2011年1月25日火曜日
リーディング+チェロ@下北沢カフェ のお知らせ
2011年1月19日水曜日
大黒屋の天丼たち
あまりに愉快で楽しくて、朝10時から夜7時まで粘りました。
あと二時間を残してギブアップ。
エコノミー症候群めいた足を引きずり、寒風吹きすさぶ夜の街へ。
あまりに腹が減ったので、お参りもへったくれもなく、
取り急ぎ飯屋へ。
12年くらい前に一度入った大黒屋。
ごま油で揚げたエビ天は、変わらず濃厚で香ばしかったです。
おいしゅうございました。
渋谷ちゅるりら
なぜか能楽堂もあったが、
ブライダルの設備が充実してた。
チャーチがあったり、
写真屋があったり。
と、いうことを、無意識にチェックしている自分に気づき、びっくら。
予定皆無なのに…。
年頃なんですかねえ。
2011年1月15日土曜日
新年のご挨拶&雑感
昨年中は、様々な人に多様にお世話になり、
またご迷惑をかけ、
また生きる希望を頂き、
本当にありがとうございました。
こいつどこまで面倒なんだ、と思われつつも、
本年も明るく楽しく、かつ深く確かな足取りで、
一歩ずつ前に進んで行こうと思いますので、
これまで出会った皆様も、
これから出会う皆様も、
何卒、どうぞよろしくお願い致します。
* * *
日々が、飛ぶように過ぎていきます。
本業のほかに、副業を大量にやらざるを得ないせいか、
気を抜くとあらゆることが後手に回り、
あっというまに足元がさらわれていきます。
毎日、望もうが望まなかろうが多様な人物と交わらざるを得ず、
一人の時間がこの上なご褒美であるような日々です。
正直なところ、疲れます。
その中で気づくことは、
世が本当に不況だということ。
不況だということは、
天下の通用、お金が回ってないということ。
様々な場面で、行き詰まりを見出します。
お金が回ってないということは、
仕事に見合った対価を得られない、
またはそもそも仕事が得られない、ということにつながります。
それでも、人も法人も、生活するために、生き残るために、
金を得なくてはならない。
仕事を生み出し、金をつくることを、それぞれが必死になってやっている。
尋常じゃないテンションです。
生きていくってこういうことなのかな、と改めて認識させられます。
* * *
私は学生が長かったので、一周遅れで世の中に参加しています。
その分、参加するのに時間がかかります。
そこでいつも確実に軋みや摩擦、衝突が生じますが、
どうにか、力技で相手の歯車を削り取り、
自分の歯車を噛み合わせるようにさせながら暮らしています。
これはこれで、かなりエネルギーのいることなので、
正直疲れます。
でも仕方ないですよね。必要なのですから。
一時期はあまりの自分の不適応に、自分の存在価値を失いかけましたが、
ここ数日でどうにか足元を見出したようです。
* * *
最近、落語にはまっています。
不思議なことに、ようやっと安心できるメディアに出会えたような気がしています。
オペラやバレエも美しく素晴らしいとは思いますが、
日本で見る限り、どうしても欧州の後塵を拝しているようなきらいがまだ抜け切れません。
文明開化、脱亜入欧、追いつけ追い越せ、といったような、
自己否定の論理が今だ働いている、とでも言いましょうか。
接木された文化のように感じざるを、未だ得ないのです。
素敵だな、と思いつつも、若干の違和感を失えない、といいますか。
自分の勉強不足かとも思いましたが、多分違うかと。肌合いの問題で。
安心して身をゆだねる、というよりも、研ぎ澄まされた感覚を要求される、といいますか。
それはそれでいいのでしょうし、そうじゃない方もおられるとは思いますが、
私にはどうにも、背伸びをしている感覚がぬぐえませんでした。
それが、作年末から落語に触れる機会が偶然から多くなり、
年始には寄席に行くに至り、
欲しいと感じていたものがここにあるという思いが日々強まっております。
理由は、まだよくわかりません。
ただ、ルーツだとか出自だとか、そういったものが関わってくるような気がしています。
寄席は本当にいいです。
お囃子が聞こえてくると、尋常じゃないアドレナリンが出ます。
浅草の顔見世に、朝10時から夜7時までおりましたが、
