2011年4月9日土曜日

桜を見るたびに。

毎年桜を見るたびに、感傷的になってしまう理由がいくつか。

一つはばーちゃんで。
高校一年生にあがるときの春に亡くなったんだけど。
最後、もう完全におかしくなっちゃって。
でも何か知らんが、いつか桜を見せてあげたいなと、
それが私ができるせめてもの歓待だと、
そう思っていたわけで。
そんなことは出来ることもなく、亡くなってしまったんだけど。
田舎の、特別養護老人ホーム、みたいな場所で。
行ったらもう、鼻とかに脱脂綿詰められてて。
何かよく分からないまま、葬式とかそういう流れになって。
私は制服で出て。孫だね孫だねって。
知り合いのおじさんおばさんがたくさん泣いてて。
親父も当たり前のように泣いてて。
かあちゃんは複雑な感じで、でもやっぱり泣いてて。
何となく、あちしは役に立ってないなって、そんな気がしていた。


もう一つはかーちゃんで。
ホスピスに入って、どんどんどんどん痩せてって。
ほいでもう絶対だめだなもうって、誰が見ても分かるわけで。
たぶん本人もわかってるわけで。
でも誰だって、自分がもうすぐ死ぬなんて絶対に認めたくないわけで。
車椅子に乗っけて、病院の周りに咲いてる桜を見せにいくことになった。
びっくりするほどガリガリで、顔色だって緑で、
何日も洗ってない髪を三つ編みでお下げにして、
出かけるときはとてもご機嫌だったのに、
エレベーターに乗って、
外来の人たちの活気の中で、ギョッとした顔で見られて、
自分がもう絶対に外の世界に戻れないんだって、かえってわからせてしまったようで。

しばらく外の風にあたっていたら、とても不機嫌になり。
「帰る。」

帰れないのにね。
帰る先はホスピスの、片道きっぷの個室なのにね。
死ぬしかないってわかってる。
もうどこにもいけないって。だからホスピスにきたって。
どんなにどんなに絶望的な思いに苛まれたことだろう。
頭の悪い人じゃない。
自分が今どういう状況にいるのか、絶望的なまでに理解できていただろう。
命日は4月24日。
その10日くらい前に、モルヒネを増やせ、と言い出した。
どうせ死ぬんだから早く死にたいと。
死ぬ権利だってあると。

そのスピーチは、私の不在のときに行なわれた。
その場に呼びつけられた医師や看護師は、ただじっと押し黙っていたという。
私が8回目の大学生の春を迎え、授業から病院に戻ると、
エレベーターが開いたところで妹たちが困り果てた顔で走って飛んできた。
その頃、私たち姉妹は交代でホスピスに泊まっていたのだ。
認めたくなかったのは、私たちも同じだ。
目の前の人が死んでゆくということを。


と。
まあ。
そんなことを思い出すから、
毎年桜の頃は、私にとってお盆みたいなものでして。
必ず、死者が二人、私に思い出されるのでして。
キレイだなあ、と、ばかのように心打たれ、その波の中で、
死者に届かぬ己れの無力をひりつくほどに思い起こさせられるので。


狂おしければ狂おしいほど、
この身の内も、激しい自責にうちのめされ。
無力、無力、無力、ああ美しい、素晴らしい、無力…自分とこの一片の花弁、どちらに価値があるだろう?…


嘘嘘。
生きていかなくちゃね。


とまあ
けっきょく毎年、
桜との距離感は複雑です。

うーむ。

むむそう来るか。

珍しい後輩からtel。
仙台が実家だから、だいじょぶかとかそんな感じのメールはやりとりしてたけど、
電話するほどの仲じゃない。
おーどした。
ごぶさたです。あのですねむらのさん、ネコ一匹飼う余力ありますか?
ふぃ…っと、ざわざわがよぎる。
えーあのそれは、四つ足?二足歩行?
二足歩行の、オスです。
誰。
俺です。


そんなこったろーと思った。


珍しい人からの電話なんて、たいていこんなもんだ。
無茶な相談を、こいつならだいじょぶだろー的な感じで振ってくる。
○○な人、誰か知合いにいませんか?
○○で人手が足りないんだけど、誰かやってくれそうな人いない?あ、ちなみにビジュアル重視だからおまえ以外で。


…。


いいけどね。
ありがたいけどね、
そういうときに思い出してくれるってのはさ。


そんなわけで、5月から来年の2月くらい?まで、
二足歩行のネコが居候に来ることになりました。
地震やら何やらで何が起きるか分からない中、
よくもまあ、フットワークの軽いこと。


というわけで、片付けを加速させようと試みた。
が。
無理。
ものが多すぎて、
捨てる指針もなくて、
でも最終的なビジョンだけあって、
でも作業量が追いつかなくて。

無理。

っつーわけで、
これから断捨離でもチェキってみます。
二足歩行のネコが来るまでには、とりあえず一段落させなくては。


ううう。
穏やかな日常に、
少し嵐の萌芽が。そよと。

2011年4月8日金曜日

あたしがナイーブすぎるってこと?

