2014年11月11日火曜日

海乃屋からの~



何年生の、何の公演の打ち上げか記憶にないが、海乃屋で朝まで飲んだ流れで、法学部の後輩が「裁判の傍聴いきませんか?オレよく一人で行くんです」と言い出した。
人と別れる寂しさに耐えられなかった何人かで、行こう行こうと繰り出した。


行き先は確か、東京地裁。
「きょう何やってるかによりますが、傍聴券とれたのに行きましょう」と、ノリは歌舞伎の当日券。
野次馬根性とはこのことか。


そして引き当てたのはオウム裁判。確か土谷氏が被告だった。
入廷前に、ボディチェック。両手を広げて立ち、長い棒で身体を撫でられる。なんだか金の海原を歩くナウシカのようだと思いながら脇を見やると、当時メディア露出の多かった江川紹子もナウシカしていた。平等にナウシカ。私もナウシカ。みんなナウシカ。こんなところで民主主義を実感。


二日酔いで傍聴席に静かに座る。私語ができないわけではないが、場に呑まれて沈黙。
被告側の弁護人は確か三人。開廷して、代表でしゃべり出したのは、ピンクのシャツに黒いベスト、ゆるくウェーブのかかった長髪を一本に縛り口髭の、40代半ばほどの男性。
色味のほとんどない法廷に、このファッションは猫だまし。
あの派手なオッサン何?とあとで後輩に聞いたら、誰も受けないような裁判を引き受けることが多い、かなりやり手のベテランです、とのこと。弁論がうまいんです。仕事ができる人ですよ。
へええ。


訴状の読み上げ。
道場内での殺害現場の描写。
何せ初めてだったので驚いた。
刈谷さん殺害事件で、誰がどういうことを具体的に行い、被告は何をしたか。
彼は、実際の加害行為に、ダイレクトに加わっていた。


二日酔いなんかで来るところじゃないと、すごく大きなものに叱り飛ばされた気がした。


検察側の机に分厚い資料があるのを指し、後輩が「あれはオウム用語辞典です」と。
彼ら(被告たち)が、オウム用語を交えて話すので、検察もああいうの見ないとわかんないんですよと。


ここで初めての、社会から彼らへの歩み寄り。
断罪に向かうところに来て、ようやく。
彼らからすれば、何と皮肉な。
そんな気がした。


土谷被告は何度も振り向いて弁護士に話しかけ、注意を受けていた。
落ち着きのない、多動のような、興奮した状態に見えた。


私は、人をあやめた人を、生まれて初めて目の当たりにした。
法廷の柵の向こうとこちらの、本当に大きな隔たりをまざまざと実感した。
このひとに、これからもうじゆうはない。
このひとはひとをころしたじじつからはのがれられない。
私は土谷被告をずっと見ていた。


閉廷が言い渡された。
被告を見続ける私。
土谷被告がこちらを見た。目が合い、彼が少し笑った。


私はこのときの、この微笑を、その空間の少しざわついた状況を、どうしても忘れることができない。
ひとごろしとめがあった。ほほえみかけられた。
そんな、よくある三文小説のよくあるワンセンテンスのような状況の裏側に、
無数の積み重なった日常と、そこをつい脱してしまった結果の非日常があるということを思うと、
恐ろしくてならなくなる。


日常と非日常は地続きで、その間の境界線は、
実は乗り替わるのにさほど大きな変化を覚えないものであるとするならば、
全ての「異常と思われるような事態」は、今の自分の境遇と常に地続きである、ということになる。
わたしもだれかをころすことだってありえる。


「目があった」「え、そうですか?気づかなかった」そうか私だけかと反芻しながら外へ。
腹がへったということで店を探すものの、霞が関に貧乏学生が入れるような店はない。
「社民党のカレー食いましょう。オレよく一人で行くんです」
こいつは何をしとるんだ。


カレー食べたかどうか、記憶はない。
確か食堂は終わっていたような気がする。
で、確か、「東京ドームいきましょう。日ハム戦なら絶対入れますよ。オレよく(以下略)」とかってなって、日ハム戦に行ったような、行かないような。
いやこれは別の打ち上げか?


オウムの一連については、いまだに引っかかりがたくさん。
この後輩は本当にいろんなことをおしえてくれた?ので、心底感謝?しています。


海乃屋からの~、打ち上げ後の一コマ、ですた。

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