2009年4月28日火曜日

ザッツ女子。

「でねぇ、
「うん、
「そこのナシゴレンがねぇ、
「うん、
「超オイシかったのぉ、
「へぇえ、
「今度食べに行こう、
「うん、行く行くぅ、
「本格的でさぁ、
「へえぇ…


……あまりの予定調和なやりとりに感慨深くさえなった。
女子の会話と言われるものの典型か。


否定しない。
とにかく肯定する。
肯定していることを大きく伝える。
目の前にいる相手は他者ではない、'私たち'。
場を共有しない者は全て他者。


他者は否定しうる。
自分たちを肯定しあうために、他者を否定する。
それを陰口と呼ぶ。


真意など関係ない。
話を受けている側がナシゴレンを本当に好ましく思うかどうかさえ関係ない。
ただ'私たち'を維持するためだけに肯定を繰り返す。
マジぃ、あたしあの目玉焼きがどうも苦手なんだよね、そもそもアジア料理の味の構成が苦手でさぁ、やっぱフレンチでしょ…などと言い出そうものなら、
次の日、いや下手をするとその日のうちに、その女子は'私たち'失格となり、他者の称号をあずかり、
容赦ない否定と批判と評価の対象となる。


ザッツ女子。


女子2人連れの会話に耳を傾けると、だいたいお互いをとても羨ましがる。
へえ、いいなあ、私なんかさあ…
羨ましければそうなるように努力すればいいように思えるが、真意はそこにはない。


嘘。
バランスをとるための。
'私たち'を維持するための。


ザッツ女子。


だから何だというわけではないが、
女子校時代にこういう会話をイヤというほど繰り返しながら育った私は、その空気の断片だけでも匂ってくると、んもう心底お腹いっぱいになってしまう。
いやいいだろうナシゴレン付き合わなくたって。
フレンチが好きって素直に言えよ。
だって本当に食べたいか?好きかナシゴレン?
自らに問いかけたことはあるか、ナシゴレンが本当に好きか否かを?
数限りある人生の食卓を、付き合いのナシゴレンを頑張ってオイシい顔して口に詰め込むために浪費するのか?
いいのかそれで?
本当にいいのか?
こら、答えろ。
答えさない。
おら、答えろってば。
答えろっつってんだろ、
答えろよ、この女性専用車両乗用者がよ!!


などと胸ぐらをつかんでぐらぐらと揺さぶりあげてしまいたくなる。
自称、悲しきはぐれもの。

しかしまあ、
ウェンディーズのドーナツが揚げたてで非常にオイシかったので、許してやるとしよう。

3 件のコメント:

kirin さんのコメント...

悲しいなぁ。悲しすぎる。余裕がなさすぎる。他人につべこべ言いすぎるのでは?それなら自分の人生を充実させるべきでは?
余計なことをすいません。

nick さんのコメント...

>kirinさん

余裕、ほしいですね。
人生の充実を追い求めて、また余裕をなくす。
矛盾だらけの毎日です。

nick

匿名 さんのコメント...

私はよく見てるなって思いましたよー。
たしかにハッキリいうと疎まれたりするし、反対にハッキリ否定しすぎる女性も多い気がします。