キャストの小林晴樹くんが、地元巣鴨で買ってきて、先週の顔合わせ時に差し入れてくれました。
「『おすがた』って、『雄型』?」
おい。
佐藤ろっきぃが、またよくわからないことを大声でボヤきながら、「くわえちゃおっかな」とせんべいをいじっています。
ゴマがたくさんついているのを示し、宇内が「ホクロ多すぎだから」。
きっと、男子高校生だけだったりすると、毎日こういう会話なのかなあと思う。
「『おすがた』って、『雄型』?」
おい。
佐藤ろっきぃが、またよくわからないことを大声でボヤきながら、「くわえちゃおっかな」とせんべいをいじっています。
ゴマがたくさんついているのを示し、宇内が「ホクロ多すぎだから」。
きっと、男子高校生だけだったりすると、毎日こういう会話なのかなあと思う。
道元の一生を描いたもの。
ストイックな聖人君子ぶりに、かえって「ふうん」。
葛藤がね、ないんだこれが。主軸の道元に。
あんまし人間らしくない。悟りもさくさく開いていくし。
超エリートの、選ばれしモノ、ってことかしら。
周りの坊さんたちも、えらく人ができていて。
で、敵対派閥の僧たちが、これまたえっらい悪で。
なんつうかこう、ある意味勧善懲悪?
悪を懲らしめる場面はないけど、信じるモノはとにかく救われるからね、っていうメッセージが、だだ漏れ。
そゆ意味で、「これ、誰に見せるつもりでつくったんだろ」ってのが、逆にスッゴく気になりました。
しかもラスト近くで道元が弟子たちに遺言めいたものをクチにするとき、「一、ほにゃらら、二、ほにゃららら」と十まで吟じあげるのだけど、ぜんぶ漢字表記の経文だから、聞いてるだけだと何のことやらさっぱり。
こんな音楽も高らかに流れてるクライマックスに、意味不明のセリフを主役に口にされても、本当にまいっちんぐ。
気でも触れたかと思ったよ。
高橋伴明というピンク映画の巨匠が監督。弟子の1人が、誘惑に耐えかねて内田有紀にかぶりつく場面が、いちばんリアリティあって萌えました。
あとは、腐れ駄目ヒモ男の哀川翔がナイス。
底辺描かせたほうが面白いよ。
学校の映画鑑賞に推薦するための試写会だったんだけど。
これを選ぶ学校は本当に限られると思うよ。
という、不思議体験でした。
ちゃんちゃん。
見ず知らずの駅に1人降り立つ
さあどうしよう
とりあえず腹が減ったので
まずは駅前のオリジンでダブルおにぎり
しゃけと焼きたらこ
とりあえず乗り越した一駅分戻れば
どうにかなるだろうと
線路沿いに
まるで芦屋ガンノスケ
おにぎり食べてるし
しかし
やたら歩いたつもりが
駅の周りをぐるぐるまわっているだけだったことに気づきました
なぜかというと
おにぎりを買ったオリジンが
また立ちはだかって
思わずまたおにぎりを買いたいと思ってしまったから
はっ
おにぎりはもう食べたはず
ということは…?
観念して駅前でタクシー
あっと言う間にうちの近くに運んでくれました
とっとと乗りゃよかった
うかつなまでの
深夜の散歩
おやぷみなさい
深夜に資料を作成した勢いのまま、朝から友人と待ち合わせしてウナ丼とハムカツを肴にビールをあおり、昼は日生劇場でミュージカル『マルグリット』を見、その後インドカレー屋でナンをつまみにビールと赤ワインをあおり、夕方から顔合わせと写真撮影をして、さらにビールとホッピーをあおって、
いまようやく帰宅。
長い1日。
酒飲み過ぎ?
ああ、ええ、確かに確かに。
ここしばらく一切口にしてなかったアルコール分を、砂漠の滴のような勢いで消費してきました。
しばらく現場から離れていたため、そこからくる飢えもあったのでしょう。
同じように長期休暇をとっていた、キャストの佐藤ろっきぃと鶴岡も、尋常じゃなくスパーク。
いつもより共演者の人数多いからかな…。
少し目を離したすきに、完全なカオスと化していました。
ここに、さらに今日不在の2人が加わると、どうなっちゃうんだろう…。
などと思いをはせていたら、真向かいで写真家のタイナカ節もスパーク。
打ち上げ花火みたいな会合でした。。
…がむばりまぷ。
特にこのデンジャラスが好ましく、
はるか昔に失恋したときに、妹の家に転がり込んでのめりこむように聞いてました。
おのれなど死んじゃえばいい、と思いながら暮らしていたのですが、
何度も聞いているうちに、マイケルだってこんなにがんばってる…と、
少しずつ立って歩けるようになりました。
そんな思い出の一枚です。
音楽のことは楽譜も読めない全くのド素人なのですが、
たぶん、音の構成が厚いんでしょうなあ。
しかもコーラスが全部マイケルの声だったりするナンバーも多く。
一人で何回レコーディングしてんだよ、などと思い。
その気合いというか勢いというか、
何と言うか尋常ならぬ執念というか、
うまい言葉が見つかりませんが、
とにかく変態なくらいすごいなあ、と思わせてくれるわけです。
私はすぐにいっぱいになって視野がせまくなってしまいます。
すると目の前のことばかりにとらわれ、徒労感や虚しさにとらわれ、
この上なく絶望的な気分に陥り、
自分など生きている価値のない人間のように思ってしまうときがあります。
そんなときは、自分がホンモノであると認識している人たちの表現に触れるようにしています。
すると、不思議なくらい自分の葛藤が相対化できるからです。
理性を取り戻し、感情が息を吹き返します。
エネルギーをもらうって、きっとこういうことを言うのでしょうねえ。
いつの間にか、するりと悩んでいる状態から抜けていることに気がつき、
やがて目の前の課題について建設的に考え始められるのです。
だから、いい表現は人に力を与えるということを、私は信じておりまする。
だって自分がそうなんだもん。
あ、インク一本使い切った。
よかった、もう一つ買っておいて。
芝居で頭がいっぱいになって、昨日夜のバイトをぶっとばしてしまいました。いやはや。
春はただその空気を感じるだけで、生きるエネルギーが湧いてきます。
そういえばもうすぐ後輩の結婚式です。
今月入って、六組の結婚報告を聞き、うち三組は直接祝う環境にあります。
春だからかな。
しかし、ちょい多くね?
