2015年1月21日水曜日

NICK-PRODUCE#21「コーヒー・ダイアリー」

 


あけましておめでとうございます。

ご無沙汰しておりました。
どうにか生きておりました。

久々に、NICKで公演します。いやー久々です。
たった1日2ステのみの、ピアノと中編芝居の小企画です。
曲目は、ラフマニノフやドビュッシー「ミンストレル」など。
ご都合あいましたら是非、ご来場いただけますと幸いです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

***

NICK-PRODUCE#21―music×drama
「コーヒー・ダイアリー(仮)」
作・演出/村野玲子
ピアノ/中谷路子

1月31日(土)@南麻布セントレホール
東京都港区南麻布4-12-25 南麻布セントレ3F
東京メトロ日比谷線「広尾駅」1番出口より徒歩6分

開演15:00・19:00(20分前開場)
前売2800円 当日3200円

出演/加古みなみ・宇原智茂・江田恵(ソラカメ)
照明・空間デザイン/松本永(eimatsumoto Co.Ltd.)
ドラマターグ/伊藤馨
お問合せ/nickproduce@gmail.com  090-1254-7765(NICK)
Web予約/http://nick-produce.net/

2014年12月27日土曜日

9.11の思い出




思い出、なんて甘ったるい表現で申し訳ないのだけど。



9.10、台風に襲われた関東圏。
ずぶ濡れになりながら、成田空港へ向かう。
何度目かの卒業旅行(8年いたのでね)で、グァムに行く予定だった。
しかし、何せ台風直撃なので、飛行機が飛ぶかどうかは不明。
とりあえず空港に集まっとくか、ということで、
学生劇団の後輩たちと、空模様を不安な顔で眺めていた。


フライトの時間が近くなるにつれて、
台風が通過していく。
飛ぶよ、飛ぶみたい。
何だか晴れない気分のまま、飛行機に乗り込む。
現地に着いたのは朝。安いツアーなので、おかしな時間に着く。
とりあえず寝よう、じゃ後程ー、とホテルのロビーで解散した。
その翌朝。


男子部屋の後輩が顔色を変えてすっ飛んできた。
テレビ見ました?すごいことになってますよ。
なんだなんだとNHKを着ける。世界でどこでもNHK。
と、あの映像。貿易センタービルに、飛行機が2台。
呆然と眺めた後、後輩の一人が、
ここアメリカだよね、と。
はい、そうです。
グァムはアメリカです。
空港は封鎖されております。


とにかく考えないようにして、バナナワニ園とかに行って、
予定していた日程は楽しむように勤めた。
でもいつ帰れるかわからない。
なぜか私は、自分の公演の稽古始めを、グァム帰国直後に設定していた。
不安でいっぱいになる。
このまま数か月帰れなかったら…。
いろんなキャンセル代だけでどんくらいかかるんだろう。
いやでもこれって非常時だし…。てかみなさんごめんなさい…。


結局、延泊を余儀なくされ、
コスト削減のため、みんなで一つの大部屋に暮らした。
なるべく外食は控え、スーパーで惣菜を買う。
空港封鎖が解け、飛行機が飛んだ途端、街中で歓声があがった。
安心した後輩の一人は海で溺れた。
ぼくらのグァム最終日は、ICUでの付き添いに終わった。


おかげで9.11は、個人的にも忘れられない体験になった。
何せ、アメリカ領土にいたわけなので。
いろんなことが、いい迷惑だと思った。
でも同時に、ひとつ。
あ、やっぱそうなるよね、と思った。
映像を見て。
テロリスト側のモチベーションに共感している自分が、あの瞬間居た。
何か、バランスをとろうとしている気がしたのだ、世界が。


いや、よくないよ。テロは、どー考えても、方法として、よくない。
でもそんだけ追い詰められてんだよ俺らはってことなわけで。
それはどういうことなんだって、考えてくれよってことなわけで。

