2011年12月19日月曜日

やんなっちゃうなあ。

生きてくのって、
案外楽しいと思うときと、
案外しんどいと思うときが、
ミックスされつつ交互に入れ替わり立ち替わりするもんなんだね。


ま、
落ちれるうちはとことん落ちますよ。


どっかで止まるだろ。


肉。

2011年12月14日水曜日

あ、

孤独と孤立ってのは、だいぶ違うものだな。
前者は主観的な印象あるいは感覚、後者は集団内での在り方で客観的なものだ。
どうも取り違えていたようです。

芋食べたい。

2011年12月8日木曜日

悪癖

きのう。
下北沢で芝居見て、担々麺ガツ食いして、うとうとしながら東西線に乗ってて。
したら40後半〜50代くらいの、亀井静香みたいなオッサンと石破みたいなオッサンがでかい声で話してて。
どうも「中村さんが保守的だから社内の体制はこのままだと変わらない」みたいなことを喋ってるようなんだけど、
でも、亀井静香の方の発言にね、どうしても放送禁止用語が混ざる。
「中村さんはまんこ、おっぱいで保守的だから、せっくすせっくす、変わらないよね、おまんこ社内は。」みたいな。
で、石破が「そうですよねえ。やっぱり中村さんが問題ですよね」「まんこ」みたいな。

自分が欲求不満でとうとうそんな空耳アワーに至るほどになったかと思って、何を聞き間違えたのか注意して聞き始めたんだけど、どうしてもやっぱりまんこおっぱいせっくすで。
たまにちんこって。
会話の間にも「まんこ、まんこまんこ、おっぱいー」って。


車内は六割くらいの乗車率でそこそこ混んでて、冗談でやるにしてもちょっとスキルが高度すぎるし。


そういう病気なのかなあ。

2011年11月19日土曜日

乱痴。

午前11時から飲み始めた、葛西臨海公園でのバーベキュー。
学生劇団時代の後輩やら芝居仲間やらとで気がねなく。
久しぶり安心して酔っ払いきりました。

そして宴会は深夜まで。

たまにはいいか。

2011年11月15日火曜日

本を。

売ろうと思い、とりあえず居間に積み上げてみてます。

被災したままの部屋がひとつ手付かずであり。
あまりのモノの多さに逃げ回っていたのですが。
そろそろいいかな、と。

学生時代の向学心がいっぱいつまった積ん読の山。
読まなきゃ本もやってられませんよねと。

片っ端からブックオフへお連れすることにしました。


ありがとう。

2011年11月13日日曜日

大観覧車

先日、学生劇団時代の後輩たちと、「昼から後先考えず飲む」ことをコンセプトに、葛西臨海公園でバーベキューをして参りました。

帰りに乗った、大観覧車。

どえらいガス抜きになりました。
たまには必要ですね。

2011年9月18日日曜日

ふわり

バナナ+グレフル+オレンジの、ミックス汁。


肌も荒れ気味な上、カラダもガチガチに固まっていたので、半身浴も合わせ技。


おかげで発汗が日々ハンパない。
単なるデブ症かと思っていたら、そうでなく。
代謝が加速してる。


テレビも煙草も無い生活、
時間がやたらに余る。
違うことに目が行き、楽しさ半分、戸惑い半分。

環境って、大きい。

2011年8月23日火曜日

酔っ払いの戯言

深夜に、九州土産の柚子胡椒をちょびちょび舐めながら、ビール呑。
ついあけてしまった。


キッカケは宇原氏の電話。
「れいこぉ!今さっき飲み屋のテレビで見たドラマがどえらくつまらなくて、アタマきちゃってさあ!」
…おおお…また面白電話か…。
聞いているうちに、こっちまで腹立ってきて、
つい冷蔵庫をあけ。
つい缶ビールをあけ。
ついでにカロリーを考慮しつつ、激辛柚子胡椒を取り出し。
深夜にプチ酒盛り。
充電切れのため通話を終えた今も、まだひっそり続けてる次第。
愉快。


テレビドラマついでに。
昨日、ドラマADをやっている後輩の家に遊びに行きました。
場所は麻布十番。
何軒かハシゴしてから、惣菜やらデザートやら買い込んで家へ。
いやはや、かなり豊かですね、麻布十番。
また行きたい。美味しい店、美味しそうな店がありすぎる。
食指動きまくり。


その後輩が、
もう辞めたい、もう絶対辞める、と何度も何度も呟いており。
そしてこれは5年前からずっと続いてる光景なのだけれども。
今回は、断固とした意志を持って辞めます、と宣言しておりまして。
どうなることかなあ、と生暖かく見守ってる次第。


ドラマが、
新しいものが生まれにくくなってるみたいです。
オリジナルが不作、といいますか。
全体的に、作品としての層が薄い、みたいです。
創っている充実感が、より大きな有意義なものに貢献できている感覚がないのだろうな、とうっすら思います。推測ですが。


なんであれ、相当きついみたい。
殴られ、蹴られ、罵倒され、セクハラされ。


違うテレビ会社の友人に、これはどういうことかしらと尋ねたら、
ドラマや映画やってるとこはかなり古くからの悪習が残ってるよ、とのことで。
私の後輩は、なかなかの現代っ子なので、この昭和~な感に完全にノックアウトされてしまっているのだろうなと推測。
ううむ。
がんばっても仕方ないことだな。


嫁に行くしかなかった数世代前に比べ、相対的にマシな雇用状況に生まれたとは思いますが、
やはり考え方なんてものはそうすぐに変わるわけではもちろん無く。
30代、40代は、労働現場にいる女性を当たり前のように受け入れますが、
50代、もっというと60代になると、とたんにアレルギー反応を示す場合が多い。
「女だから」「女ってもんは」「いつ結婚するの」「女の幸せは」等々、だいたい口にするのは60代以上かと。


まあね、
気持ちはわかるけどね。
でもさ、幸せをつくる行為って、たぶん結婚して嫁さんになって、ってだけじゃないことを、
女は知ってしまったんではないかと思うのですよ。
いや確かに結婚して嫁さんになって子供産んで母親になって、っていうのは、幸せなことなんだろうと思うよ。
でもさ、それだけ、って。それだけしかないって。おかしいでしょ。
他にもたくさんあったっていいはずでしょ。人なんだから。自由なんだから。


たぶん、結婚という神話、嫁という神話、母という神話が、絶対視されなくなっているんだと思います。
というか、少なくとも私は絶対視できない。どんなにそれが人為的なもので、
維持する上で犠牲と苦労を強いるか、見てきたつもりでいるので。
社会的技術だと思うんです、そういうの。ソーシャルスキル、っていうんですか?横文字化すれば。
感情とか人間性とか、そういったものとはまた違う次元の話で。
社会を維持するために、必要なもの。必要な単位、必要な制度。
だから、大切だと思うし、大切にしすぎると個人が死ぬと思う。


