2011年4月29日金曜日

自由を求め

やべー
嘘だろ
おい
ってほど忙しい
けど


ニョッキ茹でちゃうもんね。


冷蔵庫に潜んでいた
エリンギと、
ブロッコリーの茎と、
ウィンナー、乱れ切り。


冷凍庫に潜んでいたバジルペースト、乱れ混ぜ。


うおりゃああああああああ

バジルニョッキで愉快な昼下がり。

一人暮らしがだいぶ板についてきたなと、今さら。

2011年4月22日金曜日

ううむ。

そろそろ芝居がしたくなってきてはいるのだが。
今はまだ、時期ぢゃない。
耐。

2011年4月20日水曜日

片付けの過程。

被災ついでに片付けをしようとしたら、
これが不要なものが、出てくる出てくる。


押入れの奥、積んであったダンボール、開けては仕分け、開けては仕分け。
…。
何だこの、不要物の量。


おそらく、実家を出るときに、
本当に根こそぎ私のものが出されたんでしょうね。
あ、ちなみに、
私は別に実家を自ら出たわけではなく、
ある日帰宅したら両親の車でそのまま今の部屋に連行されたという、
不思議な家出(自立)の仕方をしましたのです。


まあ、大学1~2年生のとき、
いろんな家を泊まり歩いてあまりに帰らなかったので、仕方ありませんが。


ですから、私の荷物もどんなふうに持ってきたか、
とんと記憶にありません。
きっと両親が、箱やら何やらに詰めて、
運んでくれたんだと思います。
冷蔵庫やらソファやら布団やら、
一通りのものは、どこかからもらったり拾ったりして集めてきてくれていました。
そこにある日、住みなさいと。


今考えればとてもありがたいことなのですが、
びっくりするほど寂しかったことを思い出します。


かつ、
本当に根こそぎ持ってきたんだなあと。
だって、保育園の卒園文集からありましたから。
ふつう、自立するとき、そういった過去の思い出系のものは、
実家に置いていきますよね。
それで盆暮れに帰郷したときにチラッと見つけたりしてひもといたりして、「ああ懐かしい」なんて呟いちゃって、
そんで嫌なこと思い出したり、好きだった○○君元気かなあなんて思いを馳せちゃったり、
どうにか自分のガキの頃の写真を『多少はかわいかった』レベルで受け入れようと努力したりして、
大人になるっていうのはこういうことだよねって何かすこし苦しょっぱ甘い感覚を噛み締めたりして、
お母さん、お夕食つくるの手伝うね…なーんて流れを放流させるための、ある種の人生の小道具みたいなものですよね。
それが何で。
あたしの現在の独居の、しかも押入れに。


たぶん。
たぶんなんですけど。
両親の、「実子指導要領」の中に、きっと『親元からの自立』の項目があったに違いありません。
なんてったって、骨の髄まで教師な二人ですから。
きっとプログラムを考えていたはずです。


でもさ。
にしてもさ。
あたしのもの、ぜんぶ持ってくること、ないじゃん。


おかげで保育園、小学校、中高と、
どんな成長過程を経てきたのか、ようく分かりました。
アホで馬鹿でお調子もので、くだらんことが好きで、
部屋で静かに本なんて読むより、友だちとわっしょいし続ける、
実に今の自分と地続きな人格の断片たちを、ことごとく発見させて頂きましたよ。


引きこもれないわけだ。
寂しがりやなわけだ。
おとなしく座ってられないのなんて当たり前だ。
だってこんなに世の中、愉快なもの・こと・人で満ち溢れてる。
わーっしょい。
わーっしょい。
わーっしょい。


…。


馬鹿です。
本当に馬鹿です。


ただ、
呆れると同時に、
自分が心底そういうもんだということに気がつきました。



とんだヤレヤレ感。

2011年4月17日日曜日

空シリーズ:福島、箕輪

昨年9月。


お友だちになれそうなくらいの、近しい空の色でした。

空シリーズ:会津の曇

昨年9月、会津にて。


今年は福島ツアーコンサートは中止。


しばらく行けないのかな。

空シリーズ:流

台風あけの夕空、京都から東京へ向かう新幹線より。


神々しくておののき、おののき。


とある9月のこと。

空シリーズ:太陽

太陽を撮ってみた!


