2018年3月24日土曜日

それは私だったかもしれない。

宗教、特に新興宗教ときくと、金光教でもサイエントロジーでもなく、どうしてもオウムがぱっと浮かぶ。
新宿の歩道橋でショーコーショーコーと歌っていた白い服の信者たち。頭に乗せた派手な色の被り物。同じ部活の誰かが、そのとき配布されていたカセットテープを受け取り、放課後みんなで聞こうとしたが、確か怖くてできなかった気がする。なぜか引き取った。捨てた記憶がないので、まだ実家のどこかに眠っているのかも知れない。

1995年の3月20日、大学の科目登録の日だった。中高時代あまり話したことのない同級生が同じ学部に進学したので、登録科目を相談しようとキャンパスで待ち合わせをした。横浜方面からくる彼女から「電車が動かない」と連絡がきたまま、一向に来る気配はなかった。まだ大学に友人など誰もいない状況で心細いまま、その日は会えずに終わったと思う。あまり記憶は定かではない。

その後、どんどん事件化していった。上祐というオウムの広報担当の露出が増え、国松長官が襲撃され、村井は殺害され、5月になって麻原が逮捕された。
翌年4月に、とある知人警察官より酒の席で「麻原がどこにいるのかわかっていた。階の間に秘密の部屋があったんだ。信者が近所でメロンを買っていたことで足がついた。メロンは麻原の大好物なんだ」と聞いた。それが本当だとしたら、何と詰めが甘い逃亡者だろう。

自分にとって何よりも衝撃だったのは、必死で受験勉強に打ち込んだ挙げ句に入った大学や、何度も赤本で入試問題を解いた大学の、正にその出身者が幹部及び実行犯の主だったメンバーだったこと。彼らは生きることの充実感を、当時その宗教組織で十全に得られていた。その先に犯罪行為があった。それらが感覚的に理解できるような気がして、ショックだった。
私もそこにいたかもしれない。

自分は懸命に、何を目指してきたのだろう。
たかだか18年の人生だが、当時の私にとっては過ごしてきた時間の10割だ。

大学何年目のことかすっかり忘れてしまったが、学生劇団の打ち上げで朝までうだうだしたあと、法学部の後輩(といっても二浪で私と同じ年)が「傍聴いきましょう」と言い出した。学生の悪ノリで、何人かで東京地裁に向かった。傍聴券を入手できなかった一人を残し、何人かで厳かに、酒臭い息を封じながら法廷に向かった。身体チェックを受ける江川紹子を見た。両手を広げてくるりと一回転する姿は、まるで腐海をマスク無しで舞うナウシカのようだった。

裁判の被告は土谷正実だった。信者を殺害するにあたって、能動的な行為であったかそうでなかったかが争われていた。殺害当時の描写が読み上げられる。興奮状態で長材を取り被害者の頭を何度も打ちつけた行為に責任があるかどうか。検察側は分厚いファイルを何冊か机に置いていた。後輩が「あれ、オウム用語辞典です」と囁いた。議論はオウム用語を含めて行われている。間違った使い方をすると土谷被告から異議が申し立てられる。
弁護士によってオウム用語が語られる度に、いま私たちが認識している世界が相対化されるような、オウム側の目線から現実を捉え直しているような気になり、現実感がなくなった。

いまだに彼らに関する報道を見ると、自分の一部が打ち震える。
あなたは私だったかもしれない。

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