】『1945』The Company/脚本・演出 ロバート・アラン・アッカーマン

拍手できなかった。
すべきではない。


ロバート・アラン・アッカーマンは、明らかに喧嘩を売っている。


見に行くといい。
世田谷パブリックシアターで、3日まで。


売られた喧嘩を、買うか、黙殺するか。

寝たいのにー。

朝五時。
写真は意味なし。


ビール飲んで寝て起きたら、
眠れないー。


明日朝七時半起きなのに…。


仕方ないから、友人キムルに頂いたスモーキーな液体を、
ちびりちびりと。


筋弛緩剤かのように足元がゆるむ。
やっぱ足が疲れてるんだなあ。


公演後のウツが、今回は来ないけど、
きっと生活で忙しくてそれどころではないからなんだろうな。


…あ、
眠くなってきた。


おやすまなさいまへ。

2008年10月28日火曜日

しくしく。

もう一つ、バイトを増やした私。
日本酒メインの、海鮮居酒屋。
兄貴的な店長がやってる、若くて少し突っ張った、粋な店。


人見知りなので、馴染みのお客さんが来るたびにびびる。


どこに何があって何をするかにいっぱいいっぱい。


初日はいつも緊張します……しくしく。

ホジャの講義

あまりに脳がカラカラな自分に気がついたので、
飢えを満たすために、内藤正典教授、通称ホジャ(トルコ語で先生の意)の講義を拝聴しに早稲田へ。


定期的に、情報や知識への飢えが訪れる私。
しかしドカ食いする余裕もない。
時間はうまく使わなくては……。


10号館の教室に行ったら、えらく大きくて驚いた。
というか、二階席まであって、ほぼ講堂。
聞けば500人はいるという。
毎週、講義ならぬ講演をやっているようなもの。


つい人より長く大学に通ったが、ここまでわんさかいるのを見たのは初めて。


儲けてんだなあ、大学。


科目は「地域研究」。法学部の一般教養。
プチプチ、ピチピチした学生たちが、
ワッサワサ言いながら席につき、開始を待っている。


久しぶりに、座席に座る。
出席カードが配られ、エアコンのスイッチが入る。


何か懐かしい。
思わず薄ら笑い。
女の子がディズニーのファイルからディズニーの下敷きとルーズリーフを取り出す。
学生時代はこういう光景に「てめえら安穏としやがって」と自分を棚に上げて苛立ったりしていたが、
今見ると、「ああこれからの苦労だらけの人生頑張ってね」、と応援したくなる。


イスラームの話を聞いた。
帰りにお茶、ついでにビールを飲んだ。
久々の昼ビール。


思えば、これまで出会った「先生」と呼ばれる人の数だけ、
翼を得てきたように思える。
謝。


もっともっと、翼が欲しい。
ずっと高く、遠くまで飛べる翼が。

2008年10月25日土曜日

うーん。

なんか落ち着かない。
なんかそわそわする。


おなかがすいてきただけなのかな。

2008年10月23日木曜日

【MOVIE】『笑え』監督/太田真博

劇団木霊の後輩の太田くんが、ENBUゼミの映像科を経て、映画を撮っている。


太田くんの映画に出演している先輩の竹井亮介氏から、今日は突然のお知らせ。
火曜日は朝から夜まで働き詰めなので体力がもつか危うかったが、塾講を終えてからふらふらと渋谷へ。


面白かった。


震災体験をもとにした芝居を、神戸で上演する俳優たち。
千秋楽の前夜。
煙草の煙が立ち上り、ビール缶が転がり、スナック菓子が開かれる、畳の大部屋。
洗濯物が干され、ちゃぶ台の上には所狭しと宴会必需品が並ぶ。
少なくとも演劇関係者は、それだけで親近感が湧いてしまう。


座長についての愚痴から始まった会話が、
座長の帰宅を契機に、本人の吊し上げへと変わる。


俺たちに何が足りないんですか。
愛だよ、愛。


繰り返される抽象的な押し問答。


乱暴なまでの議論を経て、傷つけあう中で、
落としどころは現れ、
相互理解の可能性へと行き着く。

怖かった。

学生時代、いやその後も、こんな光景をいやというほど目の当たりにしてきた。
安易な言葉は攻撃の対象となり、
生きていることそのものさえも疑念にさらされる。


てめえ、死ね。

オナニーしてんじゃねえよ。

やめちまえ。

何度も、何度も、何度も見た。
そうならないように必死に主宰を続けてきた。
同じ轍は踏むまい。
あんな恐ろしい目にあったら、私は完全に潰れる。


怖かった。


もう見ることはないと思っていた光景が、再現された。


そういえば、太田くんも同じ光景を何度も体験していた。
それをきっかけに退団もした。


無駄な体験など、ない。


今日は心して悪夢を見よう。

明日の糧になるように。

後輩K

数ヶ月ぶりに、久々の完全オフ。
家で息抜きにドラクエをやっていたら、後輩Kからメールが。


>今日どうします?