まぶしくて、何か降りてきそうだった。

畏っ怖ー

道シリーズ:路地裏

気づくと道ばっか撮ってる。


奥行き感が好きらしい。

記憶の枯れ木

2月に久米川で出会った冬枯れの木々。

このフォルムの豊かさよ。

水面に映る。

たわわ、たわわ、たわわ。

今や春たけなわです。

散りつつあり。

ふだんは濁った水面でも、花弁が散り浮くだけで風雅なものですな。

2011年4月13日水曜日

遠吠え

だめだ、すげえ機嫌悪い。
こんなに人が一気にたくさん死んでる。
ファックユー、わけわかんねえ。
人間の死の尊厳なんて、本当に人間が作り上げたものなんだって目の当たりにさせられてる。
所詮おまえら自然の前にはこんな程度のもんなんだぜって、
水ぶっかけられまくってる感じ。

どんなに文化が発達しても、
どんなにコミュニティが密になったとしても、
家が潰れて生き埋めになった挙句死んじゃうし、
その中でたった一人軽傷で生き残っちゃったりもする。
マジかよおい、ファジーすぎるよ。

人間て何なんだよ。
確かにせいぜい生き物にすぎないけどさ。
たかだか一億年くらいしかまともに地球上に出歩いちゃいないけどさ。
それでもこんな、洗い流されるように波に持ってかれちゃうほど、
儚いもんだったのかよ。
ふざけんじゃねえ。
マジむかつく。

悔しいわ。腹立つよ。
エゴは肥大してるよ、確かに。
自分たちの生活豊かにするために、でも危ねえのはやだからって、
臭いものに蓋をするみたいに、地方に原発押し付けちゃったりするような輩だよ。
便利さと豊かさを追求して、
地球の生態系ぶっ壊しまくって、でも何でもかんでもクニが悪い、セイフが悪いって、
てめえのことなんか省みないで何かのせいにしてる腐ったとこあるよ。

だけどさ。
こんな馬鹿にした話ってない。

人間が太古から自然と戦ってきた理由が、今回の一連でとことん分かったよ。
科学が発達した理由も分かった。
自然に負けっぱなしで、神頼みするしかなかったのを、
どうにか改善しようとしてきたわけだ。
だけどまた今回負けてる。
負けて負けて、負けっぱなし。
おまけにびびって、腰がすっかり引けてきてる。
冗談じゃねえ。


人間はな、
負けねえよ。
他の国じゃ、違った理由で人間同士がぶっ殺しあいやってるって馬鹿な話もあるけど、
きっとまだまだ捨てたもんじゃない。
むかつく。
実にむかつく。
なす術がないなんて、本気で、マジで腹立つ。
ってかそんなの、ありえない。


レベル7だ?糞、雑魚が、とっとと引き上げろ。後出しジャンケンでもなんでもいいから、一刻も早く結論を出せ。
てめえらだけで問題を抱えるな。何でもできると思い込むな。
初めてなんだよ。処女童貞なんだよ。
痛いの怖がってたら、何にも、どこにもイケないだろうがよ。
イくんだよ。やるんだよ。やられる中で、新しい何かを掴むんだよ、
力石を見ろ。ノーガード戦法だ。
ジョーはリングの上で、パンチを受けて、力石の戦法を体得した。
どんなに傷ついて孤独で糞でファックな状態でも、
まだまだやれることはいっくらだってあるんだってことだよ。


捨てるんじゃねえ。
負けるんじゃねえ。
人間よお。人間。

2011年4月12日火曜日

4/23、4/30 チャリティコンサート@代々木上原ワインバー のお知らせ。

チャリティコンサートに、バイオリン演奏とあわせた朗読で、出演させて頂く運びとなりんした。
ワインバー@代々木上原にて、4/23と4/30、二週連続の土曜夜です。
ワインもお食事も美味しいお店です。お時間ありましたらぜひ。


