2012年4月24日火曜日

声ふぇち。


最近気づいたのだけど、どうも自分は声フェチらしい。良い声を聴くと、ついふらふらとそっちへいってしまう。
バリトンだろうがテノールだろうがみさかいなし。ああ、ええ声やあと思うと、見た目も中身も関係なく、無条件降伏。
そんな自分をようやっと自覚。


どんな人が好み?という話をすることは、社交辞令的にもよくある。
その度に、いやあ自分でもよくわかんないんだよね…見た目じゃないし…生き様?いやいや…強いて言えば仕事できる人、なのかなあ。
本当に自分でもよくわからなかった。それがやっとわかった。音だ。その人が出す音が自分にとって快であると、どんな人であっても全肯定。話せば話すほど気分よく。好意と快楽を勘違い。
そうかあ、そうだったのかあ、と、どえらく納得。
齢36にして己の嗜好を知る。
雑食で飽き性なわけじゃなかった!!!


なぜそんなことを考えたかというと。
今手伝いで、オペラの制作に入っている。今日はそのリハーサルだったのだが、大好きすぎるテノール二人の声に客席でふるふるしていたときに、はっと自覚したのでした。ああ、自分、声が好きなんやと。見た目なんかどうでもええ、その人の出す音がよければ私はそれでOKなんやと。
とにかく、ええ声が好き。
いや、ええ声、というより、いい音、か。


声は嘘をつけないと、どこかで読んだ。コクトーの「声」、だったかな。
顔やしぐさはいくらでもつくりこんで嘘をつけるけど、声だけはどうにもならない。だから電話だと隠し事もすぐばれる、と。
演出しているときでも、何かおかしいな、と思うときは、見えてるものと聞こえてくるものがちぐはぐすぎることが多い。
台詞と、動きと、現れている表情がバランバラン。
そんなとき、ちょっとたんま、と立ち止まり、違和感に苦しんでいる役者の素直な声を聴くと、その内容がなんであれ、原因がわかることが多い。
大切なのは、音。
音がいろんなことを、勝手に語る。勝手に伝える。
あ、少なくとも、私にとっては、だけど。
目が強い人は、きっと視覚情報でいろいろわかるんだと思う。
私、目が悪いんでなー。


そしてさらにそういえば。
小学校のとき、アニメオタクだった。
だけど単にキャラクターを追うのじゃなくて、作画監督によっての画質の違いや、声優、美術、背景、キャラクターデザイン、どこのスタジオで製作されているか、そういったことがやたら気になった。
というか、キャラクターをいつしか通りこし、そっちのほうを追っかけた。
見えているものがつくられているもので、その裏に蠢く作り手たちの妄想や理想がその実現の源だと、子供ながらに悟っていたのだろうか。
だとすればよくできたガキだ。


見えてるものの裏にあるもの、その息遣いを感じ取る。
表情の裏に隠されたやわらかなもの、それを外につなぐ/つないでしまうのが声。


人の闇をさぐるには、声は必要不可欠な要素なんだと思った。

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