違いますかね。


何だか最近、どんどん、自分が反社会的な存在な気がしてならなくなっています。
でもそれはそれで仕方ないかとも思いますが。


ただ、そういった観点からでも、
共感を生めるような、面白く興味深いドラマがつくれたらいいなと考えている今日この頃。


だいぶモチベーション復活してきました。
働いて働いて。


がんばります。

2011年8月9日火曜日

ただいま。

予定より延泊になったあげく、イターリアから帰国しますた。


何がしんどいって、飛行機19時間がいちばんきつい。


しばらく収入よりも体休めを重視します。。


しばらく生ハムトマトチーズワインは見たくもない。

2011年7月24日日曜日

いざイタリア。

突然ですが、明日というか今日か、イタリアに行ってきます。
「いいなあ」という声をたくさん頂きましたが、
何のことはない、オペラの雑用係です。

場所はピサのトッレデルラーゴとやら。
今週の火曜に行くことになったので、下調べなどさっぱり。
とりあえずイタリア語も入っている電子辞書を慌てて購入。
そしてトランクの中には、日本食の山。

はい。
ケータリング係です。

「あたし何持っていきましょう?」と、関係者の様々な方に聞いたのですが、
皆とりつかれたように「おにぎりを」「おにぎりが」「おにぎりの」中身がどうこう、
と、おにぎりのことばかり口走るので、
とりあえずおにぎり周りのものを買い揃えました。海苔とか。ふりかけとか。あと味噌汁とか。
おにぎりという病。


他にも、煎餅やら日本茶やら、とりあえず恋しくなりそうだなーと思われるものを買い揃えて、
あとは向こうでコーヒーとかチョコとか。
パン、ハム、チーズ、そこらへんは潤沢っしょ。


ってなわけで。
あんまり深く悩まず、行ってまいります。


どうなることやら。

2011年7月11日月曜日

そういえば誕生日。

昨年のちょうど今頃、シアター711という下北沢の小劇場で、小屋入りしてました。


この711、セブンイレブンだとかなんだとかいろいろ言われてますが、
下北沢演劇界の元締め?本多グループのボスの、誕生日だそうです。
7月11日。

…。

なんというか、
そんな名前を劇場につけちゃうところにびっくり。


あれですかね、
自分の名前を発見した大陸につけたりとか、
戦争の作戦名に俺の名前つけちゃうとか、
月の着陸した場所にあたしの名前つけちゃうとか、
そういった、歴史に足跡残したい的な、限りある命あるものとしての性、みたいなものなんですかね。

…。

いやまあ、いいんですけどね。
あの劇場も、「本多」劇場、ですし。
私的公財、みたいなものなのでしょう…そんな言葉あるかどうか不明だけど。

男性、女性と分けるわけではないけど、こういうふうに自分のモニュメントつくりたがるのは、男性的な発想なのかしらね、とふと思いました。
形にしたい。認められたい、誰しもに。
できるだけ永く、できるだけ広く。
強烈な自己主張。


全然、悪くないことだと思います。
ただ驚いただけで。
その素直さが羨ましい。


そんなわけで、
お誕生日おめでとうございます、本多さん。


写真は、Sちゃんから頂いた、やさしくかわいいアイツです。


2011年6月9日木曜日

ふと。

アタマとココロの引き出しをあけてみる機会があって、
そこには脱臭剤しか転がってないくらい、がらんどうだったことに気がついた。
いつの間に、こんなに空っぽになってしまっていたんだろう。


出てくるネタも、古いものばかり。
20代の半ばくらいまで、すなわち学生だったときまでで、
何かが止まってる。



なんもない


久しぶりに冷蔵庫をあけてみたら、
最低限の調味料以外何も入ってなかった、
というような状況か。
なんかつくりたいのに、
これじゃなんもできん。


素材がない。
人参だの大根だの、肉だの卵だの、蓮根だの白菜だの。


レシピは無限にあるのに。
実際の、モノがなければ始まらない。


そんな当たり前のことに、
しぶしぶアタマを下げるしかなかった、
35の夜。

バイクを盗む無鉄砲さは、昇華して創造に向けられることを知っている。

2011年6月2日木曜日

誕生日前夜。

34周目が、あと少しで終わり。
35周目にかかる。


中学生のときに憧れていた先生が、確か34歳。
ブラックオアホワイトの頃のマイケルが34歳。
34歳は、憧れの対象だったことが多い。
とっても素敵な、成熟した大人に見えた。
気がした。


そうでもなかった(笑)

2011年6月1日水曜日

深夜の迷子

愉快に酒を飲んで、
美味しい中華をいただいて、
あらゆることがめんどくさくなって、
もうぜんぶ忘れてしまおう、
とぼんやりしている帰り道。


私、つかれました。
自分の現場を離れ、放浪の毎日を送っております。
毎日が、新しいことの連続。
いい加減、自分が見えなくなりました。
しかし、あるいは、
そんなふうになりたくて、こんな毎日を望んだのかも。
…わかりません。


いまはただ、
疲れと酔いで、眠たくて、眠たくて、
でも明日を迎える準備をするために、
今日を終えるのがもったいなくて、
すごく眠いのに、踏ん張って終電で立っている。
でも、眠いんだって。


どんなに明るい色の服を身につけても、
自分がどんどん齢を重ねているのが、
窓ガラスにうつる影でわかる。
だいぶ年をとった。


なんの後悔もしていないけど、
一つとして不安が解消されていないのは確か。
あとは、良いことがあったり、なかったり、
たいして良くもない日々が続いたり。


舞台に戻りたい。
でも、どうやったら戻れるのか、わからない。
まだキッカケがつかめないままでいる。
…きっと、タイミングではないんだろう。


そんなことをもやもやさせながら、地下鉄の何もない風景を眺める。
こんなんなら、窓なんかいらんだろうに。


早く、帰りたい。
帰りたいどこかに、帰りたい。
でもそれがいったいどこか、忘れてしまった。
忘れっぽくなった。
ただ、忘れてはならないことまで忘れてしまうのには困る。


どこに行くとよいのだろう。
私は。

6月4日(土)・11日(土)チャリティーライブのお知らせ

急なお知らせで恐縮です、、が、
今週末と来週末の土曜夜に、またまた代々木上原ワインバーのチャリティーライブに、
バイオリンとあわせた文学作品の朗読で参加します。
一杯ひっかけついでにチラリと覗くだけでも構いませんので、
ご都合よろしければ是非遊びにいらしてください♪ラザニアやパスタも美味しいですよ~♪
http://nick-produce.net/

===============================
東日本大震災で日常生活を奪われた方々のために、チャリティーコンサートを開催します。
第3・4回目となる今回のコンサートは、小さな活動でも長くつづければ大きな力になるという出演者の想いが、
家族・友達・同僚さまざまな仲間の共感と温かいご協力に支えられて、実現に至ったものです。
みなさまのご来場を心よりお待ちしています。

★東日本大震災チャリティーコンサートVol.3
2011年6月4日(土)・19:00 - 20:30 (18:00開場)

【プログラム】
「夢十夜」(夏目漱石)/朗読:村野玲子 ヴァイオリン:山本章子

「歌うたいのバラード」(斉藤和義)他オリジナル曲/ギター・ボーカル:山本博之 ヴァイオリン:山本章子
“Every Breath You Take” “Lovin’ You” “Don’t Know Why”/ボーカル:倉田由美 ギター:山本博之 ヴァイオリン:山本章子