彼女はドラマの製作現場でADをやっている。
先週、深夜に現場から無一文で走って逃げたらしい。
殴られ、蹴られ、罵倒され。
自分がそこにいる目的を見失った、とのこと。


先週、開演直前に電話とメールが入った。日を改めて会うことに。
それが今日。


後輩の同期がアルバイトをしているバーに行き、ひたすら飲んで話す。
明らかに以前より酒量が多い。
そもそも何がしたくて業界に入ったのか。
先の見えない仕事の仕方をしていたのではないか。
内省を繰り返す。


目的を思い起こす手伝いが、少しはできただろうか。


彼女には、何度か演出助手をやってもらった。
全体を見渡しながらの的確な仕事ぶりは、助手を越え、
パートナーと呼ぶにふさわしかった。
そんな有能なはずの人が、つぶれかかっている。
その事態にまず驚いた。


直接的な原因が一つ。
どうも暴力を浴びることで思考が停止しかかっていたらしい。
テレビは昔と変わらない。
弱肉強食、上意下達。
大日本帝国さながらの、言わば男尊女卑の社会だそうな。


男女平等をよしとし、暴力は悪とする教えの中で、自由の空気を吸って伸びやかに育った彼女が、
夢を抱いて飛び込んだ世界で実体験したことにどれだけの衝撃を受けたか。
想像は難くない。


話して気が晴れたようなので、さらにカラオケに行くことに。
初めて聞く彼女の歌声は、美しく、真っ直ぐで、自由だった。


回路を開こう。
現場の外を見よう。
発信する側としての自覚と責任感を持とう。
結果は後からついてくる。
そんなようなことを話した、ような気がする。


今まで見たことのないような、能動的な、野心ある顔が伺えた。


生きろ。

2008年10月22日水曜日

貧窮問答

金がないことから得た生活の知恵の一つ。
自炊。


外食の代わりに、食材を買い込んで料理したほうが、
自分の好きなものを、自分の好きなように味付けして楽しめることを、
ようやく理解した。


昔から何かしか作ってはいたが、あまり美味いとは思えず、
結局外食のほうが自分を楽しませる術になっていた。


しかし。
食材の個性や旨みを少しずつ意識するようになると、
自炊の方がだんぜん楽しく、そして美味しく。
作るプロセスを楽しむことも含めれば、満足度は断然上がる。
そんなことを、実家を出て14年目にして、ようやく悟った。
遅い。


楽日の翌日。
打ち上げでは食事が咽喉を通らず、餃子を食べ損ねた。
それがどうにも心に引っかかり、しかしレトルトを買うのも何なので、
ニラや挽肉を買い、餃子の皮にせこせこと包んで、焼いた。
なかなかに美味い。


何であれ、作成するプロセスを厭わないことである。
自炊を怠る原因の一つに、面倒だから、というものがある。
この面倒を、手間ひまかけて作る喜びに、いつしかすりかわれば、
台所はクリエイトする現場になる。


まな板の上も、フライパンの上も、冷蔵庫の中も、
どこも稽古場のようなものである。
食材の個性を考え、仕上がりをイメージし、各パートごとに分けて下ごしらえをする。

キャベツを千切りにし、ニラを刻み、挽肉と和える。
酒や醤油、にんにくを入れ、味付けをする。
そういったこと一つ一つが、食事という本番に向けてなされる準備である。


火加減の調節は、ダメ出しのようなもの。
火を通すことで、どのような影響が食材に現れるか。
注意して見守っていなければならない。
蒸している時間は、熟成を待つ時間。
役者が考え、ある解釈や行為を生み出すのを、ただひたすらに信じて待つ。


