2021年2月28日日曜日

『かたひと』

大学8年生の夏、身近な先輩方にご指導たまわりながらも『かたひと』という1時間ほどの小作品をつくった。
引きこもりの男の家に、生きた女が届く。女はひたすら男の言う言葉を繰り返す。
本来、他者は自我の過剰な充足を妨げるものだが、
この女は逆で、自我を無限に広げる役目をする。物理的には他者でありながら、関係性上は他者ではない。
イエスマンとはまた違う従属関係。言わば鏡。
人はこのような、自らを映し出す鏡のような他者を目の前にしたら、どのような行動をとるのか。
ある種の自我実験をしようと思った。


社会に背を向け、引きこもりという自己否定的行動をとっている男は、
鏡を壊すように目の前の女を破壊しようとする。
それでも女は模倣をやめない。
やがて男は女を抱きしめる。そうすることで自らを抱きしめる。
引きこもりをやめ、部屋から出ることを決意する。
そんなような内容だった。(台本データはどこかにある)


今考えれば、人間の複雑さもわかっていないし、セクシャルな欲動が排除されている。そういう意味ではリアルとはかけ離れている。
それでも、ひとつの関係性の鋳型を描いたように思える。
頭の中が抽象でいっぱいだったあの頃、精一杯の背伸びだった。


場所はタイニイ・アリス。
この時の出演者たち、確か5人だった気がするが、うち4人は芝居をやめて別の仕事で元気にやっている。


過去資料を整理していたら、このときのチラシ(ポストカードサイズ)が出てきた。配り切れず余ったチラシ、100枚以上はある。
20年近く、ずっと捨てられなかった。どんなにへたくそで実力不足でも、必死の愛情を持って作った公演。その記憶。
やっと、部屋の片隅のリサイクル袋に入れた。


過去にする努力。


nick

2021年2月26日金曜日

あり得なかった時間の流れ。

今日は午後からスマホの機種変に出た。
30分ほど歩いたショップに行き、なんだかわからないまま、進められるままに契約を更新する。
昨晩紅茶の飲みすぎで眠れなかったせいか睡魔に勝てず、半分ウトウトしながら話を聞き、先の柔らかいタッチペンみたいなのでサイン記入を繰り返し、
手続きを終えたのが店に入ってから2時間後。
データの移し替えのために、1時間半後にまた来てくださいと町に放たれる。


暇つぶしの材料を持ち合わせていなかったため、とりあえず歩く。
「商店街」と名付けられたシャッター通りをぶらぶらと歩き、辛うじてやっている八百屋やパン屋、ラーメン屋をチェックする。
地域に根付いている店しか生き残っていないのだろう。やっている店には、たいてい何人かの客がいた。


やがて団地に迷い込む。いくつもの高層賃貸アパート・マンションが立ち並び、計画的に植えられ管理されている木々や草花、公園、グラウンドが並ぶ。
近くには学童・小学校・中学校。小さなクリニックや、小規模ながらスーパーマーケットもある。
半径100m以内で大概のことがまかなえるようになっている。
公園では子供たちが遊び回り、グラウンドではサッカーチームが練習し、敷地内にある八百屋の店主が買い物にきたおばあさんと話し込んでいる。
誕生から死まで、ここで迎えることが可能だ。


私も似たような場所で育った。もっと規模は大きかったが。小学校の途中から、できたばかりのマンモス団地に引っ越した。
全てが人工的。芝生や木々など綺麗に整えられており、それはそれで嬉しかったが、同時に綺麗すぎて「自然を無理に連れてきている」といった罪悪感も覚えた。
今はだいぶこなれただろうが、当時はバリカンを当てたばかりのスポーツ刈りのように整いすぎて、清潔感よりも違和感があった。


きょう団地を歩いているときに、もう一つの、あり得た自分の人生を思った。
ここで子を生み育て、昼間は何等かの仕事をし、夕方にはとんでかえって自転車で買い出しにでて、
家族の食事の支度をし、夜にはへとへとになって寝る。そんな暮らしをしている自分が、ふと思い描かれた。
仮にそれを私Bとしよう。現存する方が私Aだ。


私Aは私Bを羨ましく思う。家族があり、仕事があり、子を産み育て…子供がうまく育ち切れば、この世に自分の生きた証を残すことができる。
ずっとそう思ってきた。
だが逆に、私Bも私Aを羨ましく思うだろう。自分の時間がほしい。子供や家族の世話に費やしている時間と労力を自分のためだけに使えたらどんなにいいだろう。
…母がいつも言っていたことだ。独身の女性が羨ましい。時間を自分のためにぜんぶ使えて羨ましい…。


たぶん、どのように生きたところで、自分の選んだ道は大変だし、他人はいつだって輝いて見える。
比べたところで意味はない。


近くに立ち並ぶモツ焼き屋を何軒もチェックしたところで、ようやく時間になったのでショップに戻った。
帰宅する頃には日が暮れていた。
新しいスマホに慣れるまで、またしばらくかかるだろう。
今日はちゃんと眠りたいので、紅茶の量をセーブした。


nick

2021年2月25日木曜日

久々のブログ。とにかく忙しかった。

このまま何もしないとぼんやりしたまま日々を過ごしてしまうので、とにかく何かしなくてはと、久々にブログを立ち上げてみた。
これまで数々のアルバイトや契約社員でしのぎつつ、今は完全にフリーランス。仕事がないときは、本当に何者でもない。
現場や仕事が終わると、毎回いきなりゼロに帰る。
精神的に応えるときもあったが、そこからの取り戻し方も少しずつ身につけつつある。
その過程の一環として、今日はブログを開いてみたという次第である。


ありがたいことに、昨年中の後半から徐々に忙しさが加速していき、
今年に入ってからは洗濯機の中に入れられたように、一瞬毎に目の前の景色が変わるような目まぐるしさだった。
どれもやりたい仕事で手を抜きたくなかったが、結果的にやりきれなかったところが後から振り返れば散見される。
悔しさは残るが、やむを得なかった、それでもよく頑張ったわとして、この先の課題とするしかない。


にしても、とんでもない日々だった。まだ日が経ってないので、どうにか生き延びたという実感しかなく、
どうとんでもなかったかを詳細に述べる気力がまだない。
なので、ああ本当にマジ疲れた、という吐息まじりの発言をここで述べて置くだけにとどめる。


久々にまたしばらく時間があるので、なんやかやと書き連ねていければと思う。
といっても大したことではなく、日々の雑感とか、何かの感想とか、そういったよしなしだろうけど。


書くことで前に進むこともある。
言葉は数少ない私の友であり、時に私を縛るエネミーでもある。
言葉との距離を適切に保ちつつ、しばしここでじゃれ合えればと思う。


ここを見る人、見て下さる人は少ないと思うが、一応。
どうぞよろしくお願いいたします。


nick