2015年3月22日日曜日

夢を見た

恋人ができる、というか、思いが通じる夢を見た。
金髪で丸顔の、ほっぺが赤い、半ダメだけど骨がありそうな奴だった。
と、ふと思ったのは、それは男として生きた場合の自分の姿ではなかろうか、ということ。


「半身を探して」といったような恋の歌はよく聞く。
そのたびに、恋愛など自己撞着の同一線上にある他者に対する誤解が同時に起きるようなものだ、と考えるようになった。
その動機となるのは、異性(あるいは同性)への興味だったり、性欲だったりする。


それも一つの考え方ではあるだろう。
でもたぶんそれは、幼い。
そして夢が、幼い自分を思い出させた。


恋愛でなくても、思いが通じあうことはあるし、それはとても貴重で奇跡的な瞬間だ。
それは自分と相手を宇宙的な立ち位置で認識することなんじゃなかろうか。


と、ここで、いまテキストとして扱っている戯曲「動物園物語」の影響だわ、と気づいた。
良質な戯曲と向き合うことは、人間ということ、生きるという事について、様々なことに気づく契機になるのだな。


何と豊かな。

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