愉快な芝居を立て続けに見た。
たいそうもやもやが残った。
愉快な思いをしたのに、なぜこんなに鬱屈している。
答え。
自分がやりたいことを、人が思う存分やりきってるのを、
まざまざと目の当たりにしたから。
例えて言うなら、
自分がたいそう空腹な状態でありながら四肢を縛られ吊るされているような状態でいるときに、
目の前で誰かが中華のフルコースを、
ぐるぐる回る円卓で、しかも楽しげに、片っ端からたいらげているのを、
ただじっとなすすべもなく眺めている。
愉快なわけがない。
しかし、四肢を縛ったのは、他でもない自分だ。
才能が無いと言い逃れ、酒に逃避し周りに迷惑をかけ(しかも覚えてない)、
日々これでもかと言わんばかりに自分を痛めつけるようなスケジュールを組み(バイトや現場4つかけもち)、
思考停止させるかのごとくあらゆる情報をシャットダウンし、
感情の機微に流されまいとして情緒的なものから身を遠ざけ、
朝起きて夜寝るだけの豚のような生活を自らに強いる。
何の自傷行為だ?
金が必要だ。それは間違いない。
ただ、そんなにまでして閉ざし、逃げ回ることにいったい何の意味がある?
…傷つかないために。
…。
ヤキが回ったか?
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