2008年3月31日月曜日

結婚式司会

妹の結婚式にて
司会を行ってまいりました


しどろもどろで
どうにかお開きまでもっていったつもりが


ふだん司会のお仕事をなさってるんですかと
ご来賓の方々より ありがたいお言葉を賜り


いえいえ
初体験です
処女でした


とまでは言いませんでしたが


だいぶ
ハッタリがうまくなったようです


上半身は微笑みで
司会台の下ではアヒルの水かき
台本追うので手一杯


後半は 酒にやられてヨレヨレでしたが
まあ司会の話なんて誰も聞いてねえだろーと思いながらも
まあ楽しく冷静に 適度に盛り上げてまいりました


妹のだしね


マイクを持つと人が変わるだけかも知れんです


酒とマイクで
鬼に金棒


そして翌日には
友人の結婚式の司会台本の打ち合わせを


これって、割と需要あるのね…


にく

古本屋のゴロウ

先日
家のそばの古本屋の前を通ったとき
そこの息子 ゴロウについて思い出しました


あまり話したことはなかったけれど
私とゴロウは少しは知り合いで
古本屋の前を通ると
「よっ」「おっす」と声をかけあうことはありました


そのゴロウは
消えていました


店から消えたということではなく


ゴロウを私に紹介してくれた友人に
「最近ゴロウ見かけないけどどうしてる?」
と尋ねたところ


ゴロウはね
消えたんだよ


との回答


よく意味がわからず
混乱半分で問い直してみると


不安定だった彼は
佐渡島に行く途中の船で 急に大声をあげ 暴れ出し
まわりが止めるのも聞かず 冬の海に消えてしまったとのこと


消えた


その頃私は
人が消える話を書いていました
人が一人消えて 周りがその人のことについてあれこれ思いをめぐらすという大枠


消えるってどういうことだろうと考えているときに
そんな話を聞きました


不思議なほどに 現実と虚構はリンクします
呼び合うように 求め合うように


そのはざまによく落ちこみ 媒体となっているような気がする自分は
いったい今 何を目に耳にしてしまったのだろうと
ふと恐ろしくなることがあります


とくに
台本を書いているとき 
よく起こります


虚構なしでは現実は語れず
現実なくしては虚構は成立しません


現実は 虚構の成る畑のようなものなのかも
虚構は 現実の様々な事象から栄養も毒もたっぷり吸収して
様々な形の実を結ぶ


現実を
よりシビアに知っていくことが
より豊かな虚構を結ぶことになるような気がしております


そして現実を見るメガネとして
数多くの虚構が必要だということ


そうしたローテーションが
常に 新たな地平に導いてくれるということ


そうしたことを
ゴロウのことを考えているうちに
思いました。


ゴロウよ  冬の海は寒かったろう
一緒にアトリエでタバコをふかした時間は忘れないよ


どこかにいたら 連絡をおくれ


にくお

フランスに旅立つ若人

友人?後輩?
友人か
友人のK子がフランスへ旅立ちました


K子はフランス語はしゃべれません
文法を少々独学で学んでいる程度
それで半年のホームステイ


無謀なまでの荒行に
心配を通り越して受け入れるしかありませんでしたが
それもまた
若人


「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と
20代のうちにさんざん言われてきた私
自分をいじめてきたつもりではおりましたが
まだまだ全然足りないみたい


先日
出発前日のK子と その彼氏が
腕をくんで颯爽と桜並木の下を歩いているのを見かけました


ひょっとしたらいつか
この光景がシャンゼリゼ通りに移動することになるのかしらと思いつつ
声をかけ
明日もまた遊べるかのような別れを告げた


じゃあ、またね
気をつけて


当たり前のような別離が
逆に彼女の当たり前の思いが形になる第一歩を予感させるような気がしてならず


ああ
よかったなあと


心から思うのでありました


さばーいぶ
K子

2008年3月25日火曜日

【BOOK】『キレる大人はなぜ増えた』香山リカ

そして引き続き連続更新。
最近、自分がえらくイライラしていることに気がついて、
これじゃいかんと、久しぶりに冷やかしに本屋に行ったら、
平積みにして置いてあったので、
立ち読みしてそのまま購入。