★東日本大震災チャリティーコンサートVol.4
2011年6月11日(土)・19:00 - 20:30 (18:00開場)

[プログラム]
ヴァイオリン:山本緑・山本章子 ピアノ伴奏:山岡喜世子
「プレリュードとアレグロ」(クライスラー)
「愛の悲しみ」(クライスラー)
「ユーモレスク」(ドボルザーク)
「ノクターン第20番嬰ハ短調」(ショパン)
「チャールダーシュ」(モンティ)
「タイスの瞑想曲」(マスネ)
「二つのヴァイオリンのための協奏曲より第1楽章」(バッハ)
「カノン」(パッヘルベル)

朗読:村野玲子 ヴァイオリン:山本章子
「駆け込み訴え」(太宰治)


【入場料および義援金について】
入場無料ですが、義援金へのご協力をお願いします。

また、会場となるお店は通常営業ですので、ご注文をお願いします。

今回集まった義援金は、第3回目は福島県、第4回目は宮城県の義援金口座に振り込む予定です。

お客様には、集計金額および振込完了について、後日ご報告させていただきます。

【会場】     Le Depart(ル・デパール)
東京都渋谷区上原1-36-15
TEL: 03-3468-6228

代々木上原東口正面、文教堂書店右隣

2011年5月31日火曜日

預言いただく

聖書について調べものをしていたら。


* * *


イザヤ 54章

「歌え、不毛な女よ。
一度も子供を産んだ事がないお前よ。
歌わずにいられないほど喜びに叫べ。
一度も出産の痛みを味わった事の無いお前よ。
なぜなら、人々から見捨てられたお前の方が、夫がいて子供をもつ女よりももっと子供達を持つだろうから。

お前の場所を広げるがいい。
お前の持つすべてを大きく広げろ。
後にはもう引くな。
あらゆるところに関わり、あらゆる絆を結ぶといい。
お前はあらゆるところへとその羽を広げるだろう。
お前を信じる人々とその子孫は、きっと国々の大勢を占めるだろう。
そして、かつては自分達を見捨てた土地で安住を得るだろう。


* * *

この後は、神表記が出てきちゃうから、非キリスト者のおいらはちょっと気持ちがもやつくんですが。
ここまでは、えっ何、毒女への応援歌!?とたじろぎました。です。

当時は戦争で夫を亡くして寡婦になることが多かったでしょうから、
そういう女性への言葉だったんでしょうね。

2011年5月27日金曜日

流れゆく方

忙しい。
忙しい。
忙しい。

というか、
ゆっくり立ち止まって一息つく時間がない。空間がない。
つくりゃーいいじゃないかとも思うのだけど、ぼんやりしようとすると「あれやんなきゃ」「これやんなきゃ」が沸いてくる。
ちょっといい加減、ぐったり。

根っこはのんびりゆっくり確実に、なので、スピードを要求されるととたんに余裕を失います。
まあいいけどね。やるけどね。
とっても感じの悪い自分が出てきて、せっかくかぶった社会性の仮面がすぐに破れ、守ろうとしていた立ち位置を変えてしまう。
寂しいなあ。
けど、仕方が無い。そういう性分なんだし、そうあって結果オーライなんだから、きっと。


本当は、考えなくちゃいけないことや、やらなくちゃいけないこと、
本当の意味で向き合うべきことが、
確実にあるのに、それがあることもわかっているのに、
目の前の瑣末な現実に追われるふりをして、目をそむけている自分がいる。
のを、知ってる。
知らないよりはいい。
でも、知ってるので、知っちゃってるので。
現実逃避の旅が終わるのも、時間の問題なのかも知れないなと、
今はぼんやり思うのみ。


来し方をぼんやり眺めながら、流れゆく方を見やる。
執着をなくした私は、いったいどこまで浮いていくのか。
よく、わからないけど、なるようになるしかないと、今は思う。



きっとどこかに港があるはず。

2011年5月17日火曜日

【EXHIBITION】『シュルレアリスム展』@国立新美術館

先週の、とある午後。いつだったか忘れた。あ、確か月曜。
予定していた仕事がキャンセルになったので、突如時間ががっつり。
どうしよう。
どうしよう。


日々もやもやを抱えていた私は、自分の理解や認識なんて全く相手にされないような、
そんな世界に行っちゃいたくなって、
部屋のコルクボードに貼っておいた割引券を引っつかんで、乃木坂まで一目散。
私の世界なんて、どっか行っちゃえばいい。


そんなわけで、やってきました国立新美術館。
ちなみに出掛け前に、ゴッホ展のときと同じ轍を踏まぬよう、
念のため事前に「混んでますかー」と問い合わせはしてみたものの、
「初日から一切、そういった案内はございませんよー」という返事が。
チケット売り場にも、人の姿はちらほらしかおらず。
あんなに大々的に宣伝してるのに…さすがシュルレアリスム、と一人うんうんとガテンガテン。
全く一般的ではない。


そして入ります展示室。作品保護のため、うすぐらーく、かつ、さっ…寒い!
時間が経つにつれ、冷え切っていく体温。
そして理解を拒む作品群。
うーん。…居方がわからん。


と、始めのうちは、へ~ほ~とおとなしく生真面目な「鑑賞者」に徹していたのですが、
歩みを進めるうちに、こうじゃねえなと。こうじゃねえよ、作品との距離感が。ありがたがってどうする。
これは作家の糞小便だ。そんなもの拝受拝受とやってたら、売られてる筈の喧嘩にしたって形無しじゃ。
という気が、ふとしてまいりました。


そんなわけで。
方向転換。


「あたしだったらどういうタイトルをつけるかな」


と。


試みに一つ、何ともいえないのっぺりとした水色のキャンパスに、不思議なものがちょろちょろと描かれている作品に、
なんとなくタイトルをつけてみました。
タイトルをつける、ということは、その作品と向き合い、注視し、自分の世界を目の前の対象と対峙させることになるようで。
私なりのタイトルを見出し、その後に作家のつけたタイトルを見て、もう一度作品を見る。と。
あら不思議。
この作品は、この作品でしかありえない、絶妙なまでの完璧な調和をもってそこにあるように見えてくる。
落書きなんかじゃなくて。
それは、事実として、ある具体的な何かをモチーフとした、作品、なのです。


この発見に調子に乗った私は、片っ端からタイトルをつけては、おお、そうきたか、と作家の変化球を楽しんだり、
唸ったり、
共感したりと、
とても豊かで愉快な関係性を楽しむことができました。
近くで、どこかのおじいさん二人が、「なんもなあ、わかんねえよ。」「なあ、ほれこれ見ろ。鳥だ、鳥。」「はぁあ、わかんねえなぁ」と、何でこんなところに来ちゃったんだろうという困惑感丸出しで、歩き回っておりました。
対話を邪魔されたくない私はダッシュで逃げましたが、私も、自分の遊び方を見いだせなかったら、同じことになっていたかと思います。