仕上がりが美味しいと、次は何を作ろうかと心が躍り、
レシピを見たり、考えたりすることが楽しくなる。


成功体験とは、この程度のものの積み重ねなのかも知れない。

【BOOK】『美徳のよろめき』三島由紀夫

公演期間中から読んでいた小説。
三島の文体やリズム感、価値観、美醜についての感性を知りたくて、
できるだけ三島の作品に接しようとしていた。
その一環。


高校の頃に『仮面の告白』『禁色』を読んではみたものの、
その精巧さ、危険さ、単純に言って面白さは、幼い私には理解しがたいものだった。
同時期に読んでいたフロイトも、一つところでぐるぐると理解に苦しみ、
結局何もわからず仕舞だった。


今は、面白いと思え、だいぶ分かるようになった気がする。


ただ、単に一読者として面白がるに留まるのみだが。


これは姦通の話である。
悩むことを知らずにすむような環境に育ち、生き、これからもそのさ中に生活を築いていくであろう節子は、
幼い頃に口付けを交わした土屋と再会し、肉体関係を結び、恋とするものを思考するに至る。
節子は肉を知り、精神を思い、やがて自らの行く先を自ら選び取るに至る。
姦通を通じて自立を見出すのである。


ここに三島が当時見ていた女性のあり方が息づく。
女性の社会参加など、まだ芽もない時代であった。
女性は結婚し、家庭に収まるのが当然とされ、
働くなどということはまずもって貧しさの証に過ぎない。
キャリアウーマンなどという言葉は、どう考えてもここ数十年の話。
女性は、男を知らず処女のまま結婚し、家庭に入り、生涯亭主しか男を知らぬもの、
それが理想とされていた時代。


冗談じゃない。


三島の『反貞女大学』というエッセイを読んだが、
そこにも「姦通のすすめ」が書かれていた。
姦通を通してこそ、女性の精神の自立がはかれるとか何とか。


女がまだ「解放」されていなかった時代。
その痕跡が大きく刻まれている。


姦通初夜、うまくことをなさなかった土屋に、節子は倫理観の現れを見、愛しく思う。

その瞬間の節子を、三島は聖女に例える。
逆説的な比喩。


三島は、女性に思考の必要を説き、家庭に繋がれたその魂を解放しようとしたような気がしてならない。
賛同の意。

2008年10月21日火曜日

印象

怒涛の更新。
写真は鶴岡お化け。


一つ所にいるとすぐに飽きるタチなので、
何種類ものアルバイトを、短時間ずつ掛け持ちしている。
おかげで切り替えがだいぶ身に付いてきた。


今日は昼間に、情報を扱う研究所の秘書を。
立体画像が何たらとかアルゴリズムがどうたらとか、
一応社会科学畑の学部にいた私からは全くの、未知で無知の世界がそこにある。


今日は、雑務の傍ら、チェコのインターン生が組んだ実験システムの実験台になった。
と表すと大層なことのように映るが、何のことはない、膨大な量の顔写真を見て、眼球の中心と鼻の終わり、頭の左右上下をひたすらクリックしていくものである。


以前、先生に研究内容を尋ねたところ、
カメラで人間をアイデンティファイする方法、とか何とか返ってきた記憶が。
違ったかな。


うまくいけば、防犯カメラに映った画像から犯人特定をすることが容易になるとか何とか。


そんなことを思い起こしながら、様々な角度に変わる顔を、クリック、クリック、クリック。
1人目は、なかなかに綺麗な女性。
ただ、変わるのは角度のみで、表情はほとんど変わらない。

ふーん。


一つ気づいたこと。
当たり前のことだが、角度によりだいぶ印象が変わる。
その大きな原因は、見る対象が正面にある場合、黒目の位置が変わるから、ということ。


あごを引けば藪にらみになり、人相が悪い印象を与える。
あごを上げれば三白眼になり、相手からは見下されている印象が。
あごを斜めに引き見上げると、媚びた、あるいは卑屈な印象が。
真っ直ぐ前を見ると、大切にされているような気になる。


不思議なものだ。


撮られている女性はただ機械的に角度を変えているだけで、上記のような内情を読みとるのは、こちらの勝手である。
勝手に読む。
推測する。


ひょっとして。


様々なことを、勝手に読み違えてきたのではないか。
つまり、誤解をしてきたのではないか。
ふとそんな気持ちが湧いた。

読んで解釈するのは主観によるのであり、
自らは客観と称しつつも主観を語ってきただけなのではないか。


なら演出家によるダメ出しって何だ?


主観を押し付けていく行為を演出と呼ぶのか?


