2010年12月19日日曜日

【EXHIBITION】『トランスフォーメーション』@東京都現代美術館

先日、副業と副業の間に時間を無理くりこさえて、
近所にある木場MOTに足を運んだ。
日々実務や実利ばかりを強要される環境にあり、
もう限界を超えたことを強く自覚したので、
何でもいいからアートに身を染めたかった。


木場駅から木場公園に向かう。
が、どえらく遠い。
歩いても歩いても、それらしき建物は見つからない。
仕方なしに、道端のオッサンに尋ねると、
無愛想な顔が一気に破顔した。
話しかけられるって、結構嬉しいもんなのかね。


公園内にある巨大なイチョウの木についていた木の葉が風に吹かれて一斉に揺れて、
イチョウの木全体がでっかいペンペン草みたいになってたのがとても印象的だった。
青空を背景にしたこの光景が見られただけで、迷子になってよかったと思う。


行き着くと、いくつか展示が。
オランダの何たら展と、トランスフォーメーションと題された展示。
後者のキャッチは、「生きることは変わること。」
衝動的にチケットを購入した。


余談だが、美術館の入場料は、演劇に比べてはるかに安い。
映画よりも安い。
なのに、時間と思索を思う存分与えてくれる。
見る見ないも、選択の余地がある。
しかも余計な干渉を一切されない。
コストパフォーマンスがこの上なく良いと感じるのは、私ではないだろう。


さて内容。
といっても、美術について全くの素人なので、難しいことは一切わからない。
が、とにかく変なものが多くて、心底楽しめた。
モダンアート、ってやつなのだろう。
前置きなしに真っ暗な部屋に踏み入れさせられ、音の3D体験をさせられたり、
ナウ○カの腐海にいるような生き物の、頭のようなものがはるか高方にどんとあったり、

お買い物袋を山ほど運ぶ女神の石像があったり、
卑猥な合成写真があったり、
男女どちらか不明な生物が卵を産むグロい映像がえんえん流されていたりと、
そりゃあもう魑魅魍魎感満載で、たいそう楽しめました。
つまらない遊園地より、よっぽどワンダーランド。私にとっては。


おかげで日常の垢がすっかり落とされました。
平日の午後に行ったからか、人も殆どおらず。
見たいものを見たいだけ見れた。ので、満足度大でした。


まあ、ゴッホやドガ展と違って今後も確実に混まないとは思いますので、よろしければ是非。
1月終わり頃までやってます。

東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/index.html


あー面白かった。

【EXHIBITION】『没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった』@新国立美術館

先日、
ガタガタの疲労をおして出向いた銀座での打ち合わせが、
立ち話10分で終わるという驚異的な事態に陥ったため、
終了後、今しかない!とゴッホ展へ。


と、意気揚々と乃木坂駅を出て券売所に行き着くと…
ん…?
並んでる…?


これまで何度か美術館によちよち足を運んだけど、
並んでるのを見たのは初めて。
ちょっと嫌な予感。


そして会場。
朝10時代の日比谷線くらいの混み様。
芋洗いとまでは行かないけど、
美術館でこれは芋洗いに等しい。
何より、作品と鑑賞者との1対1の関係が結びづらい。
常に誰かの頭や顔が視界を遮ったり、
小さな額を覗き込むために赤の他人同士では有り得ないほどの近さで顔が近づいたり、

果ては爺さんの加齢臭を思い切り吸い込んでむせたりと、
ゴッホ以外の雑音があまりに多すぎる。


友人同士での感想の言い合いも聞きたくない。
ゴッホが耳を切り落とした後に療養所で描いた作品群。
狂いないデッサンと細かな点描で、療養所の庭が色鮮やかに描かれていたものがあった。

『僕にはもう不安や苦悩や後悔はない。仕事に専念したい』みたいなことをテオに書き送ったとボードが出ている。
(クロニクルに沿って展示してある。)
その後最終的に、自殺に至る。


するってえと、おばさまが、
「ほら!悩みがふっきれたからこんなにキレイ。やっぱりふっきれると色使いもほら、こんなに鮮やかになるのねえ。」


耳、ありませんけど。
療養所に閉じ込められてますけど。
この後、自殺しますけど。

何故そんなに、想定しうる因果関係の射程距離が短いのだ???
自分のコンテキストに沿った解釈を、 友人とは言えなぜ他人と共有できると思える???