そんなタイトルごっこを続けてるうち、どうにも言葉にならない作品に出会いました。
たいがいのものは、作品の中に描かれているものが、勝手にアピールしてきてくれて、
さらっと言葉にできるのに、
こればっかりはどうにもならない。
うんうん唸って、頭をひねり、これまで働かせなくともよかった認識・理解・思考の回路を無理やり動かして、
それっぽいタイトルをつけましたが、
やはり納得いきません。
どうしたものか、まさか無題ではあるまいか…と恐る恐るタイトルを見ると、



「沈黙」



ジョアン・ミロの、有名な作品らしいです。
私はとんと不勉強で、知らなかったけど。




帰りは、新宿で少し?飲んで帰りました。
なんだかいろいろな日、でした。


nick

2011年5月16日月曜日

裏方フェチ。

最近、まあとある身近な方の話なのですが、
その方の「おシゴト」に、たいそう感銘を受けます。
何といいましょうか、非常によくコントロールされており、
投げるタマも的確で、パスも相手の受けやすいところに投げ込む。
結果、その場にある様々なものごとが調和を見出し、元来あるポテンシャルより少し大目の力が引き出される。
これは、なかなかできることではありません。


たいがい、特に若い時分は、保身や見栄に走ります。
ミスしないようにしよう。うまくやろう。相手にもっとアピールしよう。
だけど、その方はそういったことが遠回りであることをあたかもご存知かのように、
裏へ裏へとまわる。
そう。
ザッツ・裏方気質。
目立たない分、損なように見えるし、
実際のところ、報われない思いが大きかったりする場面もありますが、
こういうことができる人が、一人いるのといないのとで、
ある集団の機能の度合いが全く異なってきます。


私はなぜか、
この裏方気質をもってしまったがゆえに、表舞台に堂々と歩いていけない、否、いかない方々を、
偏愛する性癖があるようです。
これまでの舞台関係の現場でも、そういった方々には賞賛と憧れの眼差しを向けてため息をついておりました。
すげえ。マジすげえ。
誰も気づかなければ気づかないほど、感心する。
そんな、マニアな感動。


この感動を、日常の社会で見出してしまいました。
そりゃもう、感動の嵐ですよ。
我はある。我はあるんでしょうけど、
コントロールされてる。
このコントロールは、なかなかできるもんじゃありません。
特に、若ければ若いほど、
俺が俺がとやりたがりーになってしまい、
相手を立てることにより場全体が得られるメリットより、個人が目立つことで得られる満足感を求め勝ちです。
しかし、この、私に感動を与えてくれる方は、
私よりも若いにも関わらず、このコントロールが抜群に上手い。
何でしょう。これは才能でしょうか。
あるいは、後天的なものか。複数の能力が集まって、かつそれを統括する能力が飛躍的に伸びて、とかでしょうか。
うーん。
とにかく、素晴らしい。
誰にも気づかれないままに、私一人が大絶賛。


マエストロの能力、ってことなんでしょうかね。
もうしばらく、この偏愛っぷりは止みそうにないです。
先方は「なんでこいつはやたら絡むんだ」と困っているでしょうけど(笑)

2011年4月29日金曜日

自由を求め

やべー
嘘だろ
おい
ってほど忙しい
けど


ニョッキ茹でちゃうもんね。


冷蔵庫に潜んでいた
エリンギと、
ブロッコリーの茎と、
ウィンナー、乱れ切り。


冷凍庫に潜んでいたバジルペースト、乱れ混ぜ。


うおりゃああああああああ

バジルニョッキで愉快な昼下がり。

一人暮らしがだいぶ板についてきたなと、今さら。

2011年4月22日金曜日

ううむ。

そろそろ芝居がしたくなってきてはいるのだが。
今はまだ、時期ぢゃない。
耐。

2011年4月20日水曜日

片付けの過程。

被災ついでに片付けをしようとしたら、
これが不要なものが、出てくる出てくる。


押入れの奥、積んであったダンボール、開けては仕分け、開けては仕分け。
…。
何だこの、不要物の量。


おそらく、実家を出るときに、
本当に根こそぎ私のものが出されたんでしょうね。
あ、ちなみに、
私は別に実家を自ら出たわけではなく、
ある日帰宅したら両親の車でそのまま今の部屋に連行されたという、
不思議な家出(自立)の仕方をしましたのです。


まあ、大学1~2年生のとき、
いろんな家を泊まり歩いてあまりに帰らなかったので、仕方ありませんが。


ですから、私の荷物もどんなふうに持ってきたか、
とんと記憶にありません。
きっと両親が、箱やら何やらに詰めて、
運んでくれたんだと思います。
冷蔵庫やらソファやら布団やら、
一通りのものは、どこかからもらったり拾ったりして集めてきてくれていました。
そこにある日、住みなさいと。


今考えればとてもありがたいことなのですが、
びっくりするほど寂しかったことを思い出します。


かつ、
本当に根こそぎ持ってきたんだなあと。
だって、保育園の卒園文集からありましたから。
ふつう、自立するとき、そういった過去の思い出系のものは、
実家に置いていきますよね。
それで盆暮れに帰郷したときにチラッと見つけたりしてひもといたりして、「ああ懐かしい」なんて呟いちゃって、
そんで嫌なこと思い出したり、好きだった○○君元気かなあなんて思いを馳せちゃったり、
どうにか自分のガキの頃の写真を『多少はかわいかった』レベルで受け入れようと努力したりして、
大人になるっていうのはこういうことだよねって何かすこし苦しょっぱ甘い感覚を噛み締めたりして、
お母さん、お夕食つくるの手伝うね…なーんて流れを放流させるための、ある種の人生の小道具みたいなものですよね。
それが何で。
あたしの現在の独居の、しかも押入れに。


たぶん。
たぶんなんですけど。
両親の、「実子指導要領」の中に、きっと『親元からの自立』の項目があったに違いありません。
なんてったって、骨の髄まで教師な二人ですから。
きっとプログラムを考えていたはずです。


でもさ。
にしてもさ。
あたしのもの、ぜんぶ持ってくること、ないじゃん。


おかげで保育園、小学校、中高と、
どんな成長過程を経てきたのか、ようく分かりました。
アホで馬鹿でお調子もので、くだらんことが好きで、
部屋で静かに本なんて読むより、友だちとわっしょいし続ける、
実に今の自分と地続きな人格の断片たちを、ことごとく発見させて頂きましたよ。


引きこもれないわけだ。
寂しがりやなわけだ。
おとなしく座ってられないのなんて当たり前だ。
だってこんなに世の中、愉快なもの・こと・人で満ち溢れてる。
わーっしょい。
わーっしょい。
わーっしょい。


…。


馬鹿です。
本当に馬鹿です。


ただ、
呆れると同時に、
自分が心底そういうもんだということに気がつきました。



とんだヤレヤレ感。

2011年4月17日日曜日

空シリーズ:福島、箕輪

昨年9月。


お友だちになれそうなくらいの、近しい空の色でした。

空シリーズ:会津の曇

昨年9月、会津にて。


今年は福島ツアーコンサートは中止。


しばらく行けないのかな。

空シリーズ:流

台風あけの夕空、京都から東京へ向かう新幹線より。


神々しくておののき、おののき。


とある9月のこと。

空シリーズ:太陽

太陽を撮ってみた!


