2017年9月17日日曜日

かりそめの付人。

なぜか。国立劇場の日舞の舞台で楽屋番をさせていただいてきました。頼んでいた方がNGになり、その代打だそうです。
で、これが非常に面白かったのでした。

大劇場で幕間に楽屋から楽屋へ駆けずり回ることはしていたけど、1つの楽屋に朝から長時間いるのは初めて。楽屋づくりも、いつも付人さんたちがなさってるのを遠目で眺めるばかりでしたが、初めてお手伝いさせていただきました。のれんをかけたり、お土産の準備をしたり。あと、出の前に袖で水を持ってスタンバイしていて渡すとか。あぁ付人さんたちはこういう目線で見て動いていたんだなぁと、少しだけですが、わかったような気がします。

袖から観る舞台がまた面白く。黒子がどう着替えさせてるかとか、鳴り物の演奏が間近で聴けたりとか(美しかった)、幕間近くなるとわらわらと転換準備に来るやたら大勢の道具さんたちとか、転換終わりで舞監が柝を刻む様子とか。袖から裏方なめで舞台上を観ると、構造の断面を見ているようで非常に興味深かったです。
むかし学研の付録で蟻の巣の断面が見える蟻飼育セットがありましたが、あんな感じ。

不慣れなこと多く、あまりお役には立てなかったのがかなり心残りですが、とても貴重な経験をさせていただきました。
ありがとうHiROさーん。

2017年9月1日金曜日

NICK22 リーディングのお知らせ。



NICK-PRODUCE#22---wordlabo.2
珈琲店行脚戯曲読
『明日晴れたとしてもピクニックには行かない。』

都内2店舗のカフェでリーディング。女性キャストは演劇企画集団THE・ガジラのワークショップを経た加古みなみ。作曲・チェロ演奏は、アルゼンチンでの活動を経て日本で活躍中の五十嵐あさか。男性キャストは、9/24:佐藤拓之、10/1:猪熊恒和(燐光群)と、魅力的なゲストをお招きします。

作・演出=村野玲子
キャスト=加古みなみ
9/24:佐藤拓之、10/1:猪熊恒和(燐光群)
作曲・チェロ演奏=五十嵐あさか
スーパーバイザー=中谷路子松本永
企画=NICK-PRODUCE

会場=924日(日)代官山 Sweets Bar Melty100g
    開場18:30 開演19:00
101日(日)祖師ヶ谷大蔵 Cafe MURIWUI
開場19:00 開演19:30a
料金=9/242200円+1オーダー(別途)
   10/12200円+1ドリンク(別途)
チケット予約はこちら
お問合せ=nickproduce@gmail.com090-1254-7765NICK

STORY
コンビニ経営に失敗した夫婦。これまでにも何度も起業に失敗してきた夫とその妻は、娘の強い勧めで離婚しようとしている。夫婦が寝起きするのは、他でもないその娘の一人暮らしの部屋。生活が維持できず、転がり込んだのだった。

夫の負債が家族にまで及ぶのを避けるため、離婚せざるを得ない現状ではあるものの、離れる必要を自覚すればするほど、互いへの想いが深まっていってしまう。共同経営者、父母、夫婦、男女――役割の仮面をひとつずつ剥がして行き、人間としての互いの素顔に再び出会い直す、ほんのり淡い対話劇。

2017年7月3日月曜日

カレーはやさしいたべものだ。

昔、まだ学生だったころ、年上の作家志願の方に「カレーはやさしいたべものだ、って知ってる?」ときかれ、知りませんと答えた。

インドではね、子供だけでなく、子供にとってのお父さんとお母さんが亡くなったりするでしょ。悲しくてごはんなんか食べられなくなるでしょ。でもカレーのスパイスは、そんなときでも食欲をわかせてくれる。カレーなら食べられる。だから、やさしいたべものなんだよ。