しかし最近、だいぶ平易になりましたね、新書の文体。
読まれなくちゃ、買われなくちゃどうにもならんですもんね。
昔は、教養主義ってのがあって、できるだけムッツカシイ文体が逆にもたはやされたりしたらしいですけど。
今じゃねえ、そんな武家の商法みたいなのはねえ。


『キレる大人はなぜ増えた』香山リカ
朝日選書


「暴走老人」に代表?されるように、本来だったら若者に特有であるとされていた「キレる」という現象が、
老人のみならず、団塊の世代や、セレブと呼ばれる主婦にまで見られるようになっている、という事実から、
それはどうしてか?を考察する本です。
で、最後のほうには、キレないための処方箋、を書いてくれています。
書籍の、精神に与える効用を考えるんですね。さすが精神科医。媒体の意図を理解してらっしゃる。


自分がキレる理由をあれこれ考えながら読んでいたのですが、
忙しすぎるとダメなようです。私は。
だから、嘘でもいいから、余裕を必ず入れ込んで、スケジュールその他を組むようにしています。
イライラすると、本当に能率悪いうえ、集中力が落ちて、作業のクォリティ下がりますから。
休憩は必須です。三時のおやつも必ずです。休憩に珈琲は必ず入れて、飲んで、お茶菓子頂いて、さらにぼんやりして、というのも必須です。
さもないと、本当に人を物理的に傷つけてしまいそうで、怖い。


あと、遅れるからって走るのやめてます。走るくらいなら、遅れます。焦るとろくなことありません。
その分、信頼を失うこともありますが。単純に、遅れないのが一番です。ジャパンルールですが。


なんにせよ、他人に暴力をふるう形でストレスを表出させてしまうのは、
本当に良くないですね。
気をつけたいと思います。

にくにくまんだふる

【BOOK】『何者でもない』原田宗典

どうもどうも。
堰を切ったような更新ですみませぬ。にくえもんです。
いろんなコーナーを自分で勝手に作っていこうかと。ビバ一人上手。
そいでもって、まずは勝手に、メモ的ぶっくれびゅ。
というか、本をネタに、結局自分の話ですが。

『何者でもない』
原田宗典


とある大手老舗劇団に所属した一青年の目を通して、
人間模様や日常生活を描いた小説。
青春小説、かな。


原田宗典は読みやすくて楽しいです。
楽しいけど、ときどき衝動的に捨て鉢になる。
読んでいて、20代前半の、もうバカでバカで仕方なかったころを思い出しました。
バカさは若さの特権だとは言うけれど。
本当にバカでした。
もっと自分を大切にしろ、と今の私なら言うでしょう。その頃の私に向って。
でも、聞く耳もたんかったもんね。バカだから。


何であんなに自暴自棄だったんだろうか。
読んでいて、そんなバカだった自分の姿が何度も思い起こされました。
しかも劇団という、古いしきたりでがんじがらめになった組織、空間が、この小説の主な舞台。
今の私には、一番避けて通りたい、大嫌いなものになってしまった上下、隷属、支配・被支配、抑圧関係が、
色鮮やかに描かれています。


なぜそんな中に好んで身を置いていたのか。
長い時間をかけた受験勉強を経て、演劇に身を染め、
自由になったつもりが、劇団に所属しているうちは、完全に不自由でした。
やりたいことをやっているはずなのに、やりたいことが見つからない。
思うように動けない。何かドキドキするものが確実にそこにあるのに、つかめない。
そんな空振りな日常の中、演出助手に誘ってくれた方が何人かいました。
そのおかげで、演出サイドに回る機会を得て、
今に至ります。


人のご縁とは、不思議なものです。
でもその人たちと過ごす時間、交わす言葉、今ある全てが、
これから先の出来事につながっていくと思うと。


人と出会うことは、これから先の可能性を切り開いていくことでもあります。
出会いすぎて、しがらみで閉ざすことになっては、元も子もないですけどね。


なんてことを、この小説を読んでから、ぼんやり考えておりました。
一昔前の劇団のリアリティを知る人には、肌でわかるエピソードばかりです。
知らなくても、自分の所属する組織に置き換えて考えつつ読むと、
納得すること満載です。