まぶしくて、何か降りてきそうだった。

畏っ怖ー

道シリーズ:路地裏

気づくと道ばっか撮ってる。


奥行き感が好きらしい。

記憶の枯れ木

2月に久米川で出会った冬枯れの木々。

このフォルムの豊かさよ。

水面に映る。

たわわ、たわわ、たわわ。

今や春たけなわです。

散りつつあり。

ふだんは濁った水面でも、花弁が散り浮くだけで風雅なものですな。

2011年4月13日水曜日

遠吠え

だめだ、すげえ機嫌悪い。
こんなに人が一気にたくさん死んでる。
ファックユー、わけわかんねえ。
人間の死の尊厳なんて、本当に人間が作り上げたものなんだって目の当たりにさせられてる。
所詮おまえら自然の前にはこんな程度のもんなんだぜって、
水ぶっかけられまくってる感じ。

どんなに文化が発達しても、
どんなにコミュニティが密になったとしても、
家が潰れて生き埋めになった挙句死んじゃうし、
その中でたった一人軽傷で生き残っちゃったりもする。
マジかよおい、ファジーすぎるよ。

人間て何なんだよ。
確かにせいぜい生き物にすぎないけどさ。
たかだか一億年くらいしかまともに地球上に出歩いちゃいないけどさ。
それでもこんな、洗い流されるように波に持ってかれちゃうほど、
儚いもんだったのかよ。
ふざけんじゃねえ。
マジむかつく。

悔しいわ。腹立つよ。
エゴは肥大してるよ、確かに。
自分たちの生活豊かにするために、でも危ねえのはやだからって、
臭いものに蓋をするみたいに、地方に原発押し付けちゃったりするような輩だよ。
便利さと豊かさを追求して、
地球の生態系ぶっ壊しまくって、でも何でもかんでもクニが悪い、セイフが悪いって、
てめえのことなんか省みないで何かのせいにしてる腐ったとこあるよ。

だけどさ。
こんな馬鹿にした話ってない。

人間が太古から自然と戦ってきた理由が、今回の一連でとことん分かったよ。
科学が発達した理由も分かった。
自然に負けっぱなしで、神頼みするしかなかったのを、
どうにか改善しようとしてきたわけだ。
だけどまた今回負けてる。
負けて負けて、負けっぱなし。
おまけにびびって、腰がすっかり引けてきてる。
冗談じゃねえ。


人間はな、
負けねえよ。
他の国じゃ、違った理由で人間同士がぶっ殺しあいやってるって馬鹿な話もあるけど、
きっとまだまだ捨てたもんじゃない。
むかつく。
実にむかつく。
なす術がないなんて、本気で、マジで腹立つ。
ってかそんなの、ありえない。


レベル7だ?糞、雑魚が、とっとと引き上げろ。後出しジャンケンでもなんでもいいから、一刻も早く結論を出せ。
てめえらだけで問題を抱えるな。何でもできると思い込むな。
初めてなんだよ。処女童貞なんだよ。
痛いの怖がってたら、何にも、どこにもイケないだろうがよ。
イくんだよ。やるんだよ。やられる中で、新しい何かを掴むんだよ、
力石を見ろ。ノーガード戦法だ。
ジョーはリングの上で、パンチを受けて、力石の戦法を体得した。
どんなに傷ついて孤独で糞でファックな状態でも、
まだまだやれることはいっくらだってあるんだってことだよ。


捨てるんじゃねえ。
負けるんじゃねえ。
人間よお。人間。

2011年4月12日火曜日

4/23、4/30 チャリティコンサート@代々木上原ワインバー のお知らせ。

チャリティコンサートに、バイオリン演奏とあわせた朗読で、出演させて頂く運びとなりんした。
ワインバー@代々木上原にて、4/23と4/30、二週連続の土曜夜です。
ワインもお食事も美味しいお店です。お時間ありましたらぜひ。


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《東日本大震災チャリティーコンサートのお知らせ》

「このたび、東日本大震災で日常生活を奪われた方々に自分たちができることは何か、と考えた橋口恵の呼びかけで、桐朋学園芸術短期大学卒業生を中心とする有志が集まり、チャリティーコンサートを開催することになりました。
私たち一人一人の力は小さいものですが、多くの力が集まれば、大きな可能性が生まれると信じて、行動を起こしました。
私たちの目的は、このコンサート活動をできるだけ長く続けていくこと。少しでも多くの義援金を、まず宮城、岩手、福島、それから青森、茨城、千葉の各県に送ります。
また、当日は、聴きに来てくださる方々に元気になっていただけたら、という想いを音楽にこめてお届けします。
みなさまのご来場を、出演者一同、心よりお待ちしています。」

4月23日(土)
~Vol.1 弦楽と詩歌の夕べ~
【時間】
18:00開場/19:00開演
【出演者】
倉田 由美/歌
桑原 千洋/バイオリン
清水 恵子/ピアノ(伴奏)
鈴木 夏樹/ピアノ(伴奏)
多田 彩子/箏
内藤 美和/箏
村野 玲子/朗読
山本 章子/バイオリン


4月30日(土)
~Vol.2 木管と詩歌の夕べ~
【時間】
 18:00開場/19:00開演
【出演者】
池田 里奈/フルート
橋口 恵 /フルート
矢口 智恵/声楽
山岡喜世子/ピアノ(伴奏)
村野 玲子/朗読
山本 章子/バイオリン


【会場】 Le Depart(ル・デパール)
◆カフェからディナーまで多彩なメニューをそろえたワインバー
◆渋谷区上原1-36-15 Tel:03-3468-6228
(千代田線・代々木上原駅の東口を出て正面、文教堂書店の右隣)
◆当日は、通常営業ですので、ご注文をお願いします
http://r.tabelog.com/tokyo/A1318/A131811/13007336/


当日、入場料はいただきません。募金へのご協力をお願いします。
義援金振込先:宮城県社会福祉課団体指導班、岩手県災害義援金募集委員会など


義援金の集計額、振込実績は、後日、出演者のブログにてご報告いたします。
山本章子ブログ 「本と私とエトセトラ」 http://ameblo.jp/political-history/

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アイデアにご協力頂きました大切な皆様、
心より御礼申し上げます。
朗読だけでシリーズ化できるよこれ、というくらい数多くの案を頂きましたこと、
この場を借りて御礼申し上げます。


今日は余震が多かったですね。
多少の揺れでは驚かなくなりましたが、こう多いとやっぱり不安になりますですな。

2011年4月9日土曜日

桜を見るたびに。

毎年桜を見るたびに、感傷的になってしまう理由がいくつか。

一つはばーちゃんで。
高校一年生にあがるときの春に亡くなったんだけど。
最後、もう完全におかしくなっちゃって。
でも何か知らんが、いつか桜を見せてあげたいなと、
それが私ができるせめてもの歓待だと、
そう思っていたわけで。
そんなことは出来ることもなく、亡くなってしまったんだけど。
田舎の、特別養護老人ホーム、みたいな場所で。
行ったらもう、鼻とかに脱脂綿詰められてて。
何かよく分からないまま、葬式とかそういう流れになって。
私は制服で出て。孫だね孫だねって。
知り合いのおじさんおばさんがたくさん泣いてて。
親父も当たり前のように泣いてて。
かあちゃんは複雑な感じで、でもやっぱり泣いてて。
何となく、あちしは役に立ってないなって、そんな気がしていた。


