2023年12月27日水曜日

衣裳・小道具リスト 第1弾(着払い代金のみでお譲りします)

過去に舞台で使用した衣裳・小道具につき、処分しようと思ったのですが、
どうにも愛着があって捨てられません。
よろしければもらってやってくださいませんか?
コスプレや学芸会など、何かにお役立ていただけますと大変ありがたく存じます。

特に代金は不要ですが、発送は着払いとさせていただきます。
押し入れに入れっぱなしだったので、シワはございます(すみません…)。
現状のままの写真を下にアップいたしますので、ご検討いただけますと幸いです。

ご希望の方は、村野に直接ご連絡いただくか、
こちらのサイトの「CONTACT」フォームからご連絡くださいませ。(稼働確認済です)
https://nick-produce.net/


【作業着】Sサイズ/ネームプレート付



【コック服】※背中にちょこっと茶色い飛沫あり


【全身白タイツ】たぶんSサイズ。


【王様っぽいコート】※左袖に青い飛沫(たぶんネオカラー)が付着してます。




【フェイクレザーパンツ】王様っぽいコートと組み合わせて使いました。
 


【フェイクレザー手袋】王様っぽいコート、レザーパンツと組み合わせました。


【従者っぽい上着】首元をとめる金ボタンはとれてしまいました…。


【少年っぽいパンツ】片側の裾にだけタックが入ってます。



【短パン】


【かぼちゃパンツ】かなり作りは粗いです。シワシワでごめんなさい…。


【ネクタイ】ヨレヨレでごめんなさい…。


【夜の女王さまっぽいセット】
↓背中についてるひらひらの先に指はめリングがついてます。

↓中にはくペチコート          ↓帯
 

 ↓頭飾り

【蜘蛛の巣手袋】私の立派な腕で恐縮ですが…肘より上まであります。両手分あります。


【妖精っぽいもの】
 ↓ロングベスト。背中についてるひらひらの先に指はめリングがあります。
 

 ↓ビスチェ。               ↓巻きスカート。
 

 ↓ちりめん布。


【テロリストセット】物騒なもので恐縮ですが…。1尺定規と並べています。

 ↓ベルトで巻くダイナマイト

 ↓手持ちダイナマイト

 ↓爆弾


……ひとまずこんなところです。疲れたのでいったん区切ります。
あまりお宝でなくてすみません。
しばらくたって何もなければ、悔いなくサヨナラしようと思います。

(再掲)
ご希望の方は、村野に直接ご連絡いただくか、
こちらのサイトの「CONTACT」フォームからご連絡くださいませ。(稼働確認済です)
https://nick-produce.net/

またぼちぼち、第2弾もアップしようと思いますが、先になる気がします…。
どうぞよろしくお願いいたします~。

nick

2023年9月22日金曜日

お久しぶりです。

すっかり墓場になってしまったこのブログ。
noteに引っ越そうかなと思ったのですが、やはりこの、あまり目立たない感じがちょうどよく、結局戻って来てしまいました。
なんかnoteって、意味のあること書かなくちゃいけないプレッシャーが凄くて。
思いつきでぼやけるのって、やっぱり慣れ親しんだここかなあと。
「場」って、ありますね。

ここ最近(といっても10年ほど)、ご縁をいただき、演出助手として活動することが多かったのですが、
そしてその業務・役割そのものに、不満も不服もないのですが(大変なのはどこのポジションも等しくある)、
どうも本来の自分との乖離が出てきた、というか、違和感が募るようになり、
閉店?閉業?することにいたしました。

なんででしょうねえ…。
今、少しずつ、何でかなあ、を考えながら、過ごしているところです。
何で限界を迎えたのかなあ。
あるときふと、あ、もう本当にやめたほうがいい、と思ったのでした。
このまま続けていたら、数年後に色んなところを病んでる自分が、容易に想像できました。

演出助手という役割で、いくつもの素晴らしい公演の幕を開けられたのは、
とても有意義で、貴重で、学ぶこと得ることの多い経験でした。
仕事として誇りに思う瞬間も多くありました。
ただ、ひとつ、忘れられない場面があります。

