2019年3月24日日曜日

糸の切れた凧による雑感:あいつ元気かなあ。

20代後半の頃。とある大学で秘書の真似事のようなものをしていた頃、ほぼ毎日共に飲み歩いている友人がいた。
大学生だった頃から知り合い、確か彼女が博士過程に入る頃まで一緒にいたように思う。
アフリカのとある国で生じた大虐殺についての研究をしていた。
彼女は同じゼミの、在日朝鮮人(この呼び方どうにかならんのか)の先輩にたいそう憧れていた。

この男性、寄る辺ない雰囲気を醸し出しているせいか、とにかくモテた。
荒っぽい飲み方をする人で、理性をとばすまで飲まないと飲んだ気がしない。カラオケでは歌い踊る。
研究室を訪れた編集者も、一目で熱をあげていた。

私は友人である彼女に、韓国を縦断する旅に誘われた。
高速鉄道KTXを使ってソウルから南下。目的地は済州島。
憧れの先輩の姓のルーツである「三姓穴」に行きたいと言う。もはや聖地巡礼。
面白半分で行くことにした。

途中立ち寄った場所はあまり覚えていないが、
三一運動で独立宣言をした「パゴダ公園」、日本軍がつくった死刑場のある「西大門刑務所」、
朝鮮出兵で加藤清正に侵略を受けた寺(すっかり失念してググることさえ…)などなど。
そしてこの間、彼女は謝ってばかりいた。「ごめんなさい」「日本がこんなことをしてごめんなさい」「ごめんなさい」…
タクシーに乗っても運転手に謝ってばかりいた。

私も私なりに感じ思うことは多くあったが、ひたすら「ごめんなさい」を繰り返すその態度に苛立った。
我々は国家ではない。
日本代表でここに来ているのではない。
それに私はいま、あなたと一緒にここにいて、共に新たな体験をしているはずなのに、その営みが認識に追いやられている。つまらない。
あるいは寂しかったのかもしれない。単なるやきもちだ。
済州島行きの船を待つ港で喧嘩した。
その喧嘩が結果どうおさまったのか、全く覚えていない。

今ふりかえれば、どう考えても私が幼く、圧倒的な勉強不足だったと思う。
しかも彼女の目的は、私とのノンビリした観光旅行などではなく、
自分が憧れてやまない人のルーツである韓国と出会い、向き合うことだった。
民族対立を研究している彼女にとっては、それはたぶんとても切実な、真剣なものだった。
ただそれに乗っただけの私が、寂しがる方が筋違いだ。
彼女の真剣さを理解していなかった。

いろいろあって彼女とも会わなくなり、論文よりも舞台が好きだと明確に自覚したときから、
覚悟もなく薄ぼんやりと憧れていたアカデミズムの世界からも遠く離れた。
にしても、大学で働いていた頃のアルコール摂取量は、ひょっとすると今よりも多かった気がする。教授も学生も、とにかく酒豪ばかりいた。

先日、風の便りに、彼女が憧れぬいたオッパ(韓国語で「兄さん」)と結婚し、子供を産んだと聞いた。式ではチマチョゴリを着たという。
なかなかに頑固な御仁だった。結婚とは程遠かった酒飲みオッパをおさえ込み、10年以上かけて初志貫徹したのはさすがだと思う。

日常からはお互いフレームアウトしたが、ゲームや小説とは違って、生きている限り人生は確実に続いているはず。
きっと元気なのだろうと、一方的に確信している。

『金子文子と朴烈』を見ていて、何度も彼女を思い出したので、ここにしたためる。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

その彼女は、「愛」を勝ち取る代償に日本人の歴史や日本人として捨ててはならぬ誇りを捨てたんだよ。 できることなら他人なんて愛さない方が良いよ。成就したときには気づかないけど、あとになってから、捨ててはならぬものを捨てていたことに気づく。

匿名 さんのコメント...

なんで君はここで日和ってしまうわけ?