もう一つはかーちゃんで。
ホスピスに入って、どんどんどんどん痩せてって。
ほいでもう絶対だめだなもうって、誰が見ても分かるわけで。
たぶん本人もわかってるわけで。
でも誰だって、自分がもうすぐ死ぬなんて絶対に認めたくないわけで。
車椅子に乗っけて、病院の周りに咲いてる桜を見せにいくことになった。
びっくりするほどガリガリで、顔色だって緑で、
何日も洗ってない髪を三つ編みでお下げにして、
出かけるときはとてもご機嫌だったのに、
エレベーターに乗って、
外来の人たちの活気の中で、ギョッとした顔で見られて、
自分がもう絶対に外の世界に戻れないんだって、かえってわからせてしまったようで。

しばらく外の風にあたっていたら、とても不機嫌になり。
「帰る。」

帰れないのにね。
帰る先はホスピスの、片道きっぷの個室なのにね。
死ぬしかないってわかってる。
もうどこにもいけないって。だからホスピスにきたって。
どんなにどんなに絶望的な思いに苛まれたことだろう。
頭の悪い人じゃない。
自分が今どういう状況にいるのか、絶望的なまでに理解できていただろう。
命日は4月24日。
その10日くらい前に、モルヒネを増やせ、と言い出した。
どうせ死ぬんだから早く死にたいと。
死ぬ権利だってあると。

そのスピーチは、私の不在のときに行なわれた。
その場に呼びつけられた医師や看護師は、ただじっと押し黙っていたという。
私が8回目の大学生の春を迎え、授業から病院に戻ると、
エレベーターが開いたところで妹たちが困り果てた顔で走って飛んできた。
その頃、私たち姉妹は交代でホスピスに泊まっていたのだ。
認めたくなかったのは、私たちも同じだ。
目の前の人が死んでゆくということを。


と。
まあ。
そんなことを思い出すから、
毎年桜の頃は、私にとってお盆みたいなものでして。
必ず、死者が二人、私に思い出されるのでして。
キレイだなあ、と、ばかのように心打たれ、その波の中で、
死者に届かぬ己れの無力をひりつくほどに思い起こさせられるので。


狂おしければ狂おしいほど、
この身の内も、激しい自責にうちのめされ。
無力、無力、無力、ああ美しい、素晴らしい、無力…自分とこの一片の花弁、どちらに価値があるだろう?…


嘘嘘。
生きていかなくちゃね。


とまあ
けっきょく毎年、
桜との距離感は複雑です。

うーむ。

むむそう来るか。

珍しい後輩からtel。
仙台が実家だから、だいじょぶかとかそんな感じのメールはやりとりしてたけど、
電話するほどの仲じゃない。
おーどした。
ごぶさたです。あのですねむらのさん、ネコ一匹飼う余力ありますか?
ふぃ…っと、ざわざわがよぎる。
えーあのそれは、四つ足?二足歩行?
二足歩行の、オスです。
誰。
俺です。


そんなこったろーと思った。


珍しい人からの電話なんて、たいていこんなもんだ。
無茶な相談を、こいつならだいじょぶだろー的な感じで振ってくる。
○○な人、誰か知合いにいませんか?
○○で人手が足りないんだけど、誰かやってくれそうな人いない?あ、ちなみにビジュアル重視だからおまえ以外で。


…。


いいけどね。
ありがたいけどね、
そういうときに思い出してくれるってのはさ。


そんなわけで、5月から来年の2月くらい?まで、
二足歩行のネコが居候に来ることになりました。
地震やら何やらで何が起きるか分からない中、
よくもまあ、フットワークの軽いこと。


というわけで、片付けを加速させようと試みた。
が。
無理。
ものが多すぎて、
捨てる指針もなくて、
でも最終的なビジョンだけあって、
でも作業量が追いつかなくて。

無理。

っつーわけで、
これから断捨離でもチェキってみます。
二足歩行のネコが来るまでには、とりあえず一段落させなくては。


ううう。
穏やかな日常に、
少し嵐の萌芽が。そよと。

2011年4月8日金曜日

あたしがナイーブすぎるってこと?

あのあの。
何というか、
私がズレているのでしょうか?
それとも、私が普通すぎるのでしょうか?
あの揺れ、あの気仙沼の火事、あの津波、あの津波警報、緊急地震警報、歩いて歩いて歩いて、でも結局帰れなくて、あと出勤中に揺れて電車止まったりとか、あと机の下に潜ってゆっさゆっさ揺れてるのを、ああまた大きいの来たらどうしようと思いながらやり過ごして、あああのときよりは小さかった良かったと安堵して、でも明け方の揺れにはやっぱり驚いて飛び起きてそれから不安で眠れなくなったり、このズボラな私が被災グッズまとめてみたりして、テレビもつけっぱなしにして寝てるのかどうか分からない状態でNHKを方耳に流しつつ夜を過ごして、そいでいつまた揺れるかわからないから不安で不安で、夜も眠るのが怖くて、ウォーキングしようにも歩いて遠出してるときにまた大きく揺れて帰れなくなったりどうにもならなくなったりしたらどうしようと不安だからできなくて、電車が揺れで止まったりとか、揺れてないのに揺れてるように錯覚しちゃったりだとか、職場で一斉に居合わせた人たちの携帯の警報が鳴ってまた揺れて職員が走って扉開けに行ったりとか、でもその中でもお金が必要だからどうしても働かなくちゃいけなかったりだとか、他にも他にもたくさんたくさん何だか色々あった中で、ナイーブになってるねって言われて、作家だからね敏感なんだねっていうので片付けられて、
納得できるわけがない。

関西に、やむなく帰っていた友人が、東京に戻ってきて、あまりの自粛ムードに驚いたという。
徐々に慣れてきている自分がいた。
というか、スーパーの暗さも、駅の暗さも、町の暗さも、ぶっちゃけこんくらいでいいんじゃねくらいに思ってた。落ち着く落ち着く、みたいな。
が、しかし、
昨晩の、大きな余震で、
そんな惰性もふっとんだ。

とても神経質になってしまっている自分がいる。
それは分かる。
東京なんて別に被災してねえじゃん、と言われようが何だろうが、
この国の形が変わったことが、これからも変わっていくことを余儀なくされるということが、
とんでもなく未曾有な気がしてならんのだ。
変わるのは、地図の陸形だけじゃない。
政治も、経済も、教育も、ITも、労働のあり方も、
流通も、資本の流れも、国家間の関係も、
民度も、文学も、死生観も、
何だかもう、いろんなものごとが、
いろんなものごとの前提が、
おっきく変わると思うのだ。

