2019年3月22日金曜日

糸の切れた凧による足跡:立て続けに映画を観る。

『金子文子と朴烈』『ヴァージニア・ウルフなんて怖くない』『福島は語る』昨日今日と2日かけ、立て続けに3本見た。どれも印象深い鑑賞体験だった。

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糸の切れた凧が最初に向かったのは映画『金子文子と朴烈』。青山大学の隣にあるイメージフォーラムは、ちょうど客の入れ替え時間。映画の監修を行った加藤直樹(関東大震災後の朝鮮人虐殺についてフィールドワークした『九月、東京の路上で』著者)氏によるアフタートークがあったのでごったがえしていた。
時間ギリギリのところでどうにか滑り込む。

映画は、大逆罪で死刑判決を受け、その後恩赦となったアナーキスト金子文子と朴烈を主人公としたもの。同志として暮らしていた二人は、関東大震災直後、自警団による朝鮮人虐殺を逃れ警察署に自ら出頭するが、虐殺を隠蔽しようとする政府により「実際に暴動を画策したもの」として法廷に引きずり出される。
文子はどこまでも朴烈についていく。そこが唯一の生息場所であるかのごとく。

映画について予備知識ゼロで行った私は、この日本を舞台にした、7割が日本語の映画が韓国映画だということを、だいぶ時間が進んでから気づいた。
 日本語を喋っている割には(日本国内では)見たことない俳優ばっかりだし、たまに日本語のイントネーションが「?」となることがあったため、やっと気づいた。これは母語が日本語ではない人たちがつくったんだ。
 にしても、ここまで作り込むのは凄い根性。日本がホワイトハウスを舞台にここまでの映画つくるか?

久しぶりに行ったイメージフォーラムは、予告編だけでも面白かった。従軍慰安婦についての論戦を追った(でいいのかな)作品だったり、シリアの決死の救援活動を追ったドキュメントだったり。
 私自身、国内のメディアを全く信じなくなってしまっているし、ジャーナリズムの魂は組織ではなく個人に宿ると考えているので、国外の作家が日本の闇に光を当ててくれるのは、妙にありがたく感じてしまう。

日本の戦中戦後の国民文化を取り上げたジョン・ダワーの著作『敗北を抱きしめて』がピューリッツァー賞をとったとき、「なんでこれをアメリカ人が書くんだ!日本人からこういった研究が出るべきだろう!」と壁に本を叩きつけた研究者がいた。私もそう思った。

ナショナリズムとかファシズムとか、具体的にどういうことになるのかわかってないのだけど、巻き込まれるのはごめんだ。誰かと同じ言葉を、声をあわせて叫ぶだけで困った気になる。挙国一致とか言われたら、どれほど虫唾が走るだろう。

旗色がどんどん変わっていくのを感じる中で、自分はどこまで耐えられるんだろうと思う。あるいは気づかないうちにオウンゴールを決めてしまっている可能性もある。そうならないために、少しずつでも視野を広げておこうと思う。広げつつ、深めつつ。

そんな、徘徊2日目の午後でした。少し涼しくなってきた。

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