忘れもしない2015年の10月。友人と大久保焼肉エリアをハシゴして、山手線に駆け込んだ。
ら、心臓がぎゅうっと締め上げられるように苦しくなった。
あぁこのままヤツは止まるかも、息もしづらいしと、満員に近い電車の中で立往生を覚悟した。
幸いにして数分でおさまったが、心底怖くなった。
これを機に、酒か煙草かどちらかをやめてみようとふと思った。
どちらも私にとってはコミュニケーションツール。
で、酒はやめそうもないから、煙草を「休んで」みた。
やめる!二度と!決して!などとプレッシャーをかけずに、なるべくゆるーく。
いまも絶賛お休み中。あまり困らない。
休みはじめた当初、ニコチンの禁断症状はあまりなかったような気がするが、
煙草をくわえライターで火をつける手さばき、
フィルターをくわえ煙を吸って吐くという一連の呼吸を含む上半身の動作、
灰を落とす手の動きなど、
ほぼ無意識化して染み込んでいる習慣的な動きが恋しくてならなかった。
喫煙が習慣化する理由はたくさんあるだろうけど、
私に関しては、煙草にまつわる一連の動作が心底好きで煙草を吸っていたんだなあと思った。
いまも好きだ。たまにエア煙草をする。あるいは鉛筆で代行したり。
深呼吸したいだけなのかも知れないけど、少し落ち着く。
吸ってる間は、
さんざんいろんな人からもらい煙草したり、
目上の方に「煙草かってきて。おまえのぶんも買っていいから」と駄賃替わりに買ってもらったり、
飲み屋で隣テーブルの忘れ物煙草をきょろきょろさっ!と手に入れたり、
道端に落ちていた煙草の箱を拾ってみたら買ったばかりのものでラッキーだったり。
まわりの人は煙害で迷惑だったと思うけど、個人的には煙草とそれなりに楽しい関係を築いてきた。
つもり。
あと、嫌いじゃなかったのが、喫煙所で「火ぃ貸してもらえますか」とやりとりがあったこと。
初めて声をかけられたときには、何かの仲間入りをしたような気になった。
自分から声をかけてライターを借りたときは、これで世界中どこでもいけるという謎の自信に満ちた。
いまだに銘柄を見ると、あァあの人が吸っていたと思いだす。
金ボロ、マルメン、赤マル、キャメル、キャスター、アメスピ、セッター、ラッキーストライク、わかば、チェリー、ピアニッシモ、ベヴェル、ピース、ショッポ…
自分自身、好奇心が強い方なので、一つの銘柄に固定せず、片っ端から吸ってみた。
自分自身、好奇心が強い方なので、一つの銘柄に固定せず、片っ端から吸ってみた。
ぜんぶ違った。いまだに吸い分けられると思う。
そういえば一時期、葉巻もふかしていた。
手巻煙草に移行したところで、ダウンした。
自由の象徴、みたいに煙草を吸っていた20代~30代。
心臓の悲鳴は、40までにやめようと思っていたから、ある意味ちょうどよかった。
そういえばむかし、婆ちゃんが吸っていた。89まで生きていた。確かセッター。
私も80越えて生きていたら、休みを解いて再煙しようかな。
何がいいかな。たぶんマルメンだな。
でもまだ、しばらくおやすみ。
ひょっとしたら一生。
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