沖縄が、被災者の受け入れを開始した。
ってことは、東北にいた人らが、沖縄までエンヤコラ移動するってことだよね?
そいでもって、中にはそのまま住んじゃったりする人も出てくるかも知れないよね?
そんな距離を、集団で移動するってそんな、あれだ、満州に入植するとか、北海道に屯田兵として移住するとか、そういうレベルの話なんじゃないの?
役場ごと移動してる町もあるんだよね?
てことは、集団の機能が維持されながら移動しているということなのかしら?
そんなことって、これまでありましたか?
個人や団体で疎開するにしたって、あくまで民レベルの話でしょ。
町役場ごと移動って。
公ごと移動ってことでしょ。
何というか、もう、根こそぎですよ。
何というかもう、
民族大移動並みの労力が強いられるわけですよ、
しかも何の準備も無いままに。
負担じゃないはずがない。

フォッサマグナ以西は、プレートが違うから、今回の地殻変動の影響はあまり受けていないらしい。
その分、温度差が大きいらしいけど、それはそれでいいけど、
だからといっておまえら特に被災してないじゃんかとは言われたくない。
そりゃ23区は(一部を除いて)計画停電対象外だったけどさ。
買占めだってあったけどさ。
でも正直なとこ、かなり参ってはいるんだよ、当事者として。

おかしいのかな。
おかしいのかな。
私の神経が弱いだけなのかな。
何か、納得いかない。んだけど。何でかね。

2011年3月25日金曜日

情緒的なリアクション

原発作業で、三人被爆のニュース。
本当に辛い。
自分の生活が何の上に成り立っているかと考えるだけで、恐ろしくなる。
これまで、あまりに視野に入らない物事が多すぎた。
剥き出しの構造が、これからもっと露わになっていくことだろう。

こんなときにまで単純すぎる自分が実に恨めしい。

2011年3月24日木曜日

変わってしまった自分。

いやー。
大混乱ですねえ。
世情に疎かった私でさえ、ニュース追っかけてます。
情報情報情報…と。情報ジャンキー。
不安で仕方ないのは誰だって同じ。
被害の軽重はありますが…。


そしてはらり、昨日も副業先で、大新聞を一通り眺めておりました。
目に留まった記事だけ拾い読み。さもないと溺れてしまいますので…。
して、「二歳児撲殺」の見出し。京都にて。
…。


震災前は、こんな事件が多く報道されていましたね。
フォッサマグナから向こうは、今回被災しておりませんので、
震災前の時間が流れているわけで。
あ、そうか、と。
この国に蔓延していた絶望の空気は、なくなったわけではないわけで、と。
今は前を、遠い先を見るしかないから、希望、希望と言うけれど、
たぶん、絶望が希望に100%とって変わられたわけではない。


ただ目の前の破壊はあまりに大きすぎて。
たかが三十数年を、平和な中で何不自由なく生活してきた自分にとっては、
受け入れるのに時間がかかる。
というか、まだ、これって本当なんだよな、と、信じられず。
日々、余震のたびに、戸惑いを新たにしております。


まあとりあえず、何にせよ、
自分の中で、
どうやって生きていこう、
が、
とにかく生きなくちゃ、
に、
変わりました。


変わるって、本当にすごいことです。


2011年3月17日木曜日

思いのほか

熱い校長もいるんだね
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

在京英国大使館の見解
http://clip.kwmr.info/post/3896045912

だってさー

なんだか毎日戸惑ってばかり

2011年3月13日日曜日

しくしく

ヤバい。
13階に1人は、さすがに心細い。
まだ二部屋、カオスのままだし。


でも東北に比べればなあ。
がんがれ東北。

2011年2月5日土曜日

恩師のオッサン

久しぶりに恩師?と酒を飲んだ。
高校時代の、日本史の教諭。
しかし恩師というより、もはや飲み友達の呈。


あえてフランクにいく。
このオッサンとは、マジで喧嘩が耐えない。
飲み屋で置いていかれることはしょっちゅう。
飲んでる最中に言い合いになることもしょっちゅう。
よく行くスナックのママからわざわざ電話を頂き、「謝んなよ」とのお言葉を頂いたこともある。
でもだいたい、一年くらいたってほとぼりが冷めた頃に、思い出したように電話が鳴り、

「飲まんかね」と何事もなかったようにお誘いを頂く。
こちらももうすっかりほとぼりが冷め切っているから、「いいっすよ」と応じ、
何か観たり聴いたりしてから、居酒屋で近況報告をし、
また喧嘩になるまで数回飲んで、
それからまたしばらくほとぼりが冷めるまで会わない。


その繰り返しで、もう17年近くの付き合いになる。


生意気なことを言うようで何だが、
本当に互いに年をとった。
私の食べる量が減り、オッサンの飲むペースが上がった。
教師と生徒というより、社会人同士の会話になった。
互いの職場の愚痴を言い合う。
一応「先生は」と呼びかけはするが、腹の中では「おっちゃんはさあ」と鳴っている。

単なるダチ。


ガキの頃から知られているから、何の飾りも無用かつ無効。
アメちょーだい、と手のひらを向ければ、ぶつぶつ言いながらのど飴を乗っけてくれる。

幼馴染のような感覚だが、実際のそれはこうじゃないんだろう。
にしても、よくわからんが、久々に寛いだ。


今回はどんな喧嘩に発展するんだろう。
そこだけは、成長しない。

2011年1月25日火曜日

リーディング+チェロ@下北沢カフェ のお知らせ

プチ地獄の底から這い戻りつつあります、nickです。
 
この度、ご縁があり下北沢のカフェでリーディングを行なう運びとなりました。
チェロとのコラボで、アップテンポにてお届けします。
ドリンクもご飯も美味しいです。
日曜夕刻のひと時、是非遊びにいらしてくださいませ。
 
 
* * * *
 
 
NICK-PRODUCE #19-wordlabo.1
『 r e v e r b .』—新作短編リーディング
 
作・演出/村野玲子
出演/松本寛子、加古みなみ、宇原智茂
チェロ/山岡真弓
ドラマターグ/いとうけい
 
2月13日(日)
17:30開場
18:00開演
1ステージ
 
下北沢カフェ free bird
(下北沢駅北口から徒歩1分)
世田谷区北沢2−25−4
料金:2200円(1ドリンク付)
 
ご予約は村野まで直接ご連絡頂くか、下記より直接お申し込みくださいませ。
 
※席数が少ないため、お早めのご予約をお願い致します。
※演出の都合上、開演後は一定時間ご入場頂けませんのでご注意ください。
 
企画・製作/NICK-PRODUCE
 
 
* * * *
 
 
ご来場、心よりお待ちしております。
 
 
間もなく2月、冬本番ですね。
くれぐれもご自愛くださいますよう。
 
 
nick 拝。

2011年1月19日水曜日

大黒屋の天丼たち

先々週、浅草の寄席に行ってきました。
あまりに愉快で楽しくて、朝10時から夜7時まで粘りました。
あと二時間を残してギブアップ。
エコノミー症候群めいた足を引きずり、寒風吹きすさぶ夜の街へ。