誰もいたずらに人命を手段に使ったりしない。
しかしこの場合のwe、youって、実際何だろう。



そしてこの、9.11こそが、point of no returnになっちゃったんだな、と、
いま振り返ると思います。


着陸先、見えてんのかなー。舵取りの人ら。
戦争は外交の手段だってのは、そーゆー駆け引きあっての話だと思うんだけど。

殲滅戦とか、マウントポジションのとりあいとか、マジでキリないよ。
落としどころ探しながら動かないと。
また泥沼化するよ。

2014年12月9日火曜日

1209雑感




映画や本を、じっと見て居られない、読んでいられない。芝居や映画館では席を立てないので中断することはないが、
必ずどこかで違うことを考える。他愛のないこと、晩飯何食うかとか、私の人生どうなんだとか。だいたい晩飯のことが多い。つまらない内容のときは特に。


ブコウスキーのドキュメンタリDVDを見ながら、何度も中断して他のことをする。煙草を吸う、ゲームをする、皿を洗う、コーヒーを飲む。30分持てばいい方だ。
とにかく飽きっぽい。


ブコウスキーは毎日書いていたという。すがるように、ただそれだけが生きていることのように、書いていた。
彼にとっては生きることが書くことだった。
オースターも似たようなところがある。
二人とも、詩人だった。
ブコウスキーは短篇、オースターは短篇を経て長編にいく。
私はどうなんだ?


無意識に、共通点を探そうとしながら見てしまう。でも成功した人間についてのドキュメンタリーだ、
闇の部分など成功のエッセンスにすぎない。
自分も成功できる。酒と煙草とセックスと抑圧された生活を切らしさえしなければ。
そんな勘違いに傾きかけるが、そういうことじゃない。
孤独の形は、誰も似たようなもので、その実どれも似ていない。
人それぞれの顔をしている。


過剰な折檻を受ける。今はそれを虐待という。
たいがいの虐待など大したことではない。心に傷をおった、自尊心が激しく損なわれた。
それが何だ。
ブコウスキーはガキの頃、さんざん裸のケツを鞭でひっぱたかれた。
そして今私が見ているのは、結局、そのときに受けた衝撃を形にできたレアケースを描いているドキュメンタリーだ。
肝心なのは、それをどんな形にも昇華できずに、歪んだ形で発露させている人間が多くいるだろうってことだ。
自分の子供への虐待。差別意識。他者の過剰な排斥。
創造性のない生き方をしている人間は、自分の傷を経験に昇華させる機会がない。
話す機会さえない時だってありうる。
それは自覚する機会をことごとく失わせる。
全てに無自覚なまま、この世に放たれているということだ。
そうやって憎しみの連鎖の連なりは、絶えるチャンスを失う。


翻って自分の話。
いろいろと嫌な思いをしたとき、ノートや日記に書き連ねることで何かを消化してきた。
どうにか次の日もやっていかなくてはならなかったからだ。
くそったれ、死にやがれと書きつけて、翌朝元気に学校へ行く。
気に入らないことがあると、愉快に癇癪を起す。教員をバカにする、あちこちにイタズラを仕掛ける。
くだらない日常への意趣返しだったのだと思う。
同じことを他人にそのまま還元するわけにはいかないと、何となく理解してはいた。


だからって自分を美化するのは糞だと思う。今でも思う。
穏やかに暮らしたい、ただそれだけだ。
ただ穏やかに暮らせないから困ってしまう。
すぐに退屈になり、酒に手を出し、煙草に火をつけ、くだらない日常を少しでも華やがせてくれる男を漁ろうとする。
糞だ。


私は書くことで救われてきた。
ただ、書く世界に逃げ込むことで現実と戦えなくなったこともあったので、
書くこととの適正距離を探すときもあった。
今は適度な気がしている。
書くことに、表現することに、そうしなくては生きていけないという思い込みに、
かえって抑圧される場合もあるのだ。