てめえこの野郎、アタマっからもう一回見直してきやがれ、と喉元まで出かかったが、

所詮自分も芋洗いの芋、
絵なんててめえの見たいように見ればよし、
きっと偏屈でおかしいのは自分だ、
とぐっとこらえた。


有名な自画像の前なんて動物園並の人だかり。
いやきっとモチベーション的には近いものがあるのだろう。


興味深い展示で、作品そのものは素晴らしくかったが、
ざらついた印象がついでに残った。

2010年12月9日木曜日

構造フェチ

天井がはがされて中が見える。
エレベーターホールに突如現れた非日常。異界。

配線とかパイプとか、そういう皮膚下の構造が覗けると、
何であれ、
ついテンションが上がります。

2010年12月6日月曜日

本日、排水管の工事とやらで、自宅に軟禁されている。
昨日は一日家で、何やかやとやっていた。
世間では休みかも知れないが、家も仕事場、私に休みはない。
しかしまる二日家にこもるなんて、本当に何ヶ月ぶりのことだろう。


ここしばらく、何故か落語をよく見る。聴くというより見る。
その技の妙に思わず膝を打つ。よぅ、名人だねえ。思わず声をかける。
不勉強なので、桂枝雀や古今亭志ん朝、立川談志の古典落語を片っ端から見る。
新書で噺を読む。
たまに疲れると、何故かハムレットを読む。シェイクスピアは落ち着く。小田島雄志の訳だが。
そしてまた落語に戻る。サゲにきてすーっと溜飲を下げ、また違う噺を聞く。
疲れて、遠出したくなると、公園をぶらぶらしたり、近くの美術館に行ったりしてみる。

秋なのに妙に生暖かい風が吹くね。なんて心中で呟きながら、ゆらゆらと揺れる木の葉を枝中にひっさげたでかい木を眺め、
おおこりゃ長生きしてる木だ、大分人間よりも長生きだ、などと感に入りながら、
干渉されない自分を心地よく覚えて大空を仰ぎ見る。


不思議な日々である。


基本的には、日銭稼ぎの仕事(と言えるほどのものではない、作業だな)をして暮らしている。
でも記憶に残るのは、何もしていないときの時間ばかり。
作業中の自分は、どこか自分と切り離して暮らしているのだろう。
何も覚えていない。


そういえば先日、また酒に飲まれた。
渋谷で飲んでいたはずが、気づくと何故か東京駅を歩き回っていた。何か意図があってのことだろう。
終電も逃してしまったので、どうしたものかと酔った頭で考える。
以前、春先に酔って、皇居の堀端で野宿したことがある。数時間眠り、顔に落ちる雨で目が覚めて、
始発で帰った。誰と飲んだ後の話だったか。
ただ季節も12月だし、野宿で持ちこたえる自信もない。おまけに翌日は丸一日仕事(というより作業か)が入っていたため、
しょうがない寝るかと、いわゆる漫画喫茶を探して歩いた。
安くはない銭を払い、小さな部屋に通される。
掛ける布団も見当たらなかったが、仕方が無い、そのままどんと横になると、
すぐに両の瞼がくっつき、ずどんと眠りに突き落とされた。


まあそう眠れたからどうにか翌日体はもったけれど、
不摂生の後遺症はなくならない。
おかげで一昨日から昨日今日、ずっとくしゃみがとまらない。
へいくしゅん、へいくしゅん、ところかまわず発作が出る。
発作を出しながらも、落語を見てはへっへと笑う。
どこまでも、快楽を追求する姿勢ばかりが曲がらない人間でいる次第。