一つはばーちゃんで。
高校一年生にあがるときの春に亡くなったんだけど。
最後、もう完全におかしくなっちゃって。
でも何か知らんが、いつか桜を見せてあげたいなと、
それが私ができるせめてもの歓待だと、
そう思っていたわけで。
そんなことは出来ることもなく、亡くなってしまったんだけど。
田舎の、特別養護老人ホーム、みたいな場所で。
行ったらもう、鼻とかに脱脂綿詰められてて。
何かよく分からないまま、葬式とかそういう流れになって。
私は制服で出て。孫だね孫だねって。
知り合いのおじさんおばさんがたくさん泣いてて。
親父も当たり前のように泣いてて。
かあちゃんは複雑な感じで、でもやっぱり泣いてて。
何となく、あちしは役に立ってないなって、そんな気がしていた。
もう一つはかーちゃんで。
ホスピスに入って、どんどんどんどん痩せてって。
ほいでもう絶対だめだなもうって、誰が見ても分かるわけで。
たぶん本人もわかってるわけで。
でも誰だって、自分がもうすぐ死ぬなんて絶対に認めたくないわけで。
車椅子に乗っけて、病院の周りに咲いてる桜を見せにいくことになった。
びっくりするほどガリガリで、顔色だって緑で、
何日も洗ってない髪を三つ編みでお下げにして、
出かけるときはとてもご機嫌だったのに、
エレベーターに乗って、
外来の人たちの活気の中で、ギョッとした顔で見られて、
自分がもう絶対に外の世界に戻れないんだって、かえってわからせてしまったようで。
しばらく外の風にあたっていたら、とても不機嫌になり。
「帰る。」
帰れないのにね。
帰る先はホスピスの、片道きっぷの個室なのにね。
死ぬしかないってわかってる。
もうどこにもいけないって。だからホスピスにきたって。
どんなにどんなに絶望的な思いに苛まれたことだろう。
頭の悪い人じゃない。
自分が今どういう状況にいるのか、絶望的なまでに理解できていただろう。
命日は4月24日。
その10日くらい前に、モルヒネを増やせ、と言い出した。
どうせ死ぬんだから早く死にたいと。
死ぬ権利だってあると。
そのスピーチは、私の不在のときに行なわれた。
その場に呼びつけられた医師や看護師は、ただじっと押し黙っていたという。
私が8回目の大学生の春を迎え、授業から病院に戻ると、
エレベーターが開いたところで妹たちが困り果てた顔で走って飛んできた。
その頃、私たち姉妹は交代でホスピスに泊まっていたのだ。
認めたくなかったのは、私たちも同じだ。
目の前の人が死んでゆくということを。
と。
まあ。
そんなことを思い出すから、
毎年桜の頃は、私にとってお盆みたいなものでして。
必ず、死者が二人、私に思い出されるのでして。
キレイだなあ、と、ばかのように心打たれ、その波の中で、
死者に届かぬ己れの無力をひりつくほどに思い起こさせられるので。
狂おしければ狂おしいほど、
この身の内も、激しい自責にうちのめされ。
無力、無力、無力、ああ美しい、素晴らしい、無力…自分とこの一片の花弁、どちらに価値があるだろう?…
嘘嘘。
生きていかなくちゃね。
とまあ
けっきょく毎年、
桜との距離感は複雑です。
うーむ。
2 件のコメント:
あなたと同じように、桜を見るたびに,誰もが誰かに想いを馳せます。
みな一緒です。
あの地震さえなければ、と、想う人々が今年はどれだけいるでしょうか。
人がこんなにたくさん命を奪われていくのを近くに経験して、どう受け止めていいのかわからず。
いまだに混乱しています。
関西にいる知人にメールを送ったら、一言、
「メメント・モリ」
と返信を頂きました。
人は必ず死すべき存在である、そのことを忘れるなと。
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