助手で参加するようになって間もない頃、まだ仕事にも不慣れだった頃に、
すごく大変だった公演がありました。
(私だけでなく、キャストもスタッフも、みんな大変でした)
その初日、上演が終わって客席が明るくなったとき、
演出家は、他のスタッフに握手をして回っていました。
その手は、私には訪れませんでした。
私が、もういいかな、と思ったのは、たぶん、そういうことが積み重なった結果なんだと思います。

銃後の守りのごとく、当たり前のように軽んじられる(ことが多い)。
これは私だけのケースではないような。
他の演出助手さんは、どう感じているんだろう。
ずっと疑問に思ってきましたが、ついぞきちんと意見交換する機会はつくれませんでした。

一度だけ、若い方に、きつい現場の後の回復魔法を尋ねたところ、
ソロキャンプの焚火で台本を1枚ずつ恨みを込めて燃やす、とのことでした。
私がここしばらくソロキャンプに関心があるのは、その話のせいかも知れません。

経験からの印象にすぎませんが、
特に演出助手・制作は、演劇公演に必要な実務を担っていながら、実務であるがゆえに、軽んじられているような気がしてならないです。
どれだけ内容に配慮しているか。どれだけ現場の創造性のために貢献しているか。
しわ寄せくるところだからねー、ですませないでほしいです。
しわ寄せがきて大変だからこそ、上乗せで、怒鳴るとか、疎外するとか、嫌な経験をさせないようにしてほしいと思います。

きっと、ポジティブな要素もたくさんあったんだろうと思います。
じゃないと10年ももちませんから。
でも、今はまだ思い出せずにいます。酒呑んでクダまいたことくらいしか…。
(たくさんの方々にお相手いただき、救われました。たぶんそれなかったらもっと早く演劇やめてた)

といってもおまえもこうだぞ、というご指摘もあろうかと思います。
そういったことを含め、もう少し振り返りを続けてみようと思います。

ここまでのぼやきにお付き合いくださり、ありがとうございました。
また突然現れます。

nick


👇ムクドリが大量にとまってギャン鳴きしまくっててこの世の終わりかと思った。


2022年12月31日土曜日

朗読×音楽コラージュ『Bon Bon Voyage』当日パンフ掲載「ごあいさつ」文


12/23金、吉祥寺スターパインズカフェで、朗読と音楽のステージイベントを実施しました。

アレにアレして、下界に降りてきた直後だったので、なかなかに大変でした。特に咳と体力低下。稽古ってこんなに体力使うんだったのかと、改めて。


関わってくださった皆さんのおかげで、ぶじ終演できました。

きょう大晦日まで、配信を行っています。

ひっそりやってるこのブログが見られることはないと思いますが、何となく、当日パンフに掲載した「ごあいさつ」文をアップいたします。


慌ただしいながらも、刺激に満ちた年でした。

様々なことに、深く感謝の念を抱きます。


来年もどうか健やかに。

良いお年をお迎えください。


nick


~*~*~*~*~*~*~*~


ごあいさつ


本日はご来場いただき、心より御礼申し上げます。


…この言葉に含まれる意味合いが変わってから、約三年が経ちました。

私もどこかに「ご来場」する機会が減り、在宅時間が増えたのですが、その結果、以前より文字情報に触れる機会が増え、改めて文芸作品と出会い直すことにつながりました。

以前は静的な、インドアな営みとしてとらえていた読書。

しかし、言葉で紡がれる世界は、どんなに動きがあり、どんなに色づき、どんなに騒々しく、活力に溢れていることか。

国語教科書に載っていることで出会った作品の奥底にも、どれほど猥雑な、どれほど粗野な、どれほど教育とは程遠いことが、暗渠となった川のように太く流れていることか。

美しい横顔、凛とした眼差し、すっと伸びた背筋とともに、目を背けたくなるほどの弱さ、愚かさ、腐臭までもが、余すことなく描かれていました。

こんなに豊かな世界がすぐ手の届くところにあるなんて。

貪るように無数の物語をひもとき、驚きと、過ぎ去った時間への後悔と共に、新鮮な旅程とたくさん出会うことができました。

「おうち時間」で得られた、大きすぎる怪我の功名だったように思います。


その中で出会い、心をつかまれた作品を、皆さんと是非とも共有したいと思い、今回の企画を立ち上げました。

言葉の世界の彩りと奥行きを広く深く旅するために、音楽の船が皆さんをご案内いたします。

STAR PINE'S CAFEの空間と、お飲み物やフードとともに、どうぞお楽しみいただけますと幸いです。


では、まもなく出発です。

Bon Bon Voyage!