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《東日本大震災チャリティーコンサートのお知らせ》

「このたび、東日本大震災で日常生活を奪われた方々に自分たちができることは何か、と考えた橋口恵の呼びかけで、桐朋学園芸術短期大学卒業生を中心とする有志が集まり、チャリティーコンサートを開催することになりました。
私たち一人一人の力は小さいものですが、多くの力が集まれば、大きな可能性が生まれると信じて、行動を起こしました。
私たちの目的は、このコンサート活動をできるだけ長く続けていくこと。少しでも多くの義援金を、まず宮城、岩手、福島、それから青森、茨城、千葉の各県に送ります。
また、当日は、聴きに来てくださる方々に元気になっていただけたら、という想いを音楽にこめてお届けします。
みなさまのご来場を、出演者一同、心よりお待ちしています。」

4月23日(土)
~Vol.1 弦楽と詩歌の夕べ~
【時間】
18:00開場/19:00開演
【出演者】
倉田 由美/歌
桑原 千洋/バイオリン
清水 恵子/ピアノ(伴奏)
鈴木 夏樹/ピアノ(伴奏)
多田 彩子/箏
内藤 美和/箏
村野 玲子/朗読
山本 章子/バイオリン


4月30日(土)
~Vol.2 木管と詩歌の夕べ~
【時間】
 18:00開場/19:00開演
【出演者】
池田 里奈/フルート
橋口 恵 /フルート
矢口 智恵/声楽
山岡喜世子/ピアノ(伴奏)
村野 玲子/朗読
山本 章子/バイオリン


【会場】 Le Depart(ル・デパール)
◆カフェからディナーまで多彩なメニューをそろえたワインバー
◆渋谷区上原1-36-15 Tel:03-3468-6228
(千代田線・代々木上原駅の東口を出て正面、文教堂書店の右隣)
◆当日は、通常営業ですので、ご注文をお願いします
http://r.tabelog.com/tokyo/A1318/A131811/13007336/


当日、入場料はいただきません。募金へのご協力をお願いします。
義援金振込先:宮城県社会福祉課団体指導班、岩手県災害義援金募集委員会など


義援金の集計額、振込実績は、後日、出演者のブログにてご報告いたします。
山本章子ブログ 「本と私とエトセトラ」 http://ameblo.jp/political-history/

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アイデアにご協力頂きました大切な皆様、
心より御礼申し上げます。
朗読だけでシリーズ化できるよこれ、というくらい数多くの案を頂きましたこと、
この場を借りて御礼申し上げます。


今日は余震が多かったですね。
多少の揺れでは驚かなくなりましたが、こう多いとやっぱり不安になりますですな。

2011年4月9日土曜日

桜を見るたびに。

毎年桜を見るたびに、感傷的になってしまう理由がいくつか。

一つはばーちゃんで。
高校一年生にあがるときの春に亡くなったんだけど。
最後、もう完全におかしくなっちゃって。
でも何か知らんが、いつか桜を見せてあげたいなと、
それが私ができるせめてもの歓待だと、
そう思っていたわけで。
そんなことは出来ることもなく、亡くなってしまったんだけど。
田舎の、特別養護老人ホーム、みたいな場所で。
行ったらもう、鼻とかに脱脂綿詰められてて。
何かよく分からないまま、葬式とかそういう流れになって。
私は制服で出て。孫だね孫だねって。
知り合いのおじさんおばさんがたくさん泣いてて。
親父も当たり前のように泣いてて。
かあちゃんは複雑な感じで、でもやっぱり泣いてて。
何となく、あちしは役に立ってないなって、そんな気がしていた。