とのこと。

いまだにこの、本当だか嘘だかわからないもっともらしい話が忘れられず、カレーを思うたびにワンセットで思い出す。

でもそのとき脳内に浮かんでいるのは、インドのでもタイのでもなく、日本の生活空間での文化触変を経た、いわゆるあのカレーライスだけども。

2017年5月21日日曜日

深夜のよしなし。

昼に寝すぎて眠れないので、
私の一番好きな、船成金の風刺画。
芸者が靴を探せるように、札を燃やしてる。


***

「筒井康隆はどうなったんだろうねぇ」と言われて、なんだっけと思いその場で検索したら、少女像に関してのブログ&twitter炎上のこと。

我が家のトイレ文庫(自然発生的に冊数が増えていく、家族の数少ないコミュニケーション媒体)で筒井氏の短編にお世話になってきたレベルの読者にすぎないが、あーあの世界観の方ならああいうこと書きそうではあるねぇ、とは思った。

と同時に、何かと印象が似てると思って何だっけと考えてみたら、シャルリエブドの風刺画の件だった。

「表現の自由だー何が悪いー」と言うものの、その表現が確実に誹謗中傷につながることを発信者が自覚しているのであれば、それは自由の悪用とも言えよう。
文筆家であったりジャーナリストであったりするなら、なおさらその発信方法・内容が自覚的であるという印象からは逃れられないわけで。

何かを傷つける先に(傷つけられた人の救済も含んだ)何等かの幸福のビジョンがあると発信者が信じるなら、現状の代案としてそれを提示するところまで行わないと、単なる破壊衝動を満たすだけの暴力にすぎないように映ると思う。
…あぁ、回りくどい表現。
要は、ぶっ壊すだけじゃなくって、その先にあるものを見据えることが、今は必要なときなんだろうなってこと。

理想が力を失ってる。でも、そんなときもある。だから、また考え直せばいい。
ないものは、つくればいい。だってないから。つくるしかない。

必要は発明の母とはよく言ったもので。
このカオスな現実から、新しい何かを見出すのだ。

と、さすがに鈍い私でも、ニュースを見ていろいろ思うのでした。

思えば3年前の閣議決定から、既にデモクラシーの底が割れていたんだなー。

あ、いや、割れていたというか、割れが決定的に表面化したというか。
Point of no returnだったと思う。
にしても、どこに顔を向けて国家運営してるんだろう。
国民に向いてないのはつくづくわかった。
目的が見えない。…あ、よもや再び国体護持?

パンドラの箱は、もう開いてる。

2017年5月13日土曜日

5/27土 月いちリーディングのお知らせ

劇作家協会の戯曲ブラッシュアップWS「月いちリーディング」にて、
拙作『風乃キヲク』を扱っていただくことになりました。
前半リーディング、休憩はさんで後半ブラッシュアップのためのディスカッションです。
下記サイトに冒頭のみ公開されています。

5/27(土)18:00~ (終了は21:00頃予定)
会場=座・高円寺 地下3階 けいこ場2
参加費=無料
http://www.jpwa.org/main/activity/reading-workshop/tokyo
 【ゲスト】土田英生 前田司郎
 【コーディネイター】山田裕幸
 【ファシリテイター】関根信一
 【出演】大沢 健 倉貫匡弘 (TRASHMASTERS) 佐藤拓之
     佐野 功 橘あんり (劇団青年座) 長尾純子
     仲坪由紀子 西山水木

2009年上演のもので、みなさんの忌憚ないご意見うかがいたく、出させていただきました。
よろしければ是非、お運びください。

2017年5月2日火曜日

休煙日。

煙草をやめて2年半ほどたつ。
忘れもしない2015年の10月。友人と大久保焼肉エリアをハシゴして、山手線に駆け込んだ。
ら、心臓がぎゅうっと締め上げられるように苦しくなった。
あぁこのままヤツは止まるかも、息もしづらいしと、満員に近い電車の中で立往生を覚悟した。
幸いにして数分でおさまったが、心底怖くなった。
これを機に、酒か煙草かどちらかをやめてみようとふと思った。

どちらも私にとってはコミュニケーションツール。
で、酒はやめそうもないから、煙草を「休んで」みた。
やめる!二度と!決して!などとプレッシャーをかけずに、なるべくゆるーく。
いまも絶賛お休み中。あまり困らない。

休みはじめた当初、ニコチンの禁断症状はあまりなかったような気がするが、
煙草をくわえライターで火をつける手さばき、
フィルターをくわえ煙を吸って吐くという一連の呼吸を含む上半身の動作、
灰を落とす手の動きなど、
ほぼ無意識化して染み込んでいる習慣的な動きが恋しくてならなかった。
喫煙が習慣化する理由はたくさんあるだろうけど、
私に関しては、煙草にまつわる一連の動作が心底好きで煙草を吸っていたんだなあと思った。
いまも好きだ。たまにエア煙草をする。あるいは鉛筆で代行したり。
深呼吸したいだけなのかも知れないけど、少し落ち着く。