あのあの。
何というか、
私がズレているのでしょうか?
それとも、私が普通すぎるのでしょうか?
あの揺れ、あの気仙沼の火事、あの津波、あの津波警報、緊急地震警報、歩いて歩いて歩いて、でも結局帰れなくて、あと出勤中に揺れて電車止まったりとか、あと机の下に潜ってゆっさゆっさ揺れてるのを、ああまた大きいの来たらどうしようと思いながらやり過ごして、あああのときよりは小さかった良かったと安堵して、でも明け方の揺れにはやっぱり驚いて飛び起きてそれから不安で眠れなくなったり、このズボラな私が被災グッズまとめてみたりして、テレビもつけっぱなしにして寝てるのかどうか分からない状態でNHKを方耳に流しつつ夜を過ごして、そいでいつまた揺れるかわからないから不安で不安で、夜も眠るのが怖くて、ウォーキングしようにも歩いて遠出してるときにまた大きく揺れて帰れなくなったりどうにもならなくなったりしたらどうしようと不安だからできなくて、電車が揺れで止まったりとか、揺れてないのに揺れてるように錯覚しちゃったりだとか、職場で一斉に居合わせた人たちの携帯の警報が鳴ってまた揺れて職員が走って扉開けに行ったりとか、でもその中でもお金が必要だからどうしても働かなくちゃいけなかったりだとか、他にも他にもたくさんたくさん何だか色々あった中で、ナイーブになってるねって言われて、作家だからね敏感なんだねっていうので片付けられて、
納得できるわけがない。

関西に、やむなく帰っていた友人が、東京に戻ってきて、あまりの自粛ムードに驚いたという。
徐々に慣れてきている自分がいた。
というか、スーパーの暗さも、駅の暗さも、町の暗さも、ぶっちゃけこんくらいでいいんじゃねくらいに思ってた。落ち着く落ち着く、みたいな。
が、しかし、
昨晩の、大きな余震で、
そんな惰性もふっとんだ。

とても神経質になってしまっている自分がいる。
それは分かる。
東京なんて別に被災してねえじゃん、と言われようが何だろうが、
この国の形が変わったことが、これからも変わっていくことを余儀なくされるということが、
とんでもなく未曾有な気がしてならんのだ。
変わるのは、地図の陸形だけじゃない。
政治も、経済も、教育も、ITも、労働のあり方も、
流通も、資本の流れも、国家間の関係も、
民度も、文学も、死生観も、
何だかもう、いろんなものごとが、
いろんなものごとの前提が、
おっきく変わると思うのだ。

沖縄が、被災者の受け入れを開始した。
ってことは、東北にいた人らが、沖縄までエンヤコラ移動するってことだよね?
そいでもって、中にはそのまま住んじゃったりする人も出てくるかも知れないよね?
そんな距離を、集団で移動するってそんな、あれだ、満州に入植するとか、北海道に屯田兵として移住するとか、そういうレベルの話なんじゃないの?
役場ごと移動してる町もあるんだよね?
てことは、集団の機能が維持されながら移動しているということなのかしら?
そんなことって、これまでありましたか?
個人や団体で疎開するにしたって、あくまで民レベルの話でしょ。
町役場ごと移動って。
公ごと移動ってことでしょ。
何というか、もう、根こそぎですよ。
何というかもう、
民族大移動並みの労力が強いられるわけですよ、
しかも何の準備も無いままに。
負担じゃないはずがない。

フォッサマグナ以西は、プレートが違うから、今回の地殻変動の影響はあまり受けていないらしい。
その分、温度差が大きいらしいけど、それはそれでいいけど、
だからといっておまえら特に被災してないじゃんかとは言われたくない。
そりゃ23区は(一部を除いて)計画停電対象外だったけどさ。
買占めだってあったけどさ。
でも正直なとこ、かなり参ってはいるんだよ、当事者として。

おかしいのかな。
おかしいのかな。
私の神経が弱いだけなのかな。
何か、納得いかない。んだけど。何でかね。

2011年3月25日金曜日

情緒的なリアクション

原発作業で、三人被爆のニュース。
本当に辛い。
自分の生活が何の上に成り立っているかと考えるだけで、恐ろしくなる。
これまで、あまりに視野に入らない物事が多すぎた。
剥き出しの構造が、これからもっと露わになっていくことだろう。

こんなときにまで単純すぎる自分が実に恨めしい。

2011年3月24日木曜日

変わってしまった自分。

いやー。
大混乱ですねえ。
世情に疎かった私でさえ、ニュース追っかけてます。
情報情報情報…と。情報ジャンキー。
不安で仕方ないのは誰だって同じ。
被害の軽重はありますが…。


そしてはらり、昨日も副業先で、大新聞を一通り眺めておりました。
目に留まった記事だけ拾い読み。さもないと溺れてしまいますので…。
して、「二歳児撲殺」の見出し。京都にて。
…。


震災前は、こんな事件が多く報道されていましたね。
フォッサマグナから向こうは、今回被災しておりませんので、
震災前の時間が流れているわけで。
あ、そうか、と。
この国に蔓延していた絶望の空気は、なくなったわけではないわけで、と。
今は前を、遠い先を見るしかないから、希望、希望と言うけれど、
たぶん、絶望が希望に100%とって変わられたわけではない。


ただ目の前の破壊はあまりに大きすぎて。
たかが三十数年を、平和な中で何不自由なく生活してきた自分にとっては、
受け入れるのに時間がかかる。
というか、まだ、これって本当なんだよな、と、信じられず。
日々、余震のたびに、戸惑いを新たにしております。


まあとりあえず、何にせよ、
自分の中で、
どうやって生きていこう、
が、
とにかく生きなくちゃ、
に、
変わりました。


変わるって、本当にすごいことです。


2011年3月17日木曜日

思いのほか

熱い校長もいるんだね
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

在京英国大使館の見解
http://clip.kwmr.info/post/3896045912

だってさー

なんだか毎日戸惑ってばかり

2011年3月13日日曜日

しくしく

ヤバい。
13階に1人は、さすがに心細い。
まだ二部屋、カオスのままだし。


でも東北に比べればなあ。
がんがれ東北。