孤独は、気がついたときから友人であったように思える。
孤独を理解しあえる友人がいなかったから、本当の友達はいなかったように思える。
思えば、ただお互い隠していただけなのかも知れない。
ただ、似た形の孤独を持っていなかっただけで。
理解を求めあい、与え合うには、幼すぎた。


自分が正しいのかどうかもわからない。
正しいってなんだ?
自分の進みたい方向に、進めてるかってこと。
それが私にとっての正しさ。他の誰かや社会正義とは無縁な話。

2014年11月28日金曜日

玄関閉めると




なんだか記憶のことばかり書いておりますが。


数年前、エレベーターに乗るとき、眠そうな男の子と、中学生の姉のきょうだいが、
乗り込んできた。
微妙な年頃らしく、姉は目的階になるとさっさと降りた。
弟は眠いまま、壁にもたれかかり目を瞑っていた。


何となく気がついていた。
きっとこの男児は、私と姉を取り違えている。


私は目的階でさっさと降りた。
背後より、足音。
どう考えても弟。
勘違いを訂正するのも申し訳ない気がして、
廊下を速足で歩き、
部屋に入ると鍵を閉めた。


直後、
がちゃがちゃがちゃ、がちゃがちゃがちゃ。
案の定、ドアノブを懸命に回す音。
因果関係は理解していても、なかなかにホラー。


しゃあねえなと思いつつ、ドアを開けると、
鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした弟が立っていた。
あえて知らん顔で「はい」と出てみた。
弟は慌てて踵を返して歩き去った。


帰宅時、玄関扉を閉めるたびに思い出す、あのがちゃがちゃ音。
戦争で市民が最もダメージを受けることの一つに、
自分の家が破壊されること、と読んだことがある。
それほど、プライベートのテリトリーは侵されたくないものなのだなあ。


がちゃがちゃの恐怖、で実感しましたのでした。

2014年11月22日土曜日

オッサン遭遇記



いつまで若い気でいやがるんだ、と自家ツッコミを入れつつも、
20代から大きく環境が変わったとは言い切れないので、いまだに年をとっていない錯覚を起こしている。


昨晩、スマホをいじりながら夜道を歩いていたら、
「あ、あのー。あのー。気をつけてかえってくださいね」
やや遠慮がちなオッサンの声。
あんだ?ここでハイとか言ったら、「よければ飲みにいきましょう」ってなんじゃねえの?
と無視を決め込んだ。
「気をつけてかえってくださいね」
再び。
しつこいオヤジだなこの野郎、と顔を上げたら、二人連れの巡査の、年上の方が、
精一杯の柔らか表情を浮かべてこっちを見ている。
あ、ごめん、スマホのせいだね。
「はい、ありがとうございます」
お仕事だったねごめんねごめんね、後輩の手前もあるよね、と思いながら、
スマホをポッケにさっさとしまって歩き去った。


別に自意識過剰でも何でもなくて、過去に自宅の近所で、
何度もろくでもないオッサンに遭遇している。
ごく自然な警戒態勢。


一番マシなのは、車がキッと横でとまって「お姉さん、お姉さん。飲みにいかない?」という普通のナンパ。
おまえそれいまどき引っかかるやついると思うんかい、と思いながら、
「いえ、結構です」と速足で逃げた。


結構本気で怖かったのが二つ。いや、三つか。


一つめ。時刻は夕方。
自宅マンションの敷地内で、エレベータホールから大通りに向かう道筋。
煙草を持った、明らかに酔ったオッサンが、こちらに向かって歩いてくる。
このご時世に歩き煙草はなあ、と目を背けたら、
「姉ちゃん、やろうよ、やろうよ」
と肩を組んできた。
煙草の火が怖かったのと、その急激な距離の縮め方に驚いて、
「やりません」と愚直な返答をし、身をすくめて逃げた。