NICK-PRODUCE主宰

村野玲子

2022年12月12日月曜日

例のアレをアレしました⑤:その後の経過

シャバに出てから数日。
この間、劇場や稽古に行ったり、自宅ながらPC作業に追われていたら、
ひどく咳を悪化させてしまった。
宿泊療養で体力がすっかり落ちているところに、急に歩き回ったもんだから、
何かいろんなところが「もうやめてくれ」「休もうぜ」「おいおい勘弁してくれよ」とブツブツ呟いてるのがわかる。
3日ほど動き回った後、4日目の今日、うつらうつらしながら終日過ごした。

後遺症の一項目に「集中力が落ちる」とあった。
何のことやらと思っていたが、そんなことはあるのかも知れない。
(あるいは”月からの使者”が来て大量の血液が出ていってるせいかも知れない。)
昨日、稽古に向かい、慣れない路線に乗ったのだが、
急行で座り、ついうとうとして下車予定駅を寝過ごし、
戻ろうとしたところにメールが入って対応に集中していたらまた乗り過ごし、
稽古開始30分前には到着する予定が、行ったり来たりしてるうちに結局遅刻してしまった。
身体と意識が、なんとなく、日常生活にうまく馴染めない。

午後になり、部屋に差し込む日光に疲れを覚えて横たわった。
少しうとうとしていたら、上の階からゴン、ゴン、と、一定のリズムで床を打つ音がする。
ふだんなら舌打ち1つですませるところ、起こされたせいもあり、妙に気に障る。
管理人に電話して、療養中なのでと断りを入れつつ、やんわりながらも、珍しくクレームをいれた。

病人は口やかましいとか、扱いづらいとか言うが、病人側の気持ちがよくわかる。
何だかずっと、慢性的に気が晴れず、どことなく苛立っている。
気づかないうちに八つ当たりをしている。いつもなら言わないようなことを言う → 慢性化する。
室内で動ける自分でさえぎくしゃくするのだから、寝たきりになったり、病院暮らしになったりしたら、どれほど気難しくなるだろう。

前に足首を骨折して松葉杖生活になったときにも思ったが、
怪我や病で健康が損なわれていると、生活環境の見え方がぜんぜん違う。
バスや電車に乗ることはとんでもない大冒険だし、
隣を駆け抜ける自転車はすごく恐ろしい。
衣服や荷物も機能性を重視する(私は普段からそうだが、さらに輪をかけて)。
つまり、人生の主役が、ともすると、自分の意志よりも怪我や病気に奪われてしまう。

もちろん、怪我や病気ありきの身体生活に慣れていれば、その前提のもとに自分の意志を発露することも可能だと思う。
だがそれらに不慣れな白帯者では、あるいは慣れようがないほどの苦痛を伴う場合は、
とてもじゃないがマネージできない。振り回されてしまう。
そして断念することが多くなってしまう。
どうせ。しかたない。まあいいか。
そんな心の中の呟きが増えていく。
この無自覚な後ろ向き姿勢は、苛立ちの蓄積につながる。そして無意識の八つ当たりへと。

他のメカニズムパターンももちろん無数にあるだろう。
でも、自分を素材に、ひとつの仕組みを見いだせただけでも、ほんの少し得るものがあったような気がした。
気がしただけかも知れないけど。

買い出しにいく気力がないため、お見舞いにいただいた食糧や、都が送ってくれた療養サポートの備蓄食糧をついばんでいる。
咳が体力を奪う。

温かいお茶を淹れようか。

過日、日光でいただいたお抹茶&お団子。


nick


2022年12月8日木曜日

例のアレをアレしました④:自分の身体

おかしな夢を見た。とは、何かの小説の書き出しにありそうだが、サイケな色のついたおかしな夢の中で苦しさを覚え、はっと目覚めた。息苦しい。
例のアレをアレして、発症してちょうど8日目。4日目の早朝に起きたのと同様な息苦しさが、同じ明け方の時間帯に襲う。

とにかく体を起こし、ただじっと座って深呼吸。布団をはいで寝ていたようで、体がすっかり冷えている。暖めアイテムをかきあつめる。靴下とレッグウォーマーを装着、暖房を入れ、白湯を飲む。
症状がほぼおさまっているこのタイミングでくるということは、後遺症としてこの後もちょいちょい現れるつもりだろう。忘れた頃にやってくるやつめ。

