2021年9月22日水曜日

飲みに行かなくなった。

コロナ禍での日々は続く。
ビフォーコロナと何が大きく変わったかって、とにかく飲む機会が減った。
ビフォーはとにかく飲んでいた。現場がないときは、金があろうがなかろうが、毎日違う人と飲んでいた。
いま思えば、何と戦っているんだろうと思うほどに飲んでいた。
夜はだいたいが千鳥足だった。

オンライン飲みも会話ができるので嫌いではないが、
画面を切ったあとに、ああやっぱり実質的には1人だったんだな、と思う。
通常の飲み会と大きく違う点、たくさんあるなかのひとつは、酔って千鳥足で家まで帰る道のりがないことだろう。
あの距離と時間で、宴の終わりを体に馴染ませていく。
ああ楽しかったなあ、あの発言にこう返したのは失礼だったかしら、いや向こうも酔っていたし、わざわざ謝ることでもなかろう、などと酔った頭で考えながら電車に揺られて帰る。

オンライン飲み会はそうもいかない。じゃあね、ばいばい、で即座に終わる。
あのデジタルなオンオフに、体感がついていかない。

移動がないことはとても便利だ。打合せにはありがたい。
でも、人と交わりたいとき、やはりオンラインでは満たされない何かがある。それが多少面倒なことであっても。

2021年9月2日木曜日

たまにつかまる影

現場がないとき、たまに後悔につかまる。

特に家族連れを見ると、子供を持たなかった自分の人生を後悔する。

だが子供を連れている自分を想像してみると、
その自分はやりたいことを100%やれずにいる人生を後悔しているだろうと思う。

つまり、どう転ぼうが後悔してるだろうから、
後悔することそのものが無駄だということ。

そんなことを、
煮物用の食材を片手に、トレペを片手に、
傘をさして歩きながら考えた。
いつものこと。

引きこもり用に、鶏手羽元の煮物を大量にこさえるのだ。