もう一つ。
稽古後に、どうしても吉野家の牛丼、並・卵をいただきたくなって、
終電近くに、一つ前の駅で降りて、がっついた。
女が深夜に一人で吉野家に入るなんて、あたしも立派な独女になったものだなあ、
と満腹しながら感慨深く表に出ると、
壊れた電波を放っているオヤジが二人、コンビニ前の高校生さながら、
煙草をふかして談笑している。
また煙草。
「しょうがねえなあ、ここいらのオヤジは」
そう思って帰路に向かうと、背後から「お姉さん、お姉さん」と呼び声が。
振り返ると、オヤジの一人が、煙草を持って追いかけてくる。
「遊ぼうよ。ねえ、遊ぼうよ」
「やめてください」走って逃げる。走ってついてくる。
「おねえさーん。おねえさーーーん」
うっかり路地に入る。
「おねえさーーーーん、待ってよーーーーーー」
いやこいつ完全にぶっ壊れてる。そう遠くない距離でちらつく煙草の火種。
路地を抜けたら、頭のゆるそうな若い男女グループが、ゲラゲラ笑いながら歩いてくる。
しめた、と思い、そいつらの側にこっそり寄る。
オヤジも火種も消えた。
帰りは、大通りを選んで帰った。


そしてもう一つ。
何年か前、自分の作品をつくっていた頃。
稽古がうまくいかなくて、なんだかなあ、とモヤモヤしながらの帰路。
終電は一つ前の駅でとまる。
地下のホームから地上にあがると、雨が降っていた。
傘を買うことを考えたけど、勢いで自罰行為に浸りたい気分になって、
リュックを抱えて濡れながら帰ることにした。


少し進むと、背後から傘が。
「風邪ひきますよ」
缶ビールを持った、30代くらいのあんちゃん。
「俺、同じ方向なんで。送りますよ」
コンビニの店長をやっているとのこと。
酔っているのだろう、えらく饒舌。
「煙草、吸いませんか」
駐輪場の軒下で雨宿りして、煙草を吸うあんちゃん。
「・・・すみません、1本いいですか・・・」
あんちゃんは、ずぶ濡れのおいらに、煙草をめぐんでくれた。
結局、話しながら、3本ほどいただいた。


傘をさして帰る。
あんちゃんは墨田区のどこだか(忘れた)のサンクスの店長で、
三店舗のエリアマネージャー。
開店直後は相当しんどく、24時間働き続けるのはザラだったらしい。
かつては、司法書士を目指していたという。
でも、なかなかうからなかった。彼女とも別れた。
いま、生活のために、いったん勉強は中断して、コンビニの店長をやっているらしい。
でも、そんな自分に納得いってない。
「コンビニの店長なんて、ってみんな下に思うでしょう」
いや、上とか下とか、そういうふうに思いませんよ。
どの仕事もしんどいですよ。
などなど。
「今日は売上が上がったんです。それでご褒美の缶ビール。これくらい自分に許そうと思って」
あんちゃんのボヤキは止まらなかった。


そして私の自宅マンションまで来た。駐輪場でいったん傘をとじる。
ありがとうございます、助かりました、と帰ろうとしたら、
「ひとつ、お願いがあるんですけど、いいですか」
煙草3本と、傘に入れてもらった恩がよぎる。でも何かがアラートを出す。
えっと、どんなことでしょう。


「おっぱい、さわらせてもらっていいですか」


きたー。


受けた恩がぐるぐるとまわり、軽率な私は、いいですよ、と答えた。


数秒後、猛ダッシュで逃げた。


ありがとうございました、本当にありがとうございました、おやすみなさーい!!!