お手すきの際にでも、ご一読あれ。

にきまんじろう

2008年3月24日月曜日

キオクのフタが空いて

前に
奥様がいる方を
尊敬し憧れているときがありました


その方に
晩に 仕事先に
奥様からお電話があり


その方は
「どうせたいしたメシがあるわけじゃなし」
とおっしゃりながらも
いそいそと帰宅されました


よく私の父は 母のつくった食事に対し
「大したものじゃねえな」と吐き捨てるように言っていたのですが
私はそれが本当に本当に不愉快で 嫌で嫌で
そうした 誰かを貶める言葉を聞くたびに
そんな家から逃げ出したくてたまらず


私の憧れていたその方の言葉に 思わず実家を思い出し
父と母と同じように その方と奥様は
あまりうまくいっていないのではないかと
しごく勝手に早合点し


私はその方を
そんな不幸から救ってあげねばと
勝手に思い込みました


その方の
上記の独り言が
不平不満からくるものではなく
単なる照れ隠しだったのではないかという考えに至ったとき


ああ
なんて大きな勘違いを


つい先日のこと。


にくまん

2008年3月23日日曜日

どうもどうもー☆

ごぶサタンなNICKです。
どうもどうも、こういったものは三日坊主になりがちなので、
毎日毎日、と根詰めるのではなく、
たまーに、書けるなあーと思うことがあったときに、
ふうわりと更新していこうと思いますので、
みなさんどうぞよろしくお願い致します。


さて近況報告より。
先日、翔和学園の大学部卒業演劇に、
ご縁があって台本提供をさせて頂き、
無事終了致しました。


彼らは「自閉症」や「学習障害」と一般的に呼称される「障害」を持っていて、
通常の学校教育では疎外されがちで、
各人紆余曲折を経て、最終的にその学園に通っています。


電車やアニメが好きな男の子や、
アイドルを好きな女の子が、
大騒ぎしながら授業を受けたり、文化祭を運営したりします。
いわゆる「特殊学級」の生徒たち、ということなのでしょうか。


本番には、残念ながら数名の欠席が出てしまいましたが、
先生にセリフだけ入れてもらいながら、
どうにか進行していきました。


客席で見ていた私は、ヒヤヒヤ、ドキドキしっぱなし。
でも、予期せぬところで客席から笑いが起きたり、
自分でも「あっこの場面はこんなに面白くなるんだ」と新たな発見があったり。
新鮮な時間を経験しました。
おまけに、自分の書いた本は、やっぱり自分好みなんだなあと再発見(笑)


終演後、興奮して感想を喋りまくっているお母様方を見て、
ああ、皆にセリフや見せ場があるように、と配慮した先生方の希望は、
きっとここにも帰結するんだな、と思いました。
よかったなあと。


私の拙い台本を一生懸命覚えてくれた皆に挨拶をしに行こうと、
裏へ会いに行きました。
ヤマちゃんが寄ってきてくれたので、握手をしました。おつかれさま。
するとヤマちゃんが少し泣きました。おろっ?どうしたの? 大変だったの?
「うん」。


ヤマちゃんは、覚えることが苦手だと、以前伺ったような。
では、自分のセリフを覚えて、セリフを言うタイミングを覚えて、
しかも動いてしゃべって、というのは、
とても大変なことだったに違いないなあと。


また、演劇部(あるんです)の女の子が口惜しそうにしていました。どうしたの?
「やりきれなかった」えっ?「いや、もっとできたなあ、って」。


皆の、こうした一つ一つの感情や経験が、まだ見ぬ明日につながると思うと、
教育っていうのは、まさに未来の基盤をつくる営みだということがわかり、
自分は何て良い現場に関わることができたんだろうと、
あまりの幸運に胸が満ちてしまいました。


教育とは、不思議なものです。
そしてこの上なく大切なもの。


未来は、こうやって創っていくものなのかなあ、と、
少し腑に落ちたような気がしました。


にくまん