2021年2月26日金曜日

あり得なかった時間の流れ。

今日は午後からスマホの機種変に出た。
30分ほど歩いたショップに行き、なんだかわからないまま、進められるままに契約を更新する。
昨晩紅茶の飲みすぎで眠れなかったせいか睡魔に勝てず、半分ウトウトしながら話を聞き、先の柔らかいタッチペンみたいなのでサイン記入を繰り返し、
手続きを終えたのが店に入ってから2時間後。
データの移し替えのために、1時間半後にまた来てくださいと町に放たれる。


暇つぶしの材料を持ち合わせていなかったため、とりあえず歩く。
「商店街」と名付けられたシャッター通りをぶらぶらと歩き、辛うじてやっている八百屋やパン屋、ラーメン屋をチェックする。
地域に根付いている店しか生き残っていないのだろう。やっている店には、たいてい何人かの客がいた。


やがて団地に迷い込む。いくつもの高層賃貸アパート・マンションが立ち並び、計画的に植えられ管理されている木々や草花、公園、グラウンドが並ぶ。
近くには学童・小学校・中学校。小さなクリニックや、小規模ながらスーパーマーケットもある。
半径100m以内で大概のことがまかなえるようになっている。
公園では子供たちが遊び回り、グラウンドではサッカーチームが練習し、敷地内にある八百屋の店主が買い物にきたおばあさんと話し込んでいる。
誕生から死まで、ここで迎えることが可能だ。


私も似たような場所で育った。もっと規模は大きかったが。小学校の途中から、できたばかりのマンモス団地に引っ越した。
全てが人工的。芝生や木々など綺麗に整えられており、それはそれで嬉しかったが、同時に綺麗すぎて「自然を無理に連れてきている」といった罪悪感も覚えた。
今はだいぶこなれただろうが、当時はバリカンを当てたばかりのスポーツ刈りのように整いすぎて、清潔感よりも違和感があった。


きょう団地を歩いているときに、もう一つの、あり得た自分の人生を思った。
ここで子を生み育て、昼間は何等かの仕事をし、夕方にはとんでかえって自転車で買い出しにでて、
家族の食事の支度をし、夜にはへとへとになって寝る。そんな暮らしをしている自分が、ふと思い描かれた。
仮にそれを私Bとしよう。現存する方が私Aだ。


私Aは私Bを羨ましく思う。家族があり、仕事があり、子を産み育て…子供がうまく育ち切れば、この世に自分の生きた証を残すことができる。
ずっとそう思ってきた。
だが逆に、私Bも私Aを羨ましく思うだろう。自分の時間がほしい。子供や家族の世話に費やしている時間と労力を自分のためだけに使えたらどんなにいいだろう。
…母がいつも言っていたことだ。独身の女性が羨ましい。時間を自分のためにぜんぶ使えて羨ましい…。


たぶん、どのように生きたところで、自分の選んだ道は大変だし、他人はいつだって輝いて見える。
比べたところで意味はない。


近くに立ち並ぶモツ焼き屋を何軒もチェックしたところで、ようやく時間になったのでショップに戻った。
帰宅する頃には日が暮れていた。
新しいスマホに慣れるまで、またしばらくかかるだろう。
今日はちゃんと眠りたいので、紅茶の量をセーブした。


nick

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