2011年5月17日火曜日

【EXHIBITION】『シュルレアリスム展』@国立新美術館

先週の、とある午後。いつだったか忘れた。あ、確か月曜。
予定していた仕事がキャンセルになったので、突如時間ががっつり。
どうしよう。
どうしよう。


日々もやもやを抱えていた私は、自分の理解や認識なんて全く相手にされないような、
そんな世界に行っちゃいたくなって、
部屋のコルクボードに貼っておいた割引券を引っつかんで、乃木坂まで一目散。
私の世界なんて、どっか行っちゃえばいい。


そんなわけで、やってきました国立新美術館。
ちなみに出掛け前に、ゴッホ展のときと同じ轍を踏まぬよう、
念のため事前に「混んでますかー」と問い合わせはしてみたものの、
「初日から一切、そういった案内はございませんよー」という返事が。
チケット売り場にも、人の姿はちらほらしかおらず。
あんなに大々的に宣伝してるのに…さすがシュルレアリスム、と一人うんうんとガテンガテン。
全く一般的ではない。


そして入ります展示室。作品保護のため、うすぐらーく、かつ、さっ…寒い!
時間が経つにつれ、冷え切っていく体温。
そして理解を拒む作品群。
うーん。…居方がわからん。


と、始めのうちは、へ~ほ~とおとなしく生真面目な「鑑賞者」に徹していたのですが、
歩みを進めるうちに、こうじゃねえなと。こうじゃねえよ、作品との距離感が。ありがたがってどうする。
これは作家の糞小便だ。そんなもの拝受拝受とやってたら、売られてる筈の喧嘩にしたって形無しじゃ。
という気が、ふとしてまいりました。


そんなわけで。
方向転換。


「あたしだったらどういうタイトルをつけるかな」


と。


試みに一つ、何ともいえないのっぺりとした水色のキャンパスに、不思議なものがちょろちょろと描かれている作品に、
なんとなくタイトルをつけてみました。
タイトルをつける、ということは、その作品と向き合い、注視し、自分の世界を目の前の対象と対峙させることになるようで。
私なりのタイトルを見出し、その後に作家のつけたタイトルを見て、もう一度作品を見る。と。
あら不思議。
この作品は、この作品でしかありえない、絶妙なまでの完璧な調和をもってそこにあるように見えてくる。
落書きなんかじゃなくて。
それは、事実として、ある具体的な何かをモチーフとした、作品、なのです。


この発見に調子に乗った私は、片っ端からタイトルをつけては、おお、そうきたか、と作家の変化球を楽しんだり、
唸ったり、
共感したりと、
とても豊かで愉快な関係性を楽しむことができました。
近くで、どこかのおじいさん二人が、「なんもなあ、わかんねえよ。」「なあ、ほれこれ見ろ。鳥だ、鳥。」「はぁあ、わかんねえなぁ」と、何でこんなところに来ちゃったんだろうという困惑感丸出しで、歩き回っておりました。
対話を邪魔されたくない私はダッシュで逃げましたが、私も、自分の遊び方を見いだせなかったら、同じことになっていたかと思います。






そんなタイトルごっこを続けてるうち、どうにも言葉にならない作品に出会いました。
たいがいのものは、作品の中に描かれているものが、勝手にアピールしてきてくれて、
さらっと言葉にできるのに、
こればっかりはどうにもならない。
うんうん唸って、頭をひねり、これまで働かせなくともよかった認識・理解・思考の回路を無理やり動かして、
それっぽいタイトルをつけましたが、
やはり納得いきません。
どうしたものか、まさか無題ではあるまいか…と恐る恐るタイトルを見ると、



「沈黙」



ジョアン・ミロの、有名な作品らしいです。
私はとんと不勉強で、知らなかったけど。




帰りは、新宿で少し?飲んで帰りました。
なんだかいろいろな日、でした。


nick

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