栗山は、マイケルの次に私が入れ込んだ、青春時代のイコンであります。
…すみません、冷静になれない。どうにも感慨深く、下記追想させてくらはい。
いつにも増してモノローグだわ。
2〇年前、中学時代、ベッドでちょうど起きたときに見える位置に栗山のポスターを貼り、
定期入れに野球カードを入れ、
週刊ベースボールの切り抜きをファイルし、
神宮で買ったサイン入りの下敷きで授業ノートをとり、
当時の栗山の背番号「46」続いて「4」をカバンにシール貼りし、
こ汚い上履きにまで「栗さん」と書き、
あちこちに栗を落書きし、
写真集は本屋のように表紙が見えるように陳列され、
とにかく栗山にまみれ。
家に帰るとラジオを聞き、
聞けないときは録音し登下校中にウォークマン(もちろんカセット)で聞き、
手帳には自分の予定より試合のスケジュールの書き込みが多く、
試合がないときは何となく張り合いがない気分で鬱々とし、
応援歌をわざわざノートに書き写して覚え、
四コマ漫画を見て選手の似顔絵を練習し、
選手名鑑を見て打率を暗記し、背番号を覚え、わからぬままに年俸を覚え、
書いてある住所に震える手で年賀状を出し、
たまに友人たちと今はなき川崎球場のオープン戦に行ったり(伊良部が新人だったなぁ)、
東京ドームで日ハム戦を見て、西崎ファンの友人と西崎の登板を待ってじりじりしたり、
巨人ヤクルトの開幕戦で内藤が吠えた「疑惑のホームラン」(ポールをまいた打球でファウルなのに判定は違った)に動揺したり、
オフのときは珍プレー好プレーを録画してみのもんたのナレーションに何度も笑ったり。
多摩川にある巨人軍グラウンドにもいって、桑田やら斎藤やら駒田やら、
当時のアイドル井上・緒方もいて、
練習してるのぎゃあぎゃあ眺めて、
近くのおでん屋で駒田が飲んでるっていう噂が流れて即なだれこんでみたり。
人生最初に間近で見た有名人だったからか。
とにかく興奮して、シリーズが始まるのが待ち遠しくて仕方なかった。
私の寝床の周りは、野球選手のポスターで埋まってた。
何かに一度ははまるよね。
アイドルにははまったことはないけど、
野球にはどっぷり浸かったなあ。
高校野球も然り。
運動のセンスはないので自分でバットを握ることはないくせに。
いやその、栗山っていうのは、当時とにかくそんなに派手なプレーはしないタイプだったんですよ。
たまーに外野で良い動きしたりはしてたけど。
ブンブン丸がいたし、広沢もいたし。
笘篠なんて、にーちゃん西武で弟ヤクルトで、俊足で、盗塁でと、もう半ばアイドルですよ。
そんな中、地味ーに7番とか8番とかで、それでもよく出てたけど。
監督が野村に代わってから、どうにもあわなかったのかな。
いつしかだんだん出場しなくなって、そのうちメニエール病で引退しちゃって。
そのままあたくしも、栗さんいないんじゃ…と野球から関心は離れていってしまい。
誰を応援の軸にしていいのか、わかんなくなっちゃったんですね。
あたしは野球のファンじゃなくて、野球選手のファンだっただけなんですな、今思うと。
その栗山が。とにかく現役時代は地味だった栗山が。
か、か、監督になって、し、し、しかも優勝だなんて。
あたしはもう、胸いっぱいですよ。心も腹も頭も胸も、もうどこもかしこもいっぱいですよ。
よかったねえ、よかったねえ。
いろんなことがきっと報われたよね、よかったねえ。
ああ嬉しい、なんか私も本当に嬉しい。
あんまし泣いちゃだめだよ、いつか揚げ足とられるから。
なんかでもそういうとこも、栗山なんだよなあ。ヘタレな感じ。
いやいや。
本当によかった。本当に。
なんか、2〇年後に、あたしまで思いが叶った気分だよ。
ありがとう。栗山英樹。
あたしも泣きながらがんばるかね(笑)
2 件のコメント:
なんで誰もコメントしてくれないの・・・。
どうでもいいからでしょう(笑)
かまってくださってありがとうございます~
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