吸ってる間は、
さんざんいろんな人からもらい煙草したり、
目上の方に「煙草かってきて。おまえのぶんも買っていいから」と駄賃替わりに買ってもらったり、
飲み屋で隣テーブルの忘れ物煙草をきょろきょろさっ!と手に入れたり、
道端に落ちていた煙草の箱を拾ってみたら買ったばかりのものでラッキーだったり。
まわりの人は煙害で迷惑だったと思うけど、個人的には煙草とそれなりに楽しい関係を築いてきた。
つもり。

あと、嫌いじゃなかったのが、喫煙所で「火ぃ貸してもらえますか」とやりとりがあったこと。
初めて声をかけられたときには、何かの仲間入りをしたような気になった。
自分から声をかけてライターを借りたときは、これで世界中どこでもいけるという謎の自信に満ちた。

いまだに銘柄を見ると、あァあの人が吸っていたと思いだす。
金ボロ、マルメン、赤マル、キャメル、キャスター、アメスピ、セッター、ラッキーストライク、わかば、チェリー、ピアニッシモ、ベヴェル、ピース、ショッポ…
自分自身、好奇心が強い方なので、一つの銘柄に固定せず、片っ端から吸ってみた。
ぜんぶ違った。いまだに吸い分けられると思う。
そういえば一時期、葉巻もふかしていた。
手巻煙草に移行したところで、ダウンした。


自由の象徴、みたいに煙草を吸っていた20代~30代。
心臓の悲鳴は、40までにやめようと思っていたから、ある意味ちょうどよかった。

そういえばむかし、婆ちゃんが吸っていた。89まで生きていた。確かセッター。
私も80越えて生きていたら、休みを解いて再煙しようかな。
何がいいかな。たぶんマルメンだな。

でもまだ、しばらくおやすみ。
ひょっとしたら一生。

2017年4月1日土曜日

テレビがない。

そう、テレビがないのである。
なぜかというと、地デジ化しそこねたからだ。
以来そのまま。

この日から地デジ化に切り替わるからね、の1日前に、日本を離れた。
2週間後に帰国したらテレビがうつらなくなっていた。
いまはただのVHS再生機と化している。

経済的に全く余裕がなかったことと、
テレビがない生活に対する興味があったので、
そのままにしてみた。
今年で6年目か。

たまに電気屋に並ぶ大きな画面でバラエティ番組がやっていたりすると、
すごく不思議な現象のように思える。
こんなに大きい画面で見るほどのことじゃないような気もするし。

今のところのデメリット。
・情報を能動的にとりにいかないと、何も知らないままになる。
・「ほら、あのCMの、あの子」という例示に全く対応できない。
・見なくてはならない番組を見るのにスマホを使うため、ちょっと大変。

メリットなのかな。
・静か。
・テレビをただ見続けて1日が終わる、ということがない。
・追い立てられないですむ。いろんな意味で。

新聞もとっていないし、ラジオも熱心に聞いてはいないため、
情報共有によって形成される共同体(それはテレビ・ラジオ・新聞などメディアの出現によってつくられたもの)からは確実に離れていってるのはわかるのだけど、
生活する上での能動性は少し増すような気がしています。

テレビが与えてくれるものって、すごく多い。ぽーっと口をあけてるだけで、たくさんの美味しい・栄養価の高いものが体内に飛び込んでくるような。
なんかでも、それででぶでぶになっていくことに、疲れたというか。
どんぐりの実とかでもいいから、自分で拾ったものや加工したもので、自分の中身を整えておきたいというか。
粗食を志向するというか。
かえって贅沢なのはわかっているのだけど。

でも、そろそろテレビ買わなきゃなーと思う。
思うばっかりで、まだ定まらないのだけど。
見たいものができたら必死で手に入れるのだろうけど。
うーん。
それよりもまだ、雨音を聞きながら茶をすすって曇り空を見上げたりする方が、
望ましいと思ってしまう。(どんどん修行僧みたいになっていってる)

ふんぎりがつかない。