2008年10月21日火曜日

印象

怒涛の更新。
写真は鶴岡お化け。


一つ所にいるとすぐに飽きるタチなので、
何種類ものアルバイトを、短時間ずつ掛け持ちしている。
おかげで切り替えがだいぶ身に付いてきた。


今日は昼間に、情報を扱う研究所の秘書を。
立体画像が何たらとかアルゴリズムがどうたらとか、
一応社会科学畑の学部にいた私からは全くの、未知で無知の世界がそこにある。


今日は、雑務の傍ら、チェコのインターン生が組んだ実験システムの実験台になった。
と表すと大層なことのように映るが、何のことはない、膨大な量の顔写真を見て、眼球の中心と鼻の終わり、頭の左右上下をひたすらクリックしていくものである。


以前、先生に研究内容を尋ねたところ、
カメラで人間をアイデンティファイする方法、とか何とか返ってきた記憶が。
違ったかな。


うまくいけば、防犯カメラに映った画像から犯人特定をすることが容易になるとか何とか。


そんなことを思い起こしながら、様々な角度に変わる顔を、クリック、クリック、クリック。
1人目は、なかなかに綺麗な女性。
ただ、変わるのは角度のみで、表情はほとんど変わらない。

ふーん。


一つ気づいたこと。
当たり前のことだが、角度によりだいぶ印象が変わる。
その大きな原因は、見る対象が正面にある場合、黒目の位置が変わるから、ということ。


あごを引けば藪にらみになり、人相が悪い印象を与える。
あごを上げれば三白眼になり、相手からは見下されている印象が。
あごを斜めに引き見上げると、媚びた、あるいは卑屈な印象が。
真っ直ぐ前を見ると、大切にされているような気になる。


不思議なものだ。


撮られている女性はただ機械的に角度を変えているだけで、上記のような内情を読みとるのは、こちらの勝手である。
勝手に読む。
推測する。


ひょっとして。


様々なことを、勝手に読み違えてきたのではないか。
つまり、誤解をしてきたのではないか。
ふとそんな気持ちが湧いた。

読んで解釈するのは主観によるのであり、
自らは客観と称しつつも主観を語ってきただけなのではないか。


なら演出家によるダメ出しって何だ?


主観を押し付けていく行為を演出と呼ぶのか?


しかしまあ。
言葉で描写できるのは、
私に見える世界と、そうではない他人から見た世界と、厳然としてある事実の世界と、
大別してそういったものにとどまるのではないかと。


自分の使う言葉や見たいもの、見えてくるものの価値を疑ったところで、有意義な展開はない。
大学八年間と、卒業後の数年間を経て得た結論。


疑いを持つことは必要である。
ただし、それは思考の糸口として。
結果、何らかの行為に結びつけていくことこそが、思考の本来あるべき姿なのではないか。


違うかな。


なんてことなど、学生時代にあれこれ考えていたことを懐かしみながらも、クリック、クリック、クリック。


あと1450枚を、4日で…


……


先生、オイラ機械にはなれないよ。

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