実に幸福な時間を過ごすことができました。
笑う場ですが、テレビでお笑いを見ているのとは全く違います。
人がそこにいて、扇子と手ぬぐいと喋りだけで、こんなに豊かな時間を生み出せることに、この上ない感動を覚えます。
まだビギナーだから、こんなところに感心しているのだとは思いますが、
これからもっと深入りしていく中で、より考察を深めていきたいと思います。
* * *
最近、よく思うのは、
いつまで自分は自分の学校にいるのだろう、ということ。
ドライブするモチベーションの一つに、「勉強のため」というのが確実にあります。
ものごとを知ったり考えたり、技術を身につけていくことは決して嫌いではありませんが、
新たなものごと習得は、当然これまでの習慣や思考回路の部分的な破壊の上に成り立つもので、
それはそれで楽なことではありません。
学校の勉強のように、誰かが指導要領を組んでくれて、
核となるものごとを積み重ねていけるようにいざなってくれるのであれば、
さほど無理なく考えて身に着けていくことができるのでしょうが、
実際の世の中は学校ではないので、そんなことは知ったこっちゃありません。
現場は常に即戦力を欲している。また、常に代えがある。
ある人が、どんな機能を担い、どんな能力を持っていたとしても、
必ず代えがあります。
だから、才能だとか、天才だとか、世界に一つだけの花だとか、
そういった絶対的に価値あるものとして扱われることへ尋常じゃない憧れを持つのだと思います。
ただ、自分に関して言えることは、両親が教師だった上、学校生活が長かったせいか、
自分の中に学校というシステムを持ってしまっている。
誰かが教師で、誰かが生徒。
常に、学び、身につけ、実現することが善とされる環境に身を浸しすぎ、
結果、どのような環境であっても、そのシステムが無意識に作動してしまう。
これは不適応の一因です。世の中は学校じゃない。
若いうちから世にもまれ、学校とは無縁の人からは鼻で笑われるでしょうが、
これはこれで結構難しいものがあります。
教師になればよかったのかも知れませんけどね。
その道は、自ら可能性を閉ざしてしまったため、もうこれで生きていくしかないのですけど。
どうしたものか。
* * *
何か、溜め書きみたいになってしまいました。
もうすぐ朝です。
学校の流れを引きずりますが、
今年は、いくつか卒業しなくてはならないことが見えてきています。
大学8年のとき、7年分の勉強をしました。
どえらくしんどかったけど、新しい知識に触れることそのものは楽しかった。
1年の移行期+8年、計9年のサイクルで、新たな時間が生まれるような気がしていて、
今年はその新たな8年の最初の年になります。
これはもう、どこへ向かっていくか全く読めません。
そういえば昨年の今頃も、一昨年の今頃も、今と全く違う環境にありました。
というか、毎年違う環境にあります。…そりゃ疲れるわ。
よく生きてるな、と今、改めて思いました。
まあそんなわけで、新たなサイクルを生み出すために、
仕込みをたくさんたくさんして、
出すものをたくさんだしまくって、
充実した、理想的な日々を目指して、
日々邁進していきたいと思います。
* * *
今は会えない人は、またいつかどこかで会えるときが来るでしょう。
今幸運にも一緒にいられる人たちとは、とことん付き合いたいと思います。
* * *
今年はどんな出会い、そして別れがあるでしょう。
* * *
長くなりましたが、ご挨拶と代えさせて頂きます。
本年も、よろしくお願い致します。
nick 拝
2010年12月19日日曜日
【EXHIBITION】『トランスフォーメーション』@東京都現代美術館
近所にある木場MOTに足を運んだ。
日々実務や実利ばかりを強要される環境にあり、
もう限界を超えたことを強く自覚したので、
何でもいいからアートに身を染めたかった。
木場駅から木場公園に向かう。
が、どえらく遠い。
歩いても歩いても、それらしき建物は見つからない。
仕方なしに、道端のオッサンに尋ねると、
無愛想な顔が一気に破顔した。
話しかけられるって、結構嬉しいもんなのかね。
公園内にある巨大なイチョウの木についていた木の葉が風に吹かれて一斉に揺れて、
