2011年4月20日水曜日

片付けの過程。

被災ついでに片付けをしようとしたら、
これが不要なものが、出てくる出てくる。


押入れの奥、積んであったダンボール、開けては仕分け、開けては仕分け。
…。
何だこの、不要物の量。


おそらく、実家を出るときに、
本当に根こそぎ私のものが出されたんでしょうね。
あ、ちなみに、
私は別に実家を自ら出たわけではなく、
ある日帰宅したら両親の車でそのまま今の部屋に連行されたという、
不思議な家出(自立)の仕方をしましたのです。


まあ、大学1~2年生のとき、
いろんな家を泊まり歩いてあまりに帰らなかったので、仕方ありませんが。


ですから、私の荷物もどんなふうに持ってきたか、
とんと記憶にありません。
きっと両親が、箱やら何やらに詰めて、
運んでくれたんだと思います。
冷蔵庫やらソファやら布団やら、
一通りのものは、どこかからもらったり拾ったりして集めてきてくれていました。
そこにある日、住みなさいと。


今考えればとてもありがたいことなのですが、
びっくりするほど寂しかったことを思い出します。


かつ、
本当に根こそぎ持ってきたんだなあと。
だって、保育園の卒園文集からありましたから。
ふつう、自立するとき、そういった過去の思い出系のものは、
実家に置いていきますよね。
それで盆暮れに帰郷したときにチラッと見つけたりしてひもといたりして、「ああ懐かしい」なんて呟いちゃって、
そんで嫌なこと思い出したり、好きだった○○君元気かなあなんて思いを馳せちゃったり、
どうにか自分のガキの頃の写真を『多少はかわいかった』レベルで受け入れようと努力したりして、
大人になるっていうのはこういうことだよねって何かすこし苦しょっぱ甘い感覚を噛み締めたりして、
お母さん、お夕食つくるの手伝うね…なーんて流れを放流させるための、ある種の人生の小道具みたいなものですよね。
それが何で。
あたしの現在の独居の、しかも押入れに。


たぶん。
たぶんなんですけど。
両親の、「実子指導要領」の中に、きっと『親元からの自立』の項目があったに違いありません。
なんてったって、骨の髄まで教師な二人ですから。
きっとプログラムを考えていたはずです。


でもさ。
にしてもさ。
あたしのもの、ぜんぶ持ってくること、ないじゃん。


おかげで保育園、小学校、中高と、
どんな成長過程を経てきたのか、ようく分かりました。
アホで馬鹿でお調子もので、くだらんことが好きで、
部屋で静かに本なんて読むより、友だちとわっしょいし続ける、
実に今の自分と地続きな人格の断片たちを、ことごとく発見させて頂きましたよ。


引きこもれないわけだ。
寂しがりやなわけだ。
おとなしく座ってられないのなんて当たり前だ。
だってこんなに世の中、愉快なもの・こと・人で満ち溢れてる。
わーっしょい。
わーっしょい。
わーっしょい。


…。


馬鹿です。
本当に馬鹿です。


ただ、
呆れると同時に、
自分が心底そういうもんだということに気がつきました。



とんだヤレヤレ感。

2 件のコメント:

fuku さんのコメント...

そんなムラーノさんが、とても興味深いです。

私は、小学校に入ったときに、人が多すぎて、雑多すぎて、帰りたくなった方なので(苦笑)。

nick さんのコメント...

>fukuさん

ムラーノ、日産の車ですね。

小学校とは根深い。
私も大学に入りたてのとき、同じ感想を抱き、本当に失敗したと思いました。

見知らぬ人の大群を目の前にし、
さらにそれと交わっていくであろうこれからの時間を思うと、
パンパンの米袋をうっかり裂いてしまったときのような感覚を覚えます。
どわわわわ…(泣)
みたいな。

まあ、私は順応しちゃうんですけどね、いつかは。