私は春に一番バイオリズムが上がる気がします。
冬の寒さから解放されるからでしょうか。
桜なんか咲いたら、もう基地外。
1人で毎晩夜桜祭り。
きゃっきゃっ。
いろんな嫌なことも忘れて、早くはしゃぎ回りたい。
あたしゃー遊ぶために生まれてきたんぞなもし。
中学の頃の担任に、親が「娘さんは快楽主義者ですね」と言われ衝撃を受けてたことを思い出しました。
ついでに高三の担任には「一人相撲をとりますね」と成績表に書かれたことも。
覚えてやがれ。
明日はパルコにアッカーマン演出の芝居を見に行ってきます。
初日はオトナの事情で幕が開かなかったみたいだけど。だいじょぶかしらん。
あーやばい、浮かれる。
来週火曜は馬車道で観劇ついでにお散歩。
何かいろいろ、悪くないっすわ。
小学生の頃、1987年だったと思いますが、そのときのツアーライブがテレビ放送されたんですね。
うちのかーちゃんは何故か興味があったらしく、それをわざわざビデオに録画したんです。
そしたらもう。
あまりのエネルギーに、んものすごく感銘を受けて、惚れこんでしまったわけで。
かーちゃんも気に入ったらしく、即アルバム「Thrillar」をCD屋で購入してました。
その後の「BAD」で完全にラリった私は、いろいろ寄り道しながらも、
マイケルに憧れるままにここまで生きてまいりました。
前にドームに来たときは、確か3回くらい行きました。金ないのに。学生なのに。
ライブに行く習慣のないあたくしとしては、とても珍しいことです。
そしてそのマイケルが、なんとワールドツアーを行なうという宣言を。
本当かなあ。
踊れるかなあ。
だってマイケルはもう50歳。
確実に、以前のようには踊れない。
そのぶん音楽と歌声があるけど、
やっぱり踊りあってのマイケルだし。
そう思って、過去のPVなどをネットで漁って、久しぶりに一人マイケルツアーを堪能してみた。
でももうこんなふうには踊れない…そう考えると、人の一生がすごく短い気がして、
なんだか泣けてきてしまいました。
やがて自分も確実に老いる。
そしてその頃には確実にマイケルはこの世にいない。
いつだってマイケルの音楽に触れていたいのに。
生きているマイケルを、声を枯らして応援したいのに。
会えなくなっちゃうなんて、寂しいをはるかに越えてるよ。
そして一つ思いつきました。
マイケルのライブ演出をお手伝いできたらいいなあと。
年をとったらその分、熟成した見せ方をすればいい。
私ならできる。私とマイケルなら、きっとできる…
そんな妄想を胸に、今宵も静けく一人かも寝む。
皆さんどうも、おやすみなさいまし。
おにくまん
そりゃそうだ。
犯罪者とは言え、自分の半身のように思えた人間が、目の前で絞首刑にあったのだ。
書きたくても書けない。書いたとしても、自分の中の何かが受け入れないだろう。
それほどまでに、書くとは生きる営みだ。
自らの死の可能性を意識すればするほど、生を強く追い求める。
しかし、既に自分の一部が死んでしまったような感覚に陥ったら、その死を凌駕するほどの危機に出会わない限り、生を取り戻すことはないだろう。
かつカポーティは、そんな危機に出会うには、絶望を知りすぎていた。
孤独のレッスン、その1。
絶望の果てにこそ希望は漂うが、
手に届くには危機を契機とする大跳躍が必要である。
かしこ。
NICK−PRODUCE
http://nick-produce.net/
現段階でタイトルはまだ仮題です。
これからどんどん充実させていきますので、みなさまどうぞよろしくお願い致しまうす!
さみいっすね。
はやく雪になんないかな。
にくを