2008年8月4日月曜日

「売れなかった」という事実

バイト後、知人の芝居を見に、新宿ゴールデン街まで。
眠い。

友人の彼氏?が、ゴールデン街で店を営んでおり。
その彼氏が、自らの誕生日を記念して、店で竹内銃一郎の、『あの大鴉、さえも』、までを店でやるという。
彼氏って言っても、確か50代なんだけど。
私の友人は、私より数年上。…違ってたらごめん(笑)
美しい方です。今日はアジサイ模様の浴衣をお召しでした。

誘われるままに、寝不足の心身とともに、店に訪れる。
酒を飲む。…やっぱり眠い。

芝居は、私なりにシビアなことを言い出せば切りはないが(というか単なる稽古不足)、いつになく楽しそうな知人の表情を見て、それでよかったんだなあと思った。
何よりも戯曲が面白い。

演劇学校でやるようなスタンダードさを持ち合わせながらも、毒がきちんとある。良い戯曲だと思った。
ワークショップでもいいから、いつかやってみたい。

そして飲み。
ただでさえ眠い上に、よその打ち上げは苦手なのですぐに帰ろうとはしてみたが、酒の山に負けてそのまま残留。
次々と注がれる酒。
ああ、幸せだなあ。

そして、そこで出会った、年老いた演出家。
おそらく、齢70。一概に演出家と言えども、ピンキリであり。
齢の割には、ここ数年の話を聞くと、大きな小屋でやっていない。
むしろ小劇場。
でも、新劇の空間にはいたらしく、出てくる名前はビッグネームばかり。
売れなかったんだね、と隣にいた友人に耳打ちした私。
自分の可能性を算段に入れながらも、ジャッジをせざるを得なかった。
理由はわからない。

さんざん話している中で、リアリティの話が出た。
私は、12年前に観た、tptのルヴォー演出の『三人姉妹』における異常なリアリティが素晴らしかったと話したところ、
リアリティなんて言ってること自体が古いよ君は、と爺さんから来た。
お笑いだのなんだの、リアリティとはかけ離れたものばかりがウケているだろう、と爺。
リアリティがないお笑いはウケないでしょう、と私。
そもそもリアリティが大切だと言い出されたのはいつからか知っているのかと爺。
生意気な女だなんだと罵られているうちに、ああ、概念がずれている、と悟った瞬間に、
「それだけバイタリティがあれば君は売れるよ」と吐き捨てるように言った爺。
それ以降、一切口を開かなくなった。

やがて、帰る、と言い出して、その場から消えた。


概念はあくまでツールだ。
その定義は、時代や環境によって変わる。
今は多様性の時代。
たぶんしばらく続く。
そこを読み違えて、いつまでも裸の大将でいても、
有意義な出会いは訪れない。
そう思うんだけど、爺、違うかな。


つい、偉そうなオッサンがいると喧嘩をふっかけてしまう。


悪い癖だよ。
私も多様性を学ばなければ。

にくおろし

0 件のコメント: