とんとんとんとん。とんとんとんとん。
ご近所付き合いも一切なく、宅配の再配達依頼もしていない中で、
21時半を過ぎてドアをノックされるなんて、まずまともな状況ではない。
先週しつこく食い下がったN〇Kの集金人かと思い無視していたら、「すみません」と女性の声。
よほど用事があるのだろうと思って開けたら、子連れの若い女性と、恐らく60代半ばと思われる女性が、二人揃って覗き込む。
思わずいったんドアを閉めてチェーンをかけた。そんな方々に、夜に来訪される言われは全くないのだ。
聞けば、マンションの下のフロアに住む方々で、騒音で夜も眠れず、原因を探して歩いているとのこと。
女性二人は親子ではなく隣人同士で、ご高齢の方が被害に遭われているらしい。
昼夜問わず響く重低音に、心臓がおかしくなるほどに悩まされているという。
今は寝るために別室を借りているとのこと。
私は、自分は一人静かに暮らす身であること、駆けまわる子供もいないこと、
洗濯機を回す時間も気を付けており、テレビもステレオもない暮らしであること、
家にいる時間帯はごく短いこと、などを告げ、何か気づいたことがあればお伝えすると述べてその場を終えた。
思わずネットで見ていたニュースの音量を下げたが、その程度の音が他部屋に漏れているようなら、互いの暮らしはもっと筒抜けなはず。
バカバカしくなって音量を戻した。
おまけに、妙に自分の生活が寒々しく思えてしまった。
他者と共存するというのは、いったいどういうことなのだろう。
私は立派な両親のおかげでマンション暮らしが長いけど、昔は私程度の収入の町人は、おそらく長屋暮らしが多かった。
幼い頃に家族で暮らした都営アパートは長屋のような感覚が残っていて、隣の家にひょいと醤油を借りにいくような関係性だった記憶がある。
今はそんなときはコンビニに走るだろう。隣人と話す機会など、まず無い。
とんとんとん。とんとんとんとん。
先ほどのノックの音で、その結界が破られたような気がした。
正直、すごく怖かった。取り立てられるような借金は、もう無い(はず)。新聞もとっていない。
ドアチャイムもあるのに押さない。あくまでノックのみ。
その、プライバシーを脅かされる感覚ったらない。
「すみません」の声が女性でなかったら、絶対に開けなかった。
でも女性であるからといって油断はできない。
理由なき殺人がこんなにはびこる世の中なのだ。
「なんでしょう」扉を開けた私は、正解だったのだろうか。無防備すぎるのではあるまいか。
ひょっとして、子供を含んだこの3人連れは、界隈をリサーチしているのかも知れない。
指を1本ずつ、鼻の孔に入れてこちらを見ていた男の子。君は自分の役割をどう任じていたのだ。
そんなコケティッシュな振る舞いが、大人の警戒心を解くと思ったら大間違いだぞ。
どれだけこちらが馬鹿を見て生きて来ていると思っているのだ。子供の馬鹿など、大人の馬鹿に比べれば、たかが知れている。
自分の馬鹿も含めた話。
などと、妙に怖い思いをした。
いま、横溝正史ワールドに関わっているからかも知れない、隣人が怖い。
いま、横溝正史ワールドに関わっているからかも知れない、隣人が怖い。
哀しい時代になったものだとも、同時に思う。
隣人に素直に扉を開けられるようになる日は、また来るのだろうか。