あまりに腹が減ったので、お参りもへったくれもなく、
取り急ぎ飯屋へ。


12年くらい前に一度入った大黒屋。
ごま油で揚げたエビ天は、変わらず濃厚で香ばしかったです。


おいしゅうございました。

渋谷ちゅるりら

きのう仕事で行った、渋谷セルリアンタワーのロビー吹き抜け写真。


なぜか能楽堂もあったが、
ブライダルの設備が充実してた。
チャーチがあったり、
写真屋があったり。

と、いうことを、無意識にチェックしている自分に気づき、びっくら。
予定皆無なのに…。


年頃なんですかねえ。

2011年1月15日土曜日

新年のご挨拶&雑感

新年あけましておめでとうございます。

昨年中は、様々な人に多様にお世話になり、
またご迷惑をかけ、
また生きる希望を頂き、
本当にありがとうございました。

こいつどこまで面倒なんだ、と思われつつも、
本年も明るく楽しく、かつ深く確かな足取りで、
一歩ずつ前に進んで行こうと思いますので、
これまで出会った皆様も、
これから出会う皆様も、
何卒、どうぞよろしくお願い致します。

* * *

日々が、飛ぶように過ぎていきます。
本業のほかに、副業を大量にやらざるを得ないせいか、
気を抜くとあらゆることが後手に回り、
あっというまに足元がさらわれていきます。
毎日、望もうが望まなかろうが多様な人物と交わらざるを得ず、
一人の時間がこの上なご褒美であるような日々です。
正直なところ、疲れます。


その中で気づくことは、
世が本当に不況だということ。
不況だということは、
天下の通用、お金が回ってないということ。
様々な場面で、行き詰まりを見出します。

お金が回ってないということは、
仕事に見合った対価を得られない、
またはそもそも仕事が得られない、ということにつながります。
それでも、人も法人も、生活するために、生き残るために、
金を得なくてはならない。
仕事を生み出し、金をつくることを、それぞれが必死になってやっている。
尋常じゃないテンションです。
生きていくってこういうことなのかな、と改めて認識させられます。

* * *

私は学生が長かったので、一周遅れで世の中に参加しています。
その分、参加するのに時間がかかります。
そこでいつも確実に軋みや摩擦、衝突が生じますが、
どうにか、力技で相手の歯車を削り取り、
自分の歯車を噛み合わせるようにさせながら暮らしています。
これはこれで、かなりエネルギーのいることなので、
正直疲れます。
でも仕方ないですよね。必要なのですから。
一時期はあまりの自分の不適応に、自分の存在価値を失いかけましたが、
ここ数日でどうにか足元を見出したようです。

* * *

最近、落語にはまっています。
不思議なことに、ようやっと安心できるメディアに出会えたような気がしています。
オペラやバレエも美しく素晴らしいとは思いますが、
日本で見る限り、どうしても欧州の後塵を拝しているようなきらいがまだ抜け切れません。
文明開化、脱亜入欧、追いつけ追い越せ、といったような、
自己否定の論理が今だ働いている、とでも言いましょうか。
接木された文化のように感じざるを、未だ得ないのです。
素敵だな、と思いつつも、若干の違和感を失えない、といいますか。
自分の勉強不足かとも思いましたが、多分違うかと。肌合いの問題で。
安心して身をゆだねる、というよりも、研ぎ澄まされた感覚を要求される、といいますか。
それはそれでいいのでしょうし、そうじゃない方もおられるとは思いますが、
私にはどうにも、背伸びをしている感覚がぬぐえませんでした。
それが、作年末から落語に触れる機会が偶然から多くなり、
年始には寄席に行くに至り、
欲しいと感じていたものがここにあるという思いが日々強まっております。
理由は、まだよくわかりません。
ただ、ルーツだとか出自だとか、そういったものが関わってくるような気がしています。


寄席は本当にいいです。
お囃子が聞こえてくると、尋常じゃないアドレナリンが出ます。
浅草の顔見世に、朝10時から夜7時までおりましたが、
実に幸福な時間を過ごすことができました。
笑う場ですが、テレビでお笑いを見ているのとは全く違います。
人がそこにいて、扇子と手ぬぐいと喋りだけで、こんなに豊かな時間を生み出せることに、この上ない感動を覚えます。
まだビギナーだから、こんなところに感心しているのだとは思いますが、
これからもっと深入りしていく中で、より考察を深めていきたいと思います。

* * *

最近、よく思うのは、
いつまで自分は自分の学校にいるのだろう、ということ。
ドライブするモチベーションの一つに、「勉強のため」というのが確実にあります。
ものごとを知ったり考えたり、技術を身につけていくことは決して嫌いではありませんが、
新たなものごと習得は、当然これまでの習慣や思考回路の部分的な破壊の上に成り立つもので、
それはそれで楽なことではありません。
学校の勉強のように、誰かが指導要領を組んでくれて、
核となるものごとを積み重ねていけるようにいざなってくれるのであれば、
さほど無理なく考えて身に着けていくことができるのでしょうが、
実際の世の中は学校ではないので、そんなことは知ったこっちゃありません。
現場は常に即戦力を欲している。また、常に代えがある。
ある人が、どんな機能を担い、どんな能力を持っていたとしても、
必ず代えがあります。
だから、才能だとか、天才だとか、世界に一つだけの花だとか、
そういった絶対的に価値あるものとして扱われることへ尋常じゃない憧れを持つのだと思います。

ただ、自分に関して言えることは、両親が教師だった上、学校生活が長かったせいか、
自分の中に学校というシステムを持ってしまっている。
誰かが教師で、誰かが生徒。
常に、学び、身につけ、実現することが善とされる環境に身を浸しすぎ、
結果、どのような環境であっても、そのシステムが無意識に作動してしまう。
これは不適応の一因です。世の中は学校じゃない。
若いうちから世にもまれ、学校とは無縁の人からは鼻で笑われるでしょうが、
これはこれで結構難しいものがあります。
教師になればよかったのかも知れませんけどね。
その道は、自ら可能性を閉ざしてしまったため、もうこれで生きていくしかないのですけど。
どうしたものか。

* * *

何か、溜め書きみたいになってしまいました。
もうすぐ朝です。

学校の流れを引きずりますが、
今年は、いくつか卒業しなくてはならないことが見えてきています。
大学8年のとき、7年分の勉強をしました。
どえらくしんどかったけど、新しい知識に触れることそのものは楽しかった。
1年の移行期+8年、計9年のサイクルで、新たな時間が生まれるような気がしていて、
今年はその新たな8年の最初の年になります。
これはもう、どこへ向かっていくか全く読めません。
そういえば昨年の今頃も、一昨年の今頃も、今と全く違う環境にありました。
というか、毎年違う環境にあります。…そりゃ疲れるわ。

よく生きてるな、と今、改めて思いました。

まあそんなわけで、新たなサイクルを生み出すために、
仕込みをたくさんたくさんして、
出すものをたくさんだしまくって、
充実した、理想的な日々を目指して、
日々邁進していきたいと思います。


* * *


今は会えない人は、またいつかどこかで会えるときが来るでしょう。
今幸運にも一緒にいられる人たちとは、とことん付き合いたいと思います。


* * *


今年はどんな出会い、そして別れがあるでしょう。


* * *


長くなりましたが、ご挨拶と代えさせて頂きます。
本年も、よろしくお願い致します。


nick 拝