もう一つはかーちゃんで。
ホスピスに入って、どんどんどんどん痩せてって。
ほいでもう絶対だめだなもうって、誰が見ても分かるわけで。
たぶん本人もわかってるわけで。
でも誰だって、自分がもうすぐ死ぬなんて絶対に認めたくないわけで。
車椅子に乗っけて、病院の周りに咲いてる桜を見せにいくことになった。
びっくりするほどガリガリで、顔色だって緑で、
何日も洗ってない髪を三つ編みでお下げにして、
出かけるときはとてもご機嫌だったのに、
エレベーターに乗って、
外来の人たちの活気の中で、ギョッとした顔で見られて、
自分がもう絶対に外の世界に戻れないんだって、かえってわからせてしまったようで。

しばらく外の風にあたっていたら、とても不機嫌になり。
「帰る。」

帰れないのにね。
帰る先はホスピスの、片道きっぷの個室なのにね。
死ぬしかないってわかってる。
もうどこにもいけないって。だからホスピスにきたって。
どんなにどんなに絶望的な思いに苛まれたことだろう。
頭の悪い人じゃない。
自分が今どういう状況にいるのか、絶望的なまでに理解できていただろう。
命日は4月24日。
その10日くらい前に、モルヒネを増やせ、と言い出した。
どうせ死ぬんだから早く死にたいと。
死ぬ権利だってあると。

そのスピーチは、私の不在のときに行なわれた。
その場に呼びつけられた医師や看護師は、ただじっと押し黙っていたという。
私が8回目の大学生の春を迎え、授業から病院に戻ると、
エレベーターが開いたところで妹たちが困り果てた顔で走って飛んできた。
その頃、私たち姉妹は交代でホスピスに泊まっていたのだ。
認めたくなかったのは、私たちも同じだ。
目の前の人が死んでゆくということを。


と。
まあ。
そんなことを思い出すから、
毎年桜の頃は、私にとってお盆みたいなものでして。
必ず、死者が二人、私に思い出されるのでして。
キレイだなあ、と、ばかのように心打たれ、その波の中で、
死者に届かぬ己れの無力をひりつくほどに思い起こさせられるので。


狂おしければ狂おしいほど、
この身の内も、激しい自責にうちのめされ。
無力、無力、無力、ああ美しい、素晴らしい、無力…自分とこの一片の花弁、どちらに価値があるだろう?…


嘘嘘。
生きていかなくちゃね。


とまあ
けっきょく毎年、
桜との距離感は複雑です。

うーむ。

むむそう来るか。

珍しい後輩からtel。
仙台が実家だから、だいじょぶかとかそんな感じのメールはやりとりしてたけど、
電話するほどの仲じゃない。
おーどした。
ごぶさたです。あのですねむらのさん、ネコ一匹飼う余力ありますか?
ふぃ…っと、ざわざわがよぎる。
えーあのそれは、四つ足?二足歩行?
二足歩行の、オスです。
誰。
俺です。


そんなこったろーと思った。


珍しい人からの電話なんて、たいていこんなもんだ。
無茶な相談を、こいつならだいじょぶだろー的な感じで振ってくる。
○○な人、誰か知合いにいませんか?
○○で人手が足りないんだけど、誰かやってくれそうな人いない?あ、ちなみにビジュアル重視だからおまえ以外で。


…。


いいけどね。
ありがたいけどね、
そういうときに思い出してくれるってのはさ。


そんなわけで、5月から来年の2月くらい?まで、
二足歩行のネコが居候に来ることになりました。
地震やら何やらで何が起きるか分からない中、
よくもまあ、フットワークの軽いこと。


というわけで、片付けを加速させようと試みた。
が。
無理。
ものが多すぎて、
捨てる指針もなくて、
でも最終的なビジョンだけあって、
でも作業量が追いつかなくて。

無理。

っつーわけで、
これから断捨離でもチェキってみます。
二足歩行のネコが来るまでには、とりあえず一段落させなくては。


ううう。
穏やかな日常に、
少し嵐の萌芽が。そよと。

2011年4月8日金曜日

あたしがナイーブすぎるってこと?