イチョウの木全体がでっかいペンペン草みたいになってたのがとても印象的だった。
青空を背景にしたこの光景が見られただけで、迷子になってよかったと思う。
行き着くと、いくつか展示が。
オランダの何たら展と、トランスフォーメーションと題された展示。
後者のキャッチは、「生きることは変わること。」
衝動的にチケットを購入した。
余談だが、美術館の入場料は、演劇に比べてはるかに安い。
映画よりも安い。
なのに、時間と思索を思う存分与えてくれる。
見る見ないも、選択の余地がある。
しかも余計な干渉を一切されない。
コストパフォーマンスがこの上なく良いと感じるのは、私ではないだろう。
さて内容。
といっても、美術について全くの素人なので、難しいことは一切わからない。
が、とにかく変なものが多くて、心底楽しめた。
モダンアート、ってやつなのだろう。
前置きなしに真っ暗な部屋に踏み入れさせられ、音の3D体験をさせられたり、
ナウ○カの腐海にいるような生き物の、頭のようなものがはるか高方にどんとあったり、
お買い物袋を山ほど運ぶ女神の石像があったり、
卑猥な合成写真があったり、
男女どちらか不明な生物が卵を産むグロい映像がえんえん流されていたりと、
そりゃあもう魑魅魍魎感満載で、たいそう楽しめました。
つまらない遊園地より、よっぽどワンダーランド。私にとっては。
おかげで日常の垢がすっかり落とされました。
平日の午後に行ったからか、人も殆どおらず。
見たいものを見たいだけ見れた。ので、満足度大でした。
まあ、ゴッホやドガ展と違って今後も確実に混まないとは思いますので、よろしければ是非。
1月終わり頃までやってます。
東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/index.html
あー面白かった。
【EXHIBITION】『没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった』@新国立美術館
ガタガタの疲労をおして出向いた銀座での打ち合わせが、
立ち話10分で終わるという驚異的な事態に陥ったため、
終了後、今しかない!とゴッホ展へ。
と、意気揚々と乃木坂駅を出て券売所に行き着くと…
ん…?
並んでる…?
これまで何度か美術館によちよち足を運んだけど、
並んでるのを見たのは初めて。
ちょっと嫌な予感。
そして会場。
朝10時代の日比谷線くらいの混み様。
芋洗いとまでは行かないけど、
美術館でこれは芋洗いに等しい。
何より、作品と鑑賞者との1対1の関係が結びづらい。
常に誰かの頭や顔が視界を遮ったり、
小さな額を覗き込むために赤の他人同士では有り得ないほどの近さで顔が近づいたり、
果ては爺さんの加齢臭を思い切り吸い込んでむせたりと、
ゴッホ以外の雑音があまりに多すぎる。
友人同士での感想の言い合いも聞きたくない。
ゴッホが耳を切り落とした後に療養所で描いた作品群。
狂いないデッサンと細かな点描で、療養所の庭が色鮮やかに描かれていたものがあった。
『僕にはもう不安や苦悩や後悔はない。仕事に専念したい』みたいなことをテオに書き送ったとボードが出ている。
(クロニクルに沿って展示してある。)
その後最終的に、自殺に至る。
するってえと、おばさまが、
「ほら!悩みがふっきれたからこんなにキレイ。やっぱりふっきれると色使いもほら、こんなに鮮やかになるのねえ。」
耳、ありませんけど。
療養所に閉じ込められてますけど。
この後、自殺しますけど。
何故そんなに、想定しうる因果関係の射程距離が短いのだ???
自分のコンテキストに沿った解釈を、 友人とは言えなぜ他人と共有できると思える???
てめえこの野郎、アタマっからもう一回見直してきやがれ、と喉元まで出かかったが、
所詮自分も芋洗いの芋、
絵なんててめえの見たいように見ればよし、
きっと偏屈でおかしいのは自分だ、
とぐっとこらえた。
有名な自画像の前なんて動物園並の人だかり。
いやきっとモチベーション的には近いものがあるのだろう。
興味深い展示で、作品そのものは素晴らしくかったが、
ざらついた印象がついでに残った。