しかしまあ。
言葉で描写できるのは、
私に見える世界と、そうではない他人から見た世界と、厳然としてある事実の世界と、
大別してそういったものにとどまるのではないかと。


自分の使う言葉や見たいもの、見えてくるものの価値を疑ったところで、有意義な展開はない。
大学八年間と、卒業後の数年間を経て得た結論。


疑いを持つことは必要である。
ただし、それは思考の糸口として。
結果、何らかの行為に結びつけていくことこそが、思考の本来あるべき姿なのではないか。


違うかな。


なんてことなど、学生時代にあれこれ考えていたことを懐かしみながらも、クリック、クリック、クリック。


あと1450枚を、4日で…


……


先生、オイラ機械にはなれないよ。

小さな塾で、糊口をしのぐために、昔とった杵柄で英語講師をしている。
その帰り道。


英語は毎日やればいい。
毎日、何かしか英語的な表現や課題に触れ、頭を使うようにするだけで、
思考が習慣づき、勘が養われ、
結果として成績が伸びる。


私が受け持っている子の目標を、「英語を得意科目にする」と設定した。
試験前なせいか、集中力が日増しに上がるのがわかる。


昔はよく勉強した。
毎日何かしかの問題をとき、
時間を忘れることもしばしあった。
結果成績が伸び、
高3で英検準一級をとり、
学年でもトップを争っていた。


しかし。
だからなんぼのもんじゃい。
と思わないでもなかった。


塾に行けば、私より頭のよい、理解が速く深い人間が山ほどいた。
そもそも点数でクラス分けされることの理不尽さを拭いきれないでいた。


だって言葉でしょ?
誰かに考えを伝えたり、理解しあったりするためのものでしょ?
それをテストして点数化して、顔も分からない誰かと競うように番付して、
言葉本来の目的と大きく逸脱してるんじゃない?
しかも戦勝国の言葉。
地球上全ての地域で使われているわけでもないのに。
何でこんなふうに一つの言語を扱うの?


とても不思議だった。


ただ問題や課題を解き、上達していくことが楽しくて、ひたすら勉強した。


でも、本当に意味のあることなのかどうかは、分からないままだった。
不問にした。


教えている子を目の当たりにするとき、ふと当時の思いが蘇り、
教えることに何の意味があるのか、大きな疑問が湧く。
いまだに答えは出ていない。


話し言葉を扱う演劇にいまだ興味が尽きないのも、このときの疑問に自分で答えを見出したいためでもある。


言葉の、本来の機能が失われ、ゲームのルールに堕した瞬間、
言葉に何が現れるか。


生きることは、決してゲームではない。

脱力

もう、ほんとまんまに、脱力、です。
どだだだだと駆け抜けた今年。ええ、今年。
2月、6月、10月と、4ヶ月ごとに本番が訪れるこの…何て言うか、こう…地獄?
あるいは天国?
おまけに3月には台本も一本書き上げた記憶が…。


どれも素晴らしい参加者に恵まれて、幸せで満ち足りた気分ではありました。
そして、足を運んでくださったお客様…本当に、本当にありがとうございます。
ありがとうございます!!


そして今…
心身その他、すとぱーんと草臥れきっとります。
ふおおお…


年内はとにかく休んで、働いて、遊んで、今年これまでやりたくてもやれなかったことを片っ端からやっていこうと思います。
帰っておいで、私生活。どこかに行っていたんだね。
外はどうだったかい。寒かったかい。それとも心地よかったかい。
僕は君がもう恋しくて恋しくて恋しくて……と私生活と久々の再会の挨拶。
抱擁。
涙の代わりに、寛ぎと安らぎが。


生きててよかった…


料理、洗濯、掃除。そのあたりから再会を楽しんで行こうかと。
一昨日は手作り餃子などを作成してみました。
昨日は、餃子の種の残りとモヤシを炒め、辛味噌ラーメンにのっけるなどして。
ああ楽しい。ああおいしい。野菜って本当においしいです。肉も米も麺も…
幸せ。


胃がふくれ、ようやく冷静に周囲を慮る。


今年は何度も「ああもうだめだ」と思いました。
そしてそのたびにどうにかなりました。
これも一重に、皆様のお力添えによるものです。
あああありがたやありがたや…


一例。
先日、突然友人Mから救援物資が届きました。
段ボールの中には食物がたくさん。
公演直前のしばらくは、それらで食いつなぎました。
ありがとう、小面製作のM。