私にとって、江東区はまだそんなところです。
もうトシもトシだし、そんなことはないだろうとは思いつつも、
たまに大間違いするアル中もいるだろうから、
いまだに身構えてます。


まーでも、平和な話やね。

2014年11月13日木曜日

風俗王との思い出




大学に8年もいたので、そりゃもういろんな人に会った。
中には、学生として出会うには珍しい人も。
その中の一人が、風俗王のA氏だった。


なぜ風俗王かというと、いわゆる女衒、女を風俗(当時は主にソープランド)に斡旋して、
その上がりで飯を食うというのを、個人で、完全にビジネスとして行っていたから。

実際は王というほどではなくとも、かなり羽振りよくやっていたらしい。


そのA氏が、とあるきっかけから芸能界に興味を持ち、芸能事務所を始めるという。
それにあたって、養成所をつくりたいからと、
当時私がお世話になっていた演出家の兄貴に話が来た。
兄貴は話が進むにつれ、金銭的な面で決裂し、
世間知らずの私はそのまま留め置かれた。


何度も事務所に打合せに行った。
金のチェーンネックレス、扇子、派手な色のスーツ(緑、空色、ピンクなど)、煙草の長い吸い口。
癖のあるしゃべり方。
とても個性的な人だった。


昔はオレも体張ってたんだけどね、抱きたくもない女抱くのも疲れるから、と。
大卒でやんのも珍しがられてね、重宝されたよ。辞めるときもちゃんとスジ通したし。


呼ばれるままに、事務所へ何度も打合せに行った。
とぶ、ケツをまくる、ヤキを入れるなどの用語を知ったのもこの人から。
あいつすぐケツまくるから、とばさないようきっちりヤキ入れないと。みたいな。
金になる女にはマメで優しく?ても、男にはがんがんヤキ入れるタイプでした。
消えた人たくさん。


養成所は約1年続いて、ひところは十人強くらいいて、
レッスン生のイベントもやったりしたのだけど、
私がさすがに大学の勉強に専念しなくてはならなくなったのと、
ある方向性にどうしても納得できなかったので、
結局は辞めた。
その方向性、というのが、
タレントもしくはアイドルでデビューできない奴は、
レッスン代をとるだけとって、最終的に(売れそうなやつは)エロで売る、というものだ。
A氏ではなく、その手の、また別の(あまり評判のよろしくない)事務所が絡んでいたせいもある。


先週までレッスンしていた女の子Sが、
翌週にはハダカでその手の雑誌に掲載されていた。
マネージャーが(ヤキ入れられすぎて)とんだので、代理で行った撮影の現場は、
その手の雑誌のものだった。
未成年の女の子Mが衣裳として渡されたのはブルマと体操着。
衣裳替えですと渡されたのは白いビキニ。
タオル地のガウンを着て、戸惑った表情で現れた彼女が忘れられない。
ネット配信用に動画撮影しますから、と受けた指示は、ラジオ体操できる?やってみて、というもの。
飛んだり体を反らしたりするのを、胸と股間を中心に、なめまわすようにカメラが這う。
見てられなくなって、私は部屋をそっと出た。


帰り道、雨が降っていた。2人で1つの傘に入り、暗い一本道をとぼとぼと歩く。
「Mさあ、こんなことやりたかったわけ?」思わず問う。
「いえ。正直、聞いてなくて。びっくりしました」
ああ、私、無理だ。
彼女の呆然とした横顔を見て思った。


エロは私も好きだし、面白いと思うけど、
その対象になるのは、常に人間の女であるわけで。
一定数の人間が、その「体を張った仕事」に従事しているわけで。
そこにどうしても同性としてジレンマを感じてしまう。
うるせえデブスババア、てめえが四の五の言うことじゃねえよ引っ込んでろ、という声を浴びたとしても。
気になってしまう。


そういった引っかかりが出来たことも含め、A氏と密に過ごせた時間は、
かなり貴重な体験だったと思う十数年後の私でした。

2014年11月11日火曜日

海乃屋からの~



何年生の、何の公演の打ち上げか記憶にないが、海乃屋で朝まで飲んだ流れで、法学部の後輩が「裁判の傍聴いきませんか?オレよく一人で行くんです」と言い出した。
人と別れる寂しさに耐えられなかった何人かで、行こう行こうと繰り出した。