息苦しさが少しましになったところで、つい習慣からスマホで「後遺症 息苦しい 対策」とググったが、専門家がそばにいることを思い出し、看護師に電話。これはもうしょうがないですねえ、と宥めるしかない様子。大丈夫、わかったありがとう。どうにもならないことがわかればそれでいいんだ。受話器を置く。

時間を見ると、6:07。食事を取りに行くのは8:30~9:00と決められているから、すぐに動き出す必要はない。
ひとまず横になる。暖まったせいか、少し楽なような気がする。
途中1回、検温のために起きたが、朝食の時間までうとうとした。
目覚めたら、だいぶましになっていた。


これまであまり病気らしい病気はしたことがなく(去年とった胆石は不摂生ゆえだと思ってる)、自分が動き回れることを大前提に、予定も立ててきたし、周囲との関わり方も考えてきた。
でも今回の罹患を経て、自分が健康を害する場合もあるのだと、改めて思うようになった。
病と並走してこられた方からすれば「何をいまさら」と思われるだろうが、
本当にこれまで、自分が動けなくなることを想定することはなく、むしろそれは甘えだと思ってさえいた。
しかしそれは全くの勘違いであり、リスク管理ができておらず、むしろ逆に甘えにすぎないことを、今回身に染みてわかった。

この肉体は、期限つきなのである。
いつまでも万全なわけがなく、少しずつ(あるいは一気に)故障や機能不全を起こし、
やがて一切の働きを止める。

こんな当たり前のことを無視して、買ったばかりの電化製品のごとく、マニュアルもろくに読み込まず無理な使い方ばかりを強いてきた。
機能を使いこなす前に、故障して使い物にならなくなる。

今更ながら、自分の身体を、深く慈しもうと思った。

…今だけだったら、ごめんね。

昨日の晩弁当、鶏天&あさりご飯。

nick


2022年12月7日水曜日

例のアレをアレしました③:「退屈」…なのか?

「今日も退屈だろうけど辛抱してね♪」と見舞いの言葉をいただく。
引き続き、アレをアレしたが故の宿泊療養生活が続いている。

ありがとうございます、と返信しようとして、ふと感じる違和感。

退屈…?
退屈なのだろうか…?
辛抱するほどに…?

自宅にいれば、ひょっとしたら辛抱の必要があるほど退屈なのかも知れない。
でも非日常的な空間で、日常とはかけ離れた生活を送っている今、
時間のたつのはあっという間で、いつの間にか日がのぼり、いつの間にか深夜である。

入ってすぐは、長時間座っているのもままならず、寝ている時間も多かったが、
3日目の今、ラジオ体操第一第二に加えて簡単なスクワットができるほどには体力が回復してきている。
集中力が回復しきっていないので、仕事に関わることはきちんとできてはいないが、
短いメールを返すくらいには思考力が回復してきている。

そして思い至るのは、そもそも退屈とは何か、ということである。
かつてはよく退屈を覚えていた。
もはや理解の範疇を越えた、高校の物理の授業。
教習所の座学(仮免で終わった)。
単位を得るだけのために選択した、大学の経済学の般教授業(グラフとか数字はとことん苦手)。

でも、生活するようになってからは、退屈を覚えたら、自分で回避するようになった。
居酒屋のアルバイトで客が来なくて退屈しているときは、何でもいいから仕事をつくる。
用事がなくて家で退屈しそうなら(そんな贅沢なことはあまりない)書類の整理やしばらく開けてない棚の整理など何かしらやることを見つける。
誰かと話していて退屈を覚えたなら(滅多にない)自分の関心のある話を放り込んで、意見などを聴く。
今日も、休み休みしながら調べものをしていたら、日が沈んでしまった。

つまるところ、退屈とは、与えられた環境に対してただ受け身であるがゆえに生じるのではないか。
そして、退屈している余裕など、実のところ、どこにもないのではないか。

退屈って、すごく贅沢なイメージ。
でぶでぶ色白、くるんくるん巻き髪の王子が、横たわってリンゴをかじりながら、
「ああ…世は退屈じゃ…何か面白いことはないかのう…」
って半裸で団扇を煽ぐ女官に呟いてる感じ。
一分一秒でも惜しい時間貧乏な暮らしをしてきた私としては、
退屈とか言ってる暇あったら風呂の掃除でもやろうよね、と思ってしまうのでした。