あのあの。
何というか、
私がズレているのでしょうか?
それとも、私が普通すぎるのでしょうか?
あの揺れ、あの気仙沼の火事、あの津波、あの津波警報、緊急地震警報、歩いて歩いて歩いて、でも結局帰れなくて、あと出勤中に揺れて電車止まったりとか、あと机の下に潜ってゆっさゆっさ揺れてるのを、ああまた大きいの来たらどうしようと思いながらやり過ごして、あああのときよりは小さかった良かったと安堵して、でも明け方の揺れにはやっぱり驚いて飛び起きてそれから不安で眠れなくなったり、このズボラな私が被災グッズまとめてみたりして、テレビもつけっぱなしにして寝てるのかどうか分からない状態でNHKを方耳に流しつつ夜を過ごして、そいでいつまた揺れるかわからないから不安で不安で、夜も眠るのが怖くて、ウォーキングしようにも歩いて遠出してるときにまた大きく揺れて帰れなくなったりどうにもならなくなったりしたらどうしようと不安だからできなくて、電車が揺れで止まったりとか、揺れてないのに揺れてるように錯覚しちゃったりだとか、職場で一斉に居合わせた人たちの携帯の警報が鳴ってまた揺れて職員が走って扉開けに行ったりとか、でもその中でもお金が必要だからどうしても働かなくちゃいけなかったりだとか、他にも他にもたくさんたくさん何だか色々あった中で、ナイーブになってるねって言われて、作家だからね敏感なんだねっていうので片付けられて、
納得できるわけがない。

関西に、やむなく帰っていた友人が、東京に戻ってきて、あまりの自粛ムードに驚いたという。
徐々に慣れてきている自分がいた。
というか、スーパーの暗さも、駅の暗さも、町の暗さも、ぶっちゃけこんくらいでいいんじゃねくらいに思ってた。落ち着く落ち着く、みたいな。
が、しかし、
昨晩の、大きな余震で、
そんな惰性もふっとんだ。

とても神経質になってしまっている自分がいる。
それは分かる。
東京なんて別に被災してねえじゃん、と言われようが何だろうが、
この国の形が変わったことが、これからも変わっていくことを余儀なくされるということが、
とんでもなく未曾有な気がしてならんのだ。
変わるのは、地図の陸形だけじゃない。
政治も、経済も、教育も、ITも、労働のあり方も、
流通も、資本の流れも、国家間の関係も、
民度も、文学も、死生観も、
何だかもう、いろんなものごとが、
いろんなものごとの前提が、
おっきく変わると思うのだ。

沖縄が、被災者の受け入れを開始した。
ってことは、東北にいた人らが、沖縄までエンヤコラ移動するってことだよね?
そいでもって、中にはそのまま住んじゃったりする人も出てくるかも知れないよね?
そんな距離を、集団で移動するってそんな、あれだ、満州に入植するとか、北海道に屯田兵として移住するとか、そういうレベルの話なんじゃないの?
役場ごと移動してる町もあるんだよね?
てことは、集団の機能が維持されながら移動しているということなのかしら?
そんなことって、これまでありましたか?
個人や団体で疎開するにしたって、あくまで民レベルの話でしょ。
町役場ごと移動って。
公ごと移動ってことでしょ。
何というか、もう、根こそぎですよ。
何というかもう、
民族大移動並みの労力が強いられるわけですよ、
しかも何の準備も無いままに。
負担じゃないはずがない。

フォッサマグナ以西は、プレートが違うから、今回の地殻変動の影響はあまり受けていないらしい。
その分、温度差が大きいらしいけど、それはそれでいいけど、
だからといっておまえら特に被災してないじゃんかとは言われたくない。
そりゃ23区は(一部を除いて)計画停電対象外だったけどさ。
買占めだってあったけどさ。
でも正直なとこ、かなり参ってはいるんだよ、当事者として。

おかしいのかな。
おかしいのかな。
私の神経が弱いだけなのかな。
何か、納得いかない。んだけど。何でかね。