2010年11月11日木曜日

【BOOK】『シュタイナー教育を考える』子安美知子(朝日文庫)

初版は1987年と、23年前になる。
ちょうど私は11歳。
この頃に、自分で教育環境が選べるとしたら、シュタイナー教育を望んだかも知れない。
出会うのが、遅かった。


教師はサラリーマンでも公務員でもない。芸術家である。
その認識がまず驚きであると同時に、ああやっぱそうだよね、とうなずける。
だって本当にそう思う。
彼らは全人格・全身体性をもってして、生徒と向き合わなくてはならない。
指導要領があったって、同じこと。
現場では、人と人とが向き合う。
その中で生まれるさまざまなもの(葛藤や憎悪、孤独も含め)は、
確実にその後の人生の糧になる。


シュタイナー教育の小学部は、8年担任制。
その後は担任制はとらず、専門ごとに教師の指導をあおぐ。
知学偏重ではなく、あくまで感受・思考・発見・実行するプロセスを、
子供たちの成長段階を把握しながら、
じっくりじっくりと積み上げていく。
お受験熱まっさかりな時勢のあおりを受け、過剰な詰め込み教育にさらされ続けた私には、
創造することへ全身で誘ってくれるこの教育機関が、その関係者が、羨ましくてしょうがない。


教師である父母は、自子の教育方針の相違からいつも激しくぶつかりあっていた。
その渦中にいたのは、他でもない、私だ。
中学・大学と二度の受験を経て、結局のところ父の考えに沿った指導が行われた。
母がどのような教育を理想としていたのかは分からない。
ただ、母の書棚の題字には、「シュタイナー教育」というフレーズがいくつかあったような記憶がある。
それと付随して、「キブツ集団教育」「オイリュトミー」等々。


今にして、確信をもって思う。
彼女は、日本の教育制度に沿うことができなかったはずだ。


教頭になってしまった彼女の葛藤は大きかったようだ。
先日見つけた日記に、一人の人間としてのやりきれなさが吐きつけてあった。


水を得なかった魚。

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