2021年3月19日金曜日

おじさんと目が合う。

過日、現場でのこと。
稽古場で録音をするために、静寂をつくる必要があった。
細い通りに面したスタジオで、外であまりに騒がれると、室内のマイクが拾ってしまう。

リハーサルを終えていざ録音というタイミングで、ガランガランと派手な音が聞こえてきた。
何事かと驚き飛び出すと、おじさんが自動販売機の横にあるゴミ箱を漁っている音だった。
「すみません…すみません、今ここで録音してるんで、大きな音は控えていただけますか」
お願いをした。
「…」
手を止めたおじさんは、漁る手を止め、どこかで手に入れたらしきコーラをぐびぐびと飲んだ。
そばにあるリヤカーには缶やペットボトルが整理され積まれている。おじさんは仕事をしているのだ。
「今、録音をしているので…」
コーラを飲むのをやめたおじさんは不思議そうな顔で私を見て、「あ?」と言った。
「ですから、今、この中で録音を…大きな音をたてないように…お願いします」
おじさんは再びコーラを飲み、不思議そうな顔でじっとこちらを見る。話しかけられたことそのものに驚いているようだった。
と同時に、お願いされているという事実を理解できず、俺はあんたの頼みを聞く必要などそもそもないのになぜあんたは俺に頼むのかという、自由の極致にある表情をしていた。ある意味で、社会性から完全に開放されている。

ああそうか。
見ず知らずの人でもきちんとお願いをすれば聞いてもらえるというのは、全くの私の幻想だった。
甘えであった。

おじさんはしばらく私の顔をじっと見続けた後、何かもにょもにょ口の中で言って、つとその場を立ち去って行った。
あるいは、ひょっとすると言葉か、聴覚が不自由な人だったのかも知れない。

コミュニケーションが成立する状況に慣れ過ぎた。
懸命に生きてるつもりでいて、いつの間にか惰性的な回路が作られていた。
新鮮さを取り戻していければと思うが、できるだろうか。


nick

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