2014年11月13日木曜日
風俗王との思い出
大学に8年もいたので、そりゃもういろんな人に会った。
中には、学生として出会うには珍しい人も。
その中の一人が、風俗王のA氏だった。
なぜ風俗王かというと、いわゆる女衒、女を風俗(当時は主にソープランド)に斡旋して、
その上がりで飯を食うというのを、個人で、完全にビジネスとして行っていたから。
実際は王というほどではなくとも、かなり羽振りよくやっていたらしい。
そのA氏が、とあるきっかけから芸能界に興味を持ち、芸能事務所を始めるという。
それにあたって、養成所をつくりたいからと、
当時私がお世話になっていた演出家の兄貴に話が来た。
兄貴は話が進むにつれ、金銭的な面で決裂し、
世間知らずの私はそのまま留め置かれた。
何度も事務所に打合せに行った。
金のチェーンネックレス、扇子、派手な色のスーツ(緑、空色、ピンクなど)、煙草の長い吸い口。
癖のあるしゃべり方。
とても個性的な人だった。
昔はオレも体張ってたんだけどね、抱きたくもない女抱くのも疲れるから、と。
大卒でやんのも珍しがられてね、重宝されたよ。辞めるときもちゃんとスジ通したし。
呼ばれるままに、事務所へ何度も打合せに行った。
とぶ、ケツをまくる、ヤキを入れるなどの用語を知ったのもこの人から。
あいつすぐケツまくるから、とばさないようきっちりヤキ入れないと。みたいな。
金になる女にはマメで優しく?ても、男にはがんがんヤキ入れるタイプでした。
消えた人たくさん。
養成所は約1年続いて、ひところは十人強くらいいて、
レッスン生のイベントもやったりしたのだけど、
私がさすがに大学の勉強に専念しなくてはならなくなったのと、
ある方向性にどうしても納得できなかったので、
結局は辞めた。
その方向性、というのが、
タレントもしくはアイドルでデビューできない奴は、
レッスン代をとるだけとって、最終的に(売れそうなやつは)エロで売る、というものだ。
A氏ではなく、その手の、また別の(あまり評判のよろしくない)事務所が絡んでいたせいもある。
先週までレッスンしていた女の子Sが、
翌週にはハダカでその手の雑誌に掲載されていた。
マネージャーが(ヤキ入れられすぎて)とんだので、代理で行った撮影の現場は、
その手の雑誌のものだった。
未成年の女の子Mが衣裳として渡されたのはブルマと体操着。
衣裳替えですと渡されたのは白いビキニ。
タオル地のガウンを着て、戸惑った表情で現れた彼女が忘れられない。
ネット配信用に動画撮影しますから、と受けた指示は、ラジオ体操できる?やってみて、というもの。
飛んだり体を反らしたりするのを、胸と股間を中心に、なめまわすようにカメラが這う。
見てられなくなって、私は部屋をそっと出た。
帰り道、雨が降っていた。2人で1つの傘に入り、暗い一本道をとぼとぼと歩く。
「Mさあ、こんなことやりたかったわけ?」思わず問う。
「いえ。正直、聞いてなくて。びっくりしました」
ああ、私、無理だ。
彼女の呆然とした横顔を見て思った。
エロは私も好きだし、面白いと思うけど、
その対象になるのは、常に人間の女であるわけで。
一定数の人間が、その「体を張った仕事」に従事しているわけで。
そこにどうしても同性としてジレンマを感じてしまう。
うるせえデブスババア、てめえが四の五の言うことじゃねえよ引っ込んでろ、という声を浴びたとしても。
気になってしまう。
そういった引っかかりが出来たことも含め、A氏と密に過ごせた時間は、
かなり貴重な体験だったと思う十数年後の私でした。
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