2011年4月8日金曜日

あたしがナイーブすぎるってこと?

あのあの。
何というか、
私がズレているのでしょうか?
それとも、私が普通すぎるのでしょうか?
あの揺れ、あの気仙沼の火事、あの津波、あの津波警報、緊急地震警報、歩いて歩いて歩いて、でも結局帰れなくて、あと出勤中に揺れて電車止まったりとか、あと机の下に潜ってゆっさゆっさ揺れてるのを、ああまた大きいの来たらどうしようと思いながらやり過ごして、あああのときよりは小さかった良かったと安堵して、でも明け方の揺れにはやっぱり驚いて飛び起きてそれから不安で眠れなくなったり、このズボラな私が被災グッズまとめてみたりして、テレビもつけっぱなしにして寝てるのかどうか分からない状態でNHKを方耳に流しつつ夜を過ごして、そいでいつまた揺れるかわからないから不安で不安で、夜も眠るのが怖くて、ウォーキングしようにも歩いて遠出してるときにまた大きく揺れて帰れなくなったりどうにもならなくなったりしたらどうしようと不安だからできなくて、電車が揺れで止まったりとか、揺れてないのに揺れてるように錯覚しちゃったりだとか、職場で一斉に居合わせた人たちの携帯の警報が鳴ってまた揺れて職員が走って扉開けに行ったりとか、でもその中でもお金が必要だからどうしても働かなくちゃいけなかったりだとか、他にも他にもたくさんたくさん何だか色々あった中で、ナイーブになってるねって言われて、作家だからね敏感なんだねっていうので片付けられて、
納得できるわけがない。

関西に、やむなく帰っていた友人が、東京に戻ってきて、あまりの自粛ムードに驚いたという。
徐々に慣れてきている自分がいた。
というか、スーパーの暗さも、駅の暗さも、町の暗さも、ぶっちゃけこんくらいでいいんじゃねくらいに思ってた。落ち着く落ち着く、みたいな。
が、しかし、
昨晩の、大きな余震で、
そんな惰性もふっとんだ。

とても神経質になってしまっている自分がいる。
それは分かる。
東京なんて別に被災してねえじゃん、と言われようが何だろうが、
この国の形が変わったことが、これからも変わっていくことを余儀なくされるということが、
とんでもなく未曾有な気がしてならんのだ。
変わるのは、地図の陸形だけじゃない。
政治も、経済も、教育も、ITも、労働のあり方も、
流通も、資本の流れも、国家間の関係も、
民度も、文学も、死生観も、
何だかもう、いろんなものごとが、
いろんなものごとの前提が、
おっきく変わると思うのだ。

沖縄が、被災者の受け入れを開始した。
ってことは、東北にいた人らが、沖縄までエンヤコラ移動するってことだよね?
そいでもって、中にはそのまま住んじゃったりする人も出てくるかも知れないよね?
そんな距離を、集団で移動するってそんな、あれだ、満州に入植するとか、北海道に屯田兵として移住するとか、そういうレベルの話なんじゃないの?
役場ごと移動してる町もあるんだよね?
てことは、集団の機能が維持されながら移動しているということなのかしら?
そんなことって、これまでありましたか?
個人や団体で疎開するにしたって、あくまで民レベルの話でしょ。
町役場ごと移動って。
公ごと移動ってことでしょ。
何というか、もう、根こそぎですよ。
何というかもう、
民族大移動並みの労力が強いられるわけですよ、
しかも何の準備も無いままに。
負担じゃないはずがない。

フォッサマグナ以西は、プレートが違うから、今回の地殻変動の影響はあまり受けていないらしい。
その分、温度差が大きいらしいけど、それはそれでいいけど、
だからといっておまえら特に被災してないじゃんかとは言われたくない。
そりゃ23区は(一部を除いて)計画停電対象外だったけどさ。
買占めだってあったけどさ。
でも正直なとこ、かなり参ってはいるんだよ、当事者として。

おかしいのかな。
おかしいのかな。
私の神経が弱いだけなのかな。
何か、納得いかない。んだけど。何でかね。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 「ろうそくが全然ないよー」という会話を100円ショップで聞いた。

 心の中でアドバイスした。「仏壇屋に行きなさい。そうすればたくさんある」と。しかも彼岸の時期であった。

 サバイバルしたければ視野を広げ知恵を絞りなさいと。

nick さんのコメント...

御意。