なので、辛抱するほど退屈、というのは、
どんな状況であっても、自分からは少し遠い現象だなあ、と思った。

…でもそれも、ネットで色んなものが見たり聞いたりできるからかな。
一昔前だったら、本や雑誌を読んだり、空の色を眺めたりして、退屈だな、と思ったのかも知れない。
そしてその「一昔前」は、そういえば、そんなに昔でもないですね。


でも、そこでさらに、ふと思いあたった。
自分はそもそも、本質的にずっと退屈で、
退屈を紛らわす術が年々上達しているだけなのではないか。
退屈から逃れるべく、外部刺激を探すことが上手くなっているだけなのではないか。


人生、暇つぶし。
そんな言葉は、売れた芸能人か、裕福なコピーライターが呟くカッコつけにすぎないと思っていた。
でも、そうじゃないと言い切れるだろうか。


こうしてブログを立ち上げているのも、退屈から逃れる一つの方法にすぎないのではないか。


では逆に、真に退屈に捉われたとき、何と出会うことになってしまうのだろうか。


……その実験をするには、今の自分はまだタスクがありすぎる。
そうして、仕事に逃げ込むのである。


昨日の朝ごはん。おにぎり。

2022年12月5日月曜日

例のアレをアレしました②:「1」の食事

こんにちは。
流行のアレをアレしたため、社会的営みからいったん離れて宿泊療養しております。
昨日公表された新規アレの数字の中の「1」は確実に自分。
生活もあり人間関係もありこれまでの時間もある、自分。
その自分自分の積み重ねが、結果として数字になっていることを、数字の側になって改めて実感しました。ああ自分「1」なんだなあ、と。

ウクライナ兵「1万」人、死者「10万」人。
東北大震災での死者「18131」人、行方不明者「2829」人、負傷者「6194」人。
熱海土石流災害死者「27」人、行方不明「1」人。…
それぞれの「1」が確実にあった。
命が"失われる"ということは、命が"有る"ものである限り当然の理なのではありますが、
それは絶対的な「1」であることを、「1」の側になった時に、やはり強く伝えたい気持ちになりました。

その「1」のホテル療養ライフですが、
提供される食事が、ちゃんと美味しくいただけるものであることに、ありがたさを感じています。
ネットニュースなので真偽のほどはわかりませんが、
陽性者・陰性者めちゃくちゃに突っ込まれて体育館のようなところで一斉管理されるとある大陸国とか、
公的保険制度がないため個人の医療にかかるコストが莫大で貧しい人は何のサービスも受けず酷いときはただ悪化して亡くなるしかなかった、とあるデモクラシー大国とか、
そういうのを見るにつけ、税金が医療・福祉にきちんと回されることのありがたさをつくづく思います。


入所1日目の晩弁当。













一品一品、丁寧な味付けで、それなりに美味しい。
お浸しも出汁が染みてる。
現場弁当ライフが長い身としては、これはちゃんとしていると思いました。
特に、左上のアサリご飯の上のアサリが、生姜ダレできちんと煮込んで味付けされてるあたり、やるじゃねぇか…と。


翌日の朝サンドイッチ。













久々にコーンスープ飲んだ。
パン厚くてしっかりしてる。玉子フィリングふわふわ。
みかんゼリー懐かしい味。


そして、いま終わったばかりの昼弁当。味噌汁はtake freeのインスタント。













人によるけど、男性にはちょっと足りない、女性にはちょっと多いかも?な量。
イカの天ぷらが柔らかくて美味しい。煮物嬉しい。


ケータリングの差配をしたことがある人には共感いただけると思いますが、
滞在者を飽きさせないようにしてる工夫がとてもよく伝わります。
何もすることがないホテル療養、食事が最大の関心事になるので、これはとてもストレスの減ることです。
そしてこれらは皆、税金で賄われている。
感謝しかありません。

舌ばかり肥えている都市部の人間のハラを、医療目的で確実に満たすには、
それなりの工夫が必要なんだねえとほとほと実感しつつ、
「1」としての暮らしを粛々と送るのでした。


nick