初版は1987年と、23年前になる。
ちょうど私は11歳。
この頃に、自分で教育環境が選べるとしたら、シュタイナー教育を望んだかも知れない。
出会うのが、遅かった。
教師はサラリーマンでも公務員でもない。芸術家である。
その認識がまず驚きであると同時に、ああやっぱそうだよね、とうなずける。
だって本当にそう思う。
彼らは全人格・全身体性をもってして、生徒と向き合わなくてはならない。
指導要領があったって、同じこと。
現場では、人と人とが向き合う。
その中で生まれるさまざまなもの(葛藤や憎悪、孤独も含め)は、
確実にその後の人生の糧になる。
シュタイナー教育の小学部は、8年担任制。
その後は担任制はとらず、専門ごとに教師の指導をあおぐ。
知学偏重ではなく、あくまで感受・思考・発見・実行するプロセスを、
子供たちの成長段階を把握しながら、
じっくりじっくりと積み上げていく。
お受験熱まっさかりな時勢のあおりを受け、過剰な詰め込み教育にさらされ続けた私には、
創造することへ全身で誘ってくれるこの教育機関が、その関係者が、羨ましくてしょうがない。
教師である父母は、自子の教育方針の相違からいつも激しくぶつかりあっていた。
その渦中にいたのは、他でもない、私だ。
中学・大学と二度の受験を経て、結局のところ父の考えに沿った指導が行われた。
母がどのような教育を理想としていたのかは分からない。
ただ、母の書棚の題字には、「シュタイナー教育」というフレーズがいくつかあったような記憶がある。
それと付随して、「キブツ集団教育」「オイリュトミー」等々。
今にして、確信をもって思う。
彼女は、日本の教育制度に沿うことができなかったはずだ。
教頭になってしまった彼女の葛藤は大きかったようだ。
先日見つけた日記に、一人の人間としてのやりきれなさが吐きつけてあった。
水を得なかった魚。
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