他にも、金がなくて食べられるものがない…というとき、制作スタッフのHがお
弁当を買ってくれたりとか。
皆さんの差し入れを頂いたりとか。
米を頂いたりだとか。
お土産を頂いたりだとか。
その他にも、本当にたくさん。
あと、メールを頂いたりとかも。言葉は精神の食事です。
ありがとうございます。ありがとうございます。
本当の意味で、生かされています。私。


駆け抜けたことで、何となく変わったこと一つ。
何か、これまであったオブセッションが、ふと消えたような気がします。
逃げ切ったというか。
何かやらなきゃ、どうにかしなきゃ、まだまだ足りない、まだ、もっとやらなきゃ、
ああ…—といった、不安と焦りと苛立ちとか、そういったもの。
海底から海面へ向けて必死に泳ぎ上がろうとするとか、
崖から落ちてしまわないよう、しびれる指で岩をどうにか押さえ込んで体を持ち
上げているとか、
そういう感じがすっと消えた。


苦しくて仕方なかった自分の状態が遥か遠くに見え、
今は霧を抜け、目指していた平野、何もないところまで駆け抜けてこられたような、
そんな気が致しております。
まだ息切れと動悸の感覚は残っておりますが、
どうにか、こうにか、生きて辿りつけたような気はしています。


何だったんでしょうね、あの苦しみは。


しばらくはぼんやりして、その苦しみの正体を見定めみようかと。


単に、いわゆる「産みの苦しみ」だったのかな。


むう。


にくす

2008年10月11日土曜日

育児

月並みな感想だけど
子育ては大変だなあと思う


紙皿の裏にアニマル
子育ての風景

2008年10月9日木曜日

勇姿

見よーこの勇姿。


楽しかったなあ。幽霊物件@後楽園。


立ってる人が一瞬で床に横になる、という現象を何度も拝見致しました。


オフィスバーンの皆さん、ありがとうございましたー。


王監督引退。
緒形拳逝去。


何かが終っていく感触がひしひしと。


秋だからかな。


にくまん

2008年10月5日日曜日

消えた魔球

清原の引退試合


最後の打席の最後の直球をフルスイング
見事な三振


直後
桑田が言った一言


「涙でボールが見えなかったんだね」

でっかいカラダで
でっかい三振か
でっかいホームランか
ゼロサムの
スリリングな四番


一番苫篠兄
二番辻
三番秋山
四番清原
五番デストラーデ


私が見ていた頃の西武
ピッチャーは郭
キャッチャーは伊東


強かった
とにかく強かった


時代はめぐりめぐって
当時の選手は殆どが解説かコーチか監督か


時間が流れ
世代もめぐり
いずれまたどこかで明日の戦の幕が開く


涙でぼやけた直球は
終わらない時間の波間へと

清原
おつかれちゃん


月並みな言葉で嫌だけど


くそでっけえ夢をたくさん


ありがとうよ

2008年10月2日木曜日

鶴岡悦子情報

前回ダニーに出演頂きました、つるちゃんこと鶴岡悦子嬢の出演情報です☆
骨太な戯曲で、心の闇を描き出す劇団です。


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親愛なる皆みな様へ‥
風の中に秋を感じる今日この頃、いかがお過しですか。
10月に出演する芝居の日程が決まりましたので、お知らせします。

海市(Kaishi)−工房
『愛しい髪 やさしい右手』

開演時間
10月9日(木)14時
10日(金)19時
11日(土)14時
12日(日)15時
13日(月・祝)19時

前売り3300円
@下北沢「劇」小劇場

またしても、ダブルキャストなんれす。
普通の女子の気持ちを理解しなければいけないという、難役に挑んでいます。
テーマは、愛と才能。
見に来ていただけたらうれしいれす。

つるおかえつこ

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だそうです。
ご興味のある方いらっしゃいましたら、劇小劇場まで、ぜひ足をお運びください
まし!
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaishi/


なーんて…よそ様の宣伝してる余裕なんて全くない私なのでありました…なーむー


皆さん、NICKもどうぞよろしくね!!!


にくまんより。

2008年10月1日水曜日

NICK#15 サイト

サイトがアップしました!
まだ作成中の部分もありますが、どうぞ遊びにいらしてください☆
 

にくにくまんまんより
 


Enjoy MLB with MAJOR.JP! Ichiro, Matsuzaka, Matsui, and more!