2009年4月7日火曜日

【COMIC】『風の谷のナウシカ』宮崎駿

女性としての、目覚めたての自我を持て余して困り果てている、と友人に相談したところ、
「究極の母性だよ」
と言って貸してくれたのがこれ。
風の谷のナウシカ。


幼い頃、アニメが大好きだった私は、祖母に小遣いをねだっては『アニメージュ』やら『アニメディア』といったアニメ雑誌を買い漁り、
ひたすらそこにあるイラストを真似て白紙を埋め尽くしていた。
人はそれをヲタクと呼ぶのだろうが、シッタコトカ。
あたしゃー先達の絵の上手さに心奪われたんだ。モンクアルカ


絵というか、人の生き様がそこに描かれているような気がしてならなかった。
憎悪の瞳、戸惑いの口元、愛情の微笑み。
二次元は三次元を取り込み、独自の世界がそこにあった。
決して二次元などではない。人のつくりだす、宇宙だ。
今のアニメはどーか知らんが。
私の見ていたころのアニメーターは、とにかくすごい人たちだった。


そんな中の一人、宮崎駿。
ナウシカがアニメージュで連載されていた頃は、
私は単なる鼻を垂らした小学生のクソガキだったので、
「なんやこむずかしそーな」とスルーしていた。
しかしそれも当然だわ。あんなの、ハウス食品劇場で涙してるガキに理解できるわけがない。


まあ何と言うか、映画よりはるかに面白い印象を持ちました。
そして最後まで、ナウシカがどんな人格を持った人なのかよくわかりませんでした。
それほどまでに抽象的な存在なのでした。
ではそんな抽象的な彼女を通して何が具現化されているのか?
それは、人が人として生きるという意志そのものでありましょう。
つまり、意志が人の衣をまとうと、あんな感じになるのではないかと。


そんなことを感じた次第であります。


彼女にしたい、とか、抱きたい、とか、
一切の邪念をとっぱらわせる何かがあり、
それを私の友人は「究極の母性」と表したのではないかと。


後半に、ナウシカのヌードショットがあるのですが、
これがまた何とも言えず色がない。
あっ乳首かふーん、みたいな。
何と言うか、エロくないというか。
生き物としての女性、という感じがしました。
そう思わせるって、何か不思議です。
描き手の姿勢にもよるのかな。


まあでも、私はナウシカになれるわけがなく。
肉欲と情念の虜になる、人間の愚かしさのほうが身近にあるわけで。
やはり悶々とした日常を、やたらと燃費の悪いカラダを持て余しながら、
メーヴェに乗ることもなく、地を這いながら暮らしていかねばならないわけで。


逆に自分の果てしない愚かさを強く自覚してし ま い ま し た
…とさ。


蒼き衣は夢又夢。

ちゃんちゃん。

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