行き先は確か、東京地裁。
「きょう何やってるかによりますが、傍聴券とれたのに行きましょう」と、ノリは歌舞伎の当日券。
野次馬根性とはこのことか。


そして引き当てたのはオウム裁判。確か土谷氏が被告だった。
入廷前に、ボディチェック。両手を広げて立ち、長い棒で身体を撫でられる。なんだか金の海原を歩くナウシカのようだと思いながら脇を見やると、当時メディア露出の多かった江川紹子もナウシカしていた。平等にナウシカ。私もナウシカ。みんなナウシカ。こんなところで民主主義を実感。


二日酔いで傍聴席に静かに座る。私語ができないわけではないが、場に呑まれて沈黙。
被告側の弁護人は確か三人。開廷して、代表でしゃべり出したのは、ピンクのシャツに黒いベスト、ゆるくウェーブのかかった長髪を一本に縛り口髭の、40代半ばほどの男性。
色味のほとんどない法廷に、このファッションは猫だまし。
あの派手なオッサン何?とあとで後輩に聞いたら、誰も受けないような裁判を引き受けることが多い、かなりやり手のベテランです、とのこと。弁論がうまいんです。仕事ができる人ですよ。
へええ。


訴状の読み上げ。
道場内での殺害現場の描写。
何せ初めてだったので驚いた。
刈谷さん殺害事件で、誰がどういうことを具体的に行い、被告は何をしたか。
彼は、実際の加害行為に、ダイレクトに加わっていた。


二日酔いなんかで来るところじゃないと、すごく大きなものに叱り飛ばされた気がした。


検察側の机に分厚い資料があるのを指し、後輩が「あれはオウム用語辞典です」と。
彼ら(被告たち)が、オウム用語を交えて話すので、検察もああいうの見ないとわかんないんですよと。


ここで初めての、社会から彼らへの歩み寄り。
断罪に向かうところに来て、ようやく。
彼らからすれば、何と皮肉な。
そんな気がした。


土谷被告は何度も振り向いて弁護士に話しかけ、注意を受けていた。
落ち着きのない、多動のような、興奮した状態に見えた。


私は、人をあやめた人を、生まれて初めて目の当たりにした。
法廷の柵の向こうとこちらの、本当に大きな隔たりをまざまざと実感した。
このひとに、これからもうじゆうはない。
このひとはひとをころしたじじつからはのがれられない。
私は土谷被告をずっと見ていた。


閉廷が言い渡された。
被告を見続ける私。
土谷被告がこちらを見た。目が合い、彼が少し笑った。


私はこのときの、この微笑を、その空間の少しざわついた状況を、どうしても忘れることができない。
ひとごろしとめがあった。ほほえみかけられた。
そんな、よくある三文小説のよくあるワンセンテンスのような状況の裏側に、
無数の積み重なった日常と、そこをつい脱してしまった結果の非日常があるということを思うと、
恐ろしくてならなくなる。


日常と非日常は地続きで、その間の境界線は、
実は乗り替わるのにさほど大きな変化を覚えないものであるとするならば、
全ての「異常と思われるような事態」は、今の自分の境遇と常に地続きである、ということになる。
わたしもだれかをころすことだってありえる。


「目があった」「え、そうですか?気づかなかった」そうか私だけかと反芻しながら外へ。
腹がへったということで店を探すものの、霞が関に貧乏学生が入れるような店はない。
「社民党のカレー食いましょう。オレよく一人で行くんです」
こいつは何をしとるんだ。


カレー食べたかどうか、記憶はない。
確か食堂は終わっていたような気がする。
で、確か、「東京ドームいきましょう。日ハム戦なら絶対入れますよ。オレよく(以下略)」とかってなって、日ハム戦に行ったような、行かないような。
いやこれは別の打ち上げか?


オウムの一連については、いまだに引っかかりがたくさん。
この後輩は本当にいろんなことをおしえてくれた?ので、心底感謝?しています。


海乃屋からの~、打ち